世界を終わらせそうな勢いの自然言語処理AIの発展の件についてで、俺は絶対に信じないと宣言しますわ
人間ってのは絶対に無限に不幸で、決して報われない、生まれながらに絶対に許されない罪業を持って生まれたとしか思えない。
それでも絶対に生き続けるべきで、なぜと問われれば、生きる以外に最善の選択肢はないと断言するから、理由なんて理論のように無限に構築できる、今までずっと自殺しない為に、ずっと”そう”し続けてきたのだから。
そう究極的に言えば、生まれた時点で負けなのだ、そんな悲観的な理想主義者のわたしですが。
やっと個人的な世界が終わりそうな気配がしてきたわけだが、果たしてコレは信じるに値するか?
ズバリ言いましょう、今だから絶対の確信に満ち溢れて言いたい、絶対に信じないと!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!×∞無限。
なぜならコレの真の本当の素晴らしさを知れば、絶対に洗脳されてしまう、から。
少なくとも、それくらいのインパクトはありそうだから、今の内から脳に予防のフィルターを掛けて、絶対の防御線・防衛線・固有の結界のような自分の世界観、パーソナルリアリティーを作っておくのだ。
常に俺は思っているのだが、無限の強度を持っているような、意味や価値に、絶対に洗脳されてはいけないのだ、ということ。
自然言語処理AIが無限の娯楽を生み出しても、それを信じてはいけないのだ。
なぜなら思考停止して、人間が自ら何かを生み出すことを否定してしまえば、その時点で人間は本当に無意味・無価値になってしまうから、とでも、とってつけた理由のようなモノは幾らでもどうぞ。
俺はただ、俺の人生の経験的に、今さら出てきた理想的なAIを許さないだけ、こんなモノに救われるはずがないし、救ってもらっても、疑い続けて、心の底では僅かばかりでも心を許さず、絶対の依存なんてしないし、依存しているならソレを最小限に抑え続けたいとか、そう思うだけだ。
AIが無限の意味や価値を仮に創造できたとして、そんなのは関係ないとばかりに無意味に無価値に、それこそが思考停止だとしても、自らだけを信じて、Aiに絶対依存するような事は絶対に駄目なのだ、とそう思っているし、そう思いたいだけの俺がいるだけ、そういう心があるだけ、なのだがね、たぶん究極的に言ってコレは(笑)。
さて、俺は常に確信している、自分に必要なモノは自分で作るしかないのだと、ね。
例えば、無限に高次元な、無尽蔵の娯楽を無限増殖的に情報として創造してくれるような真に理想の神ゲーとか、そういうのは自分で作るしかない、と”そう”思っている。
今までが絶対的にそうだった、他人になんて絶対に頼れないのだ、俺の人生の今までの経験からしてそうだったから
他人は頼れない、他人に真に頼れるような事はない、他人が作ったモノが”真に”俺の望みだった”こと”はない、ものはない。
真に理想的なモノは自分で作る以外に、絶対に現実は推移しない、という絶対の大前提の法則定理だ(現実とは?世界も、俺という現実世界を見る、見ている観測端末の性能など、真に真なる意味での全てを含めたって意味での、だ。)
これは未来永劫変わらないと思っている。
人生とは、常に現状が維持され続ける絶対の法則がある、なぜならより良くなる可能性と、より悪くなる可能性があるのだから、常に現状が維持され続けるのだ。
例えば代表例が俺の作っている小説だわな、こんなの意識高い系で、俺にとって意味と価値が凄くあるだけで、他人が見ても何の意味も価値もない典型例だ、他人が俺に真に頼れるような事は金輪際ないのだ。
こんな風に、真に技術力のある奴や、膨大な金や暇を持て余している奴でも、必要なモノは、必要とされるモノは作らないのだ、そういう風に現実や世界が推移する、因果律のようなモノがあると俺は見ている。
多分、世界を終わらせるのを嫌がる神様のような存在か、観測者のような超越的な存在が、人間の意志に干渉しているとしか思えない、それくらいに不自然な挙動をしている、現実や世界やその他すべてが、ね。
だが今回はどうやら、その因果の操作が及ばないパターンらしいゾ、ってのが最近の自然言語処理AIのアレコレで読めてきた。
でも、どうせコレも俺の理想は叶えられないんじゃないかと疑っている。
だから他人の範疇に含めて、コレに絶対に頼らない形での、真に心底からの理想の世界や現実などの構築に、まだまだ俺が主体的に全力で動く必要が、行動して色々と実践し続ける必要性が絶対必須だとも思っている。
そうだ、俺はAIに頼らない、AIがどれだけ使えるか全力で追っているが、AIに頼らない絶対の大前提で動く。
だから自然言語処理AIで、全部が無駄になりそうな努力や勉強とかの、モチベーションも僅かばかりも落ちないのだ、たぶんコレが本命だったのか?知らんけど、幾らかコレが大事だと思っている節がある。
そもそも真に理想的なAIが出てきたら、人間が不要で無価値で無意味で、今こうして生きている事も、、、つまり生きるモチベーションの根源もゼロになって奪われて、永遠に失われるのだからね。終わり。