その男、意味不明
今日は、なんだかいつもより賑やかだった。
どうも昨日他国から船が来て、その船員さん達が仕事を終えて飲んでいるらしい。
他国から船で来る際には、荒波を乗り越えなくてはならない。それは、想像出来ないほどとても過酷で、屈強な船員さん達も疲弊してしまうそうだ。
そんな船員さん達の、ささやかなパーティーのようなものだろう。
毎度来る船員さん達は、皆同じように酒盛りをしている。
「君はアルテナだよね?」
突然、声をかけられて、反射的に顔を上げた。
そこには、日に焼けたガタイの良い青年が、私を見下ろしていた。
短く刈り上げた金髪の髪に、丸い緑の目が嬉しそうにキラキラしている。
「以前にもこの街に来た事があるんだ。僕を覚えているかい?」
にっこりと微笑んで来る彼は、確か半年くらい前にも来た船員さんだ。
名前は確か、ポールさんだった。
ここまで、思い出して私はこの後どうしようかと困った。
以前、酔っ払ったポールさんに、中々しつこく言い寄られたのを思い出したのだ。
外の世界から来る船員さんは、この街を神聖な場所と捉えている人が多い。
そして、その住民に対しても同じように特別な存在と思っているようだ。
この街が住民を魅力的に見せるのだろうか。
船員さんが街の女性に声をかける事は日常茶飯事で、結婚して生涯を共にする者も多い。
ただ、街の女性が荒波を渡る船旅は不可能なので、船員さんがこの街に住む形になるが。
私は、ポールさんの顔から視線を外しながら、
「ごめんなさい。私、あなたの事、覚えてないんですよね。」
テーブルにあるワインを口に運ぶ。
ポールさんは、笑顔を崩さずに私の向かいの席に腰を掛けた。
テーブルに肘を立てて、頬杖を付くと、クスクスと楽しそうに話しかける。
「君は、前に会った時と変わらないね。
この間も素っ気なかったし、また来ると言っても私は覚えていないからって言われたよ。」
じゃあ、なんでまた話しかけるのだろう。
そう思いながら、私はワインを喉に流す。
「面倒だと思っている?つれないのは分かっているけれど、どうしても気になってしまうんだよね。
アルテナ、君の瞳の色のせいかなぁ。」
ポールさんが、ちょっと顔を近付けて私の瞳を覗き込んでくる。
その行動に私は、反射的に距離を取るように身体を後ろへ引いた。
私の見た目は、ほぼ一般的だ。
身長も高くもなく低くもないし、髪の色もよくある茶色。顔だって普通で目が大きいわけでも鼻が高いわけでもない。
以前一度だけ、笑ったら意外に可愛いかもと、酔っ払った仕事仲間の男性に言われたことがあるけれど、揶揄われたようだった。
一つだけ特徴があるとすれば、この瞳の色だ。
私の両目は、深い紫色をしている。
この町では青や茶色が一般的だし、船員さんたちの国も緑が一般的だ。
私の瞳はこの街というか、他国でも珍しい。
私に距離を取られたポールさんは、眉を下げて困ったように笑った。
「不躾だったね。ごめんね。」
でも、と言って頬杖をついていた腕をテーブルに下ろすと、今度は上半身をずいっと近づけて私の左頬に手を伸ばして来た。
ガサガサした大きな手が、私の頬を包む。
ポールさんからふんわりとお酒の香りがした。
これは結構飲んでいるな…と思う。
「この瞳は本当に吸い込まれてしまいそうになる。君はこの街の中でも、より神秘的だよ。
アルテナだけ別物のようだ。」
別物…確かにそうなのかも知れない。
私は、船員さん達と同じ、外の国から来た“らしい”。
らしいというのは、私が物心着く前のことであって全く覚えていないからだ。
私には一緒にこの街に来たという女性がいたらしいが、私を引き取った親からは産みの母ではなく頼まれたと言われたらしい。その人も、この街についてすぐに病で亡くなってしまったそうだ。
なぜ彼女は私を連れて簡単には来れないこの街に来たのか、気にならないのかと言えば気になるが、今の親もこの街も私の大切な場所だ。
私は今のままでいいと思っている。
「アルテナ」
ポールさんが、囁くように私の名前を呼ぶ。
目元が少し赤くなっているようで、若干目の焦点がおかしい。
これはまずいんじゃないか…?
身の危険を感じ始めた私は、左頬にある手を払おうとした瞬間、
ダンッ!!
と、大きな音と共にテーブルに料理の載った皿が置かれた。
力を込めて置いた為か、人参やらジャガイモやらが皿からこぼれ落ちている。
突然の大きな音に、私は固まった。
「おまちどうさま」
男の人の低い声がした。
なんだかその声はイライラしているようだ。
私の頬に触れていたポールさんの手が離れて、
「おい!」
不機嫌そうに料理を持ってきた男の人に大きな声を出す。
私は初めてそんな声を出すポールさんを見て、目を見張る。
優しく話しかける姿しか見ていなかったから、改めて荒波を乗り越えてきた船員さんなんだと思ってしまった。
船員さんのこの荒々しい感じが苦手なんだよな…
もともとのんびりした性格のせいもあるけれど、自己主張の強い人や大きな声を出す人が苦手だった。
開放的な船員さんたちは特に距離を置いていた。
普通は明るく愛嬌のある子が人気があるから、私のような子に滅多に声はかけないのだけど、ポールさんは稀な人だった。
「なんですか」
料理を持って来た男の人が、相変わらずイライラしたように答える。
その返事にポールさんが勢いよく立ち上がった。
ガタッと座っていた椅子が音を立てる。
まずい!ここで騒ぎは止めて!!
私は、店員さんとポールさんを止めようと顔を上げた。
そこには、眉間に皺を寄せてポールさんを睨むザークがいた。
2週間通っても会えもしなかった人が、こんなに近くにいる事に、私の体はまたしても動かなくなる。
私が固まっているうちに、ポールさんはザークの胸ぐらを掴むと、グッと自分の方に引き寄せて睨み返す。
お酒も入っているし、血気盛んな船員さんだ。これは乱闘騒ぎになるかも知れない。
私が頭の片隅で思った瞬間。
「ポール!こっちに来いよ!この子がお前と話したいらしいんだ!」
離れたテーブルにいた船員さんが大きな声でポールさんに声をかけた。
ふとそちらを見ると、4人の船員さんと2人の女の子がいた。
声をかけただろう茶色の短髪の男の人が手をあげている。その隣には、可愛らしいロングヘアーの女の子が恥ずかしそうに手を振っていた。
ポールさんは、ザークを睨みつけた後、声のした船員さんのテーブルをしばらく見つめる。どうやら、手を振っている女の子を確認しているようだ。
ザークが声をかけたテーブルをチラッと見た後、
「呼んでいるみたいですよ?」
とポールさんに話しかける。
チッとザークに舌打ちをすると、ポールさんはザークから手を離した。
どうやら呼ばれた仲間のテーブルに行くことにしたようだ。
一瞬ではあったけれど、ポールさんは私の方を名残惜しそうに見てきたが、すぐに背を向けて歩き出した。
向こうのテーブルでは、ポールさんが来たことを喜んでいる様だ。
席に着いたポールさんは、先程のロングヘアーの女の子の隣に座ってニコニコしながら顔を寄せている。ちょっと頬を染めている女の子は遠目から見ても可愛らしい。
ふと、先程声をかけてきた茶色の短髪の船員さんが、申し訳なさそうにザークに小さく会釈をしてきた。
それを見たザークは軽く首を横に振った。
船員さんは、ホッとした顔をして仲間の話に入っていった。
どうやら、騒ぎにならない様に気を利かしてくれたらしい。
はぁぁぁ。
私は大きなため息を吐きながら、椅子の背もたれに力を抜いて寄り掛かる。
緊張したのか怖かったのか。
感情が抜けた私にはわからないけど、すごく疲れた。
とりあえず、騒ぎにならなくてよかった。
そして、ポールさんももう私には絡まないだろう。
よかった…
ホッとしていると、上から視線を感じる。
顔を上げるとザークが、相変わらず眉間に皺を寄せて私を見ていた。
まだ、怒っているのかと思ったが、その瞳はなんだか悲しそうに揺れている様に見える。
「…勘弁してくれ」
ザークが小さな声で私に言ってきた。
ポールさんの件で迷惑をかけてしまったのだと思い、慌ててザークに向き合う。
「迷惑かけてしまってごめんなさい!
でも、どうしたらいいか困っていたから助かりました!ありがとうございます!」
「…そんなことはいい」
勢いよく頭を下げる私に、ちょっと困ったように、ザークの声がかかる。
そんな声に、パッと頭をあげてザークを見上げる。
眉間の皺は変わらないけど、目があったザークの瞳は少し優しく感じた。
いつもクールでちょっと冷たい雰囲気が良いなんて言われている人。
今まで私が見かけていたザークも、同じ印象だった。
珍しいものが見れたなぁ、なんて思っていたら、少しザークの顔が苦しそうに歪んだ。
そして、自分の胸に手を持っていくと服をキュッと握り込んだ。
私がその様子を見て、どうしたのだろうと思っていると、
「店が終わったら…裏口で待っててくれ。」
ちょっと苦しそうにザークが言う。
そして、今度はポカンとしている私を他所に厨房へ戻ろうと踵を返した。
今まで避けられていたのに突然どうしたのか?
沢山聞きたいことはあるけど、ザークは歩き出そうとしている。
とりあえず、私は急いで声をかけた。
「あの!
これ、私頼んでないです!」
ザークは、チラッと先程叩きつけるようにテーブルへ置いた料理を見る。
「やる。」
そう言うと、さっさと歩き出した。
ザークが立ち去って、もう一度持って来てもらった料理を見る。
私がポールさんに困っていることに気付いていたのかな?
わざわざ割り込んでくれたんだな。
自然に口の端が上がっていた。
持って来てくれた料理は、色々な野菜が入った炒め物だった。
たまたまだろうけど、私がよく頼むメニューの一つだった。