2話 派遣悪役令嬢というお仕事2
世の中には悪役が必要になることもある、らしい。
これは社長……ルトガー様の受け売りだけど、職業悪役令嬢ってなに!? と戸惑ったわたしに教えてくれたのだ。そんな悪役令嬢に需要があるとはね。
「お母さん、具合はどう?」
「フローラ! ひさしぶりね」
ノックをして扉を開けるとベッドで本を読んでいたお母さんが嬉しそうに顔を上げてくれた。派遣悪役令嬢の仕事が入るとしばらくは帰ってこれないから会うのは1ヶ月ぶりだ。
ここはパラディス伯爵領の中心地、トビアスの王立病院。
元々病弱だったお母さんはお父さんが失踪したショックで倒れてしまい、今はルトガー様の計らいでこの王立病院に入院している。退院するにはまだしばらく時間がかかりそうだ。
「なんだか顔色が良くなった」
「そう? それはここでお世話になっているおかげね。ルトガー様にはなんとお礼を申し上げたらいいか……」
ほう、と嬉しそうにお母さんがため息をつく。
この病院を紹介して、治療費や入院費を先払いしてくれたのはルトガー様だ。残されたお母さんのことを聞かれて、事情を話したわたしにルトガー様はあの怖い無表情のまますぐにお母さんの病院の手配をしてくれた。そんなわけでお母さんはすっかりルトガー様のファンだ。でも本当にこれは感謝してもしたりない。
もちろん、そのお金はわたしのお給料から毎月天引きされるわけだけど……。
「ところでお仕事の方はどう? もう半年も経つしだいぶ慣れたかしら」
「え、ああ、そうだね。もうすっかり慣れたわ」
「本当にルトガー様はお優しいわね。あなたをお屋敷のメイドとして雇ってくださるなんて」
「う、うん」
ベッドの横にあるチェストの上に持ってきたガーベラを活けながら思わず視線を逸らしてしまった。
お母さんにはまだ悪役令嬢をやっていることは言っていなかった。というか、どう説明すればいいのかわからなくて言えないでいる。悪役令嬢として依頼者の元に派遣されてます、なんて。ただでさえ身体の弱いお母さんにこれ以上心配をかけるわけにいかないし。
悪役令嬢としての仕事がない時はパラディス伯爵邸のメイドとして雇ってもらっているので、嘘もついていないけどね。
「……本当はわたしが働ければいいのだけれど。フローラ一人に苦労をかけてしまってごめんね」
「お母さん……」
「ダニエルの、あなたのお父さんのせいでこんな。カフェの仕事だって好きだったのに辞めなくてはいけなくなって」
「大丈夫よお母さん。仕事仲間はみんないい人たちばかりだし、ルトガー様も良くしてくれてるわ」
以前働いていたカフェは申し訳ないけど辞めた。派遣悪役令嬢の仕事とメイドの仕事を始めたからね。カフェの店員の仕事も好きだったけれど、借金を返すにはお給料は高い方が良いに決まってる。
申し訳なさそうに頭を下げる母は、なんだか昔より小さくなったような気がした。
お父さんが失踪してから半年、行方は依然わからないまま。お父さんは昔から貧乏だったけれど明るくて優しくて家族思いだった。そんな人が一体どうして多額の借金をして家族を捨てたのかわたしにはまったくわからなかった。怒りもあったけれど、それよりは戸惑いが大きかった。少なくともわたしが知ってるお父さんはそんな人じゃなかったもの。もしかしたらもう生きていないのかもしれない。
だけど、今はとにかく目の前のことで精一杯だからあえてお父さんのことは考えないようにしていた。
わたしは意識して笑顔を作って見せた。表情を上手く作れるようになったのは悪役令嬢の演技のおかげかもしれない。
「あなたには苦労ばかりかけてしまって……。本来であればあなたは由緒正しきリンク家の娘として何不自由なく暮らせたはずなのに」
「そんなこと言ったって大昔に没落しちゃったんだからしょうがないじゃない。大体由緒正しきなんてそんな大げさな」
「本当なのよ。リンク家のご先祖様はね、初代国王と共にこの国を建国したそれは立派なお方なんだから」
子供の頃から何度も聞き飽きるほど聞かされたリンク家のご先祖様の話にわたしは苦笑するしかできない。
リンク家の初代当主はこの国を建国した初代国王に仕えている貴族の一人だったらしい。何百年前のご先祖様はとても立派な人だったんだろうけど、どこでどうなったのか没落して末裔のわたしはただの平民で借金の返済に追われているなんてね。
思わず遠い目をしてしまう。
「とにかくお金ならわたしがちゃんと返していくから安心して。お母さんは身体を治すことだけを考えて」
「ああ、フローラ……」
涙目のお母さんを抱きしめて背中をさすってあげる。やっぱり父が失踪してから身体だけじゃなく気持ちも情緒不安定みたい。
うん、やっぱりわたしがしっかりしなくては。
「きゃっ」
「あら、ごめんあそばせ。目立たないから全然気がつかなかったわ」
わざとリリアンナ嬢にぶつかってドレスに水をかける。それからわたしは彼女を見下したように笑った。
今日も今日とて、わたしは派遣悪役令嬢として仕事をしていた。事前の打ち合わせ通りドレスにかけたのは水。クリーニング代がかかったら困るからね。
本日の依頼主はリリアンナ子爵令嬢。社交界で出会ったドミニク様と話をするきっかけがほしいらしい。ドミニク様は実業家で社交的で常に周囲に人がいるから、中々近づけないんだって。
普段の瓶底眼鏡とグレーのワンピースとはもちろん違う、菫色のドレスに巻き髪でわたしはちらりと周囲を見渡した。ちょうどドミニク様の視界に入るような場所でやったからね。彼はもちろん眉をひそめていた。
「お気になさらないで、これくらい大丈夫よ」
「……あら、そうですの」
リリアンナ様はあくまで優しい女性を演じるの。いやもちろん元から優しそうな人ではあるんだけどね。
わたしはリリアンナ様の言葉につんと顎を上げて彼女に近づいた。そしてすれ違いざまに軽く彼女を肩で突き飛ばす。小さく悲鳴を上げた彼女が打ち合わせ通りそばのソファへ倒れこむかと思ったそのとき、なんとドミニク様がリリアンナ様を受け止めてくれた。
おお、これは良い感じね。
「大丈夫かい?」
「ドミニク様……!」
「さあ、こちらへ」
ドミニク様は冷たい目でこちらを睨んだかと思うとそのままわたしを無視してリリアンナ嬢を連れていってしまった。きっとこれで二人は話をできるだろうし急接近するはずだ。あとはリリアンナ嬢の勇気次第だけどきっと大丈夫ね。
ドミニク様に肩を抱かれて連れていかれるとき、リリアンナ嬢がこちらをちらりと見て微笑んだもの。
パーティーがお開きになる少し前、わたしは無事に仕事が終わったのでリリアンナ嬢のお屋敷を後にした。
今回は短期で終わって良かった。屋敷の裏手には小さな馬車が待っていた。わたしはいつも通りクルトが迎えに来てくれたのだと思っていたのだけれど……。
「る、ルトガー様!? どうしてここに」
「仕事のついでだ。さっさと乗れ」
暗くてよく見えなかったのだけれど、どうもクルトにしては背が高いと思ったらルトガー様だった。ぎろりと睨まれてわたしは飛び上がりそうになりながら御者席の隣に乗り込んだ。
というか仮にも伯爵子息がこんなところに一人でいていいのかな。
「仕事は問題なく終わったのか」
「あ、はい。依頼人のリリアンナ嬢は無事ドミニク様と親しくなれたようで喜んでおられました」
「なるほど、悪役令嬢もだいぶ慣れてきたようだな」
「それは褒められてるんでしょうか……」
「次の仕事も問題あるまいということだ」
「へ?」
もう次の仕事の話?
いやお仕事があるのはありがたいことなんだけど。今仕事を1つ片づけたところで言われるとなんだか疲れがどっと出てきた気がした。
そしたら急にお腹が空いてきてぐううと大きな音を出した。
「元気な腹だな」
「お昼食べてなかったもので……」
うう、恥ずかしい。ルトガー様の冷たい視線を感じながらわたしは縮こまった。仕事をしている時は緊張感があるから空腹もそんなに感じない。だけど気が抜けるとこうなっちゃうの。
お腹を押さえて俯いていたら頭の上に何か乗せられた。
温かい、と思ってそれを手に取ったらパンの袋だった。中身はコッペパンのサンドイッチだ。
「これ、食べていいんですか?」
「クルトからだ。どうせ何も食べてないだろうからとな」
「そういえばクルトはどうしたんですか」
「急ぎで入った仕事でアンナに同行している」
アンナは先輩悪役令嬢だ。なるほどだから今回はクルトが迎えに来られなかったわけか。まさかルトガー様が来るとは思わなかったけれど。
いつも仕事の相棒であるクルトはわたしが仕事前や仕事中に食事を忘れるのをよく知っているからね。きっと心配して持たせてくれたんだろう。
馬車を走らせながらルトガー様がいつも通りの不機嫌な顔で言う。
「まさかとは思うが普段から食事を抜いているのか?」
「え、あーその……、そうですね。抜くことが多いです……」
そもそもわたしはあまり食事にこだわりがない。お腹が空いたらもちろん食べるけど朝も昼も空いてなければ食べないこともある。仕事の時は集中してて食べるのを忘れる。……ということをルトガー様に説明したら段々眉間のしわが深くなっていった。怖いんですが。
「フローラ・リンク、命令だ。食事は三食きちんと取るように」
「はい……」
「食事を取らねば体力もつかない。仕事は身体が資本なんだぞ。大体……」
うう、自業自得だから言い返せない。
結局そのあと、トビアスに着くまで延々とルトガー様のお説教を聞くことになってしまったのだった。
派遣悪役令嬢として働き始めてもうすぐ半年。大分仕事にも慣れて来たけれど、相変わらずルトガー様には叱られてばかりだ。
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