01.霧ヶ峰 秀平とIDW
僕ーー涼川道也の父が経営している、東京都内にある黒い屋根が目印の白い外壁のシェアハウス「スズカワ」にはとある噂がある。
「ねぇねぇ道也くん。いつも誰もいない例の一○五号室って、誰がいるのか知ってる?」
最近シェアハウスに入居したばかりの二十歳の湯丘一火さんが茶髪のボブカットをなびかせて、宿題を片付けている僕にそう話しかけてきた。ああ、またこれか、と僕は苦笑する。
「ええ、知ってますよ。僕の友達ーー霧ヶ峰秀平の部屋です」
「ええ!?お友達なんだ!それでそれで、どんな子なの?」
目をキラキラさせてテーブルに身を乗り出してくる湯丘さんを制しながら、僕はいつものようにつらつらとその噂について話し始めたーー。
霧ヶ峰秀平、十六歳。
都立宮神高校のニ年生で、僕の親友だ。
ここに入居したのは十歳の時。「両親が海外に遠征する」と双子の弟、初を連れて二人きりで大荷物を抱えてやってきた。二人共、銀髪で跳ねた髪型が印象的だった。
週一回高校に来るが、はっきり言えば不登校ってやつだ。理由を聞いたら「学校なんて行かなくても生きていける。勉強は自習で問題ない」だそうだ。
まあ、秀平は勉強も運動もそこそこというか結構出来るし、僕は別に「学校に来い」なんて強制はしない。先生たちがどう思ってるかは別だ。
そんな彼に、近年話題のVRMMORPG、「IDW」を勧めた。
このゲームはなんと、大型ゲーマー管理施設「クラウド」内にある意識や感覚を入れ込むことが出来るヘッドギア、「VRゴーグルヘッドホン」をして、更に意識や感覚を没入させることが出来る「ワープボックス」に入るとプレイヤー自身がゲームの世界に入って、生身で存在しているかのような感覚が味わえるのだ。
意識や感覚を入れ込む「フルダイブ」を対義語にするならば、このゲームは意識や感覚、自身の身体がゲームの世界に入れてしまうような感覚、「超フルダイブ」だ。
それはさておき、秀平はIDWで珍しい無属性のプレイヤー。職業は冒険者の剣士で種族は人族の一般人だ。
因みに僕は水属性。職業は冒険者で魔法使いで魔導書を使用。種族は人族の貴族。
まあそれは何でもよくて、秀平は他のプレイヤーと比べて優秀で、片手剣で岩を叩き切ったりプレイヤーを百人抜きをしたりしたものだから「破壊神」なんて異名をつけられている。秀平にその異名についてどう思ってるか聞いたら何も返事してくれなかった。まあ、僕はその「理由」を知っているが。
秀平は余程気に入ったのか、IDWに没頭し、帰ってこないことが多くなった。そのため部屋に居る時間が少なく、居ないと思われがちなのだ。
興味深そうに噂話を聞いて満足した湯丘さんに手を振ってから、自室で休憩しようと僕は階段を登り、ドアノブに手をかけた。
すると白いパーカにカーキのジャージというラフな格好をした少年ーー秀平が隣の部屋から出てきた。
「あれ、これからIDW行くの?」
「うん、まぁ」
曖昧な返事をした秀平は黒に赤のラインが入ったヘッドホンを耳に当てるとお揃いの色の音楽プレイヤーをいじり始めた。
「そうか……。僕も行こうかな」
「別に来なくても良いけど」
「いいや行く。今決めた。ちょっと待ってて」
扉を開けて部屋に入る。無駄な物は置かない主義の僕の部屋は誰に見られても綺麗だと思われるだろう。色は茶色に統一していて、デスクと棚、ベッドに観葉植物くらいしか置いていない。
まずは戸締まりを確認する。カーテンを引いてから、充電しっぱなしだったスマートフォンから充電器を抜いて、コンセントも抜いておく。
今は十月だから少し肌寒い。備え付けのクローゼットから一枚、空色のパーカーを取り出す。腕を通して鏡の前で整えれば、準備完了だ。
「おまたせ。行こうか」
扉を閉めて二人で階段を降りる。途中ですれ違った人たちに会釈をして玄関へと向かう。
「久し振りに行くなぁ。そういえばアップデートあったんだっけ?」
「素材が追加されたかな」
「お、そうなんだ。何か役に立ちそうなのあるかな?」
「食材がかなり多くなっただけ。料理の幅は広がったけどな」
「あー……。まあ武器の素材は毎回追加されてたしねー……」
玄関の備え付けの戸棚から二人でお揃いで買った黒のスニーカーを出す。
「……お揃いで買ったのに秀平は履いてくれないよね」
「サンダルの方が楽だからな」
「わかるけどたまには履いてくれよ」
スニーカーを履いて、紐を結んで立ち上がる。つま先を何回か地面に叩きつけると足がぴったり収まった。
「よし、行こうか」
意気込んでから、木製の扉を押して僕たちは外に繰り出した。
大型ゲーマー管理施設、「クラウド」。ビルと病院をかけ合わせたような近未来を感じさせる意匠になっている。ここに例の「IDW」に入れる「ワープボックス」がある。ゲームを作った会社がわざわざ「ワープボックス」を設置し、プレイヤーの体調などを観察する医療機器も設置していて個室とニ、三、四人部屋と大部屋を作ったという施設だ。一階には受付とイートインスペースと休憩室。イートインスペースは有名な店から珍しい店まである。休憩室は十部屋ほど用意されていて、大人数にも対応している。二階〜十階まではプレイヤーの為の部屋と休憩室、会議室がある。部屋ではもちろんIDWのプレイが出来て、休憩室は先程と同様で、会議室は別部屋になってしまった仲間同士で集合して、作戦会議が出来る。
「よし、入ろうか」
クラウドに入って関口一番に僕はスマホを取り出した。時刻は現在、午後四時五十ニ時分。スズカワを出たのがおおよそ三十分前で、そんな短時間でこんな場所に来れるなんて毎回驚いてしまう。
秀平が僕を見兼ねて、受付に向かう。
「予約していた霧ヶ峰です。追加で同室に涼川もお願いします」
「かしこまりました。まずは身体検査を行うのでセンサーの前にお立ちください」
部屋に入る為には二つ、チェックしなければならないことがあるのだ。
最初に身体検査を行う。以前は人間のみでの身体検査だったが検査で異物を見逃してしまい、ワープゲートに入った輩が刃物を持ち込んで事件になったのがきっかけでこのシステムを取り入れたらしい。
僕たちはなんら引っかかることはなく、ピコンと異物は何もないと知らせる電子音がした。
「それでは次に体温を測ります。そちらの画面の前にお立ちください」
次に顔認証システム型のサマールカメラのモニターの前に二人で立つ。秀平は三十五度五分、僕は三十六度三分と表示された。
「体調に問題はありませんか?」
「はい」
「僕も大丈夫です」
口答での健康観察も念入りする。頭痛やめまいなどがする場合は仮想世界に適さないからだ。体調不良などでゲーム内で倒れたら救護室はもちろんあるが極力それを使わないようにする為でもある。
「ご協力ありがとうございました。こちらがルームキーになっています。今日もごゆるりとお楽しみください」
受付の女性が丁寧に秀平へと鍵を渡すのを横目で見つつ、話しかける。
「久し振りだね。二人で行くの」
「なんでもいい。行くぞ」
せっかく雰囲気を出そうと普段はあまり言わないようなことを言ったのに秀平はそれに構わず、階段を上がっていく。
秀平が二人部屋を予約しておいてくれて良かった。こう見えて秀平は寂しがり屋だから、僕を誘って行くつもりだったのだろう。
三階につくと、予約していた部屋を見つけたのか、早歩きになる。到着して番号を見れば、二○五号室だった。
鍵を開けて扉を開けると、自動的に照明がつく。靴を脱いで中に入ると両脇にはキッチンと洗面所兼お風呂がある。そしてワープボックスと繋がっているログインパソコンと、心電図、呼吸、血圧などを表示する機器の「生体情報モニタ」とテーブルが置いてある、十二畳くらいのリビングへ向かうと、監視員二人が頭を下げた。
監視員とは、を監視していてくれる人たちだ。僕たちの身体を守ってくれる人でもあり、医療や合気道などにも通じている。自分の専属を雇う人をいるらしい。
「今日はよろしくおねがいします」
「こちらこそ、よろしくおねがいします」
挨拶をしてから、監視員は一度去る。まずは服を脱ぎ、病院で使われる患者衣を着る。性能は全く同じで軽いのが特徴だ。
着替え終わると、荷物と着替えを備え付けのロッカーに入れてロックする。
次にパソコンにIDWののログインIDを入力する。すると「ようこそ『道也』さん!」と表示される。
VRMMORPGをやるからには水分補給とトイレを済ますのが大事だ。サイドテーブルに置いてあった2つのうちの一つのペットボトルの水を、なんとか飲み切り、ゴミ箱に捨てる。トイレから戻ってきた秀平と入れ違いになってトイレで用を足す。
そしていよいよ黒の棺にも見える、様々なコードが穴から伸びているワープボックスに入る。VRゴーグルヘッドホンをし、仰向けになって態勢を整える。
監視員がやってきて、血圧を測定するカフを上腕に巻きつけられ、血中酸素濃度を測定するパルスオキシメーターを指に取り付けられる。次に体温を測定する体温プローブを体表に装着した。最後に電極を胸に貼られる。これでほぼ準備完了だ。
「いい、秀平?」
「ああ」
落ち着いた声を聞き、なんとなく安心した。監視員に「お願いします」と一声かけるとワープボックスの透明な蓋が徐々に閉じる。閉鎖的な空間は少し落ち着かないが、まもなくゲームの世界へとダイブするため高揚感がある。
二度ほど電子音がなると、「合言葉を発するとダイブを開始します。」と表示されたので目をつぶる。そう、その合言葉はーー
「ゲート、オープン」
僕たちの意識は暗闇の中、ゲームの世界へ解き放たれた。
目を開けると青白い光に視界が包まれたかと思えば、すぐにセーブデータが読み込まれて僕たちは「IDW」での格好で前回のセーブ地点に立っていた。
眼前に広がる広大な草原にはところどころに針葉樹林があり、狼煙が立っていた。大体の確率で狼煙の下では炎を炊き、キャンプを開いているプレイヤーが複数人いる。
「相変わらずすごいねこのシステム。ね、『シュウ』」
ちなみにこの仮想世界ではコードネームがつけられる。僕はそのまま「ミチヤ」、秀平は「シュウ」という名前で活動している。
「社長とやらに感謝だな」
「シュウが感謝するなんて……。よっぽどこのゲームが好きなんだね」
「うるさい。早く行くぞ」
シュウはそっぽ向いてどこか行こうとしてしまう。ふと、僕はシュウの格好に違和感を覚えてこちら側にぐいと引き戻した。
「あれ、シュウ。前はライダースジャケットだったのにコートになってる?」
「……そうだけど」
よく見るとシュウはところどころに黒いファーがついているカーキのロングコートを羽織っていた。腰には二本の茶皮のベルト。それにはポーチが二つ装着されている。そして、下のシャツとパンツは黒で統一されているようだ。茶皮のショートブーツは相変わらず履いているみたいであるが。
「ええーいいなぁ。僕もこの空色のベストは嫌いじゃないんだけど……ブラウスとナポレオンブーツ?だっけ。この中世の貴族みたいな格好飽きたし防具買いに行きたいなぁ」
「俺は行かないぞ」
「だーめ。シュウだけ服変わってるのずるいから強制」
ぐいぐいとロングコートを引っ張るとシュウはポーチを漁って、手のひらサイズの刀身に赤のラインが入っている柄が銀色の黒い剣を出した。脅しのつもりかなんなのか、右腕についている手のひらサイズの物を実際の大きさにすることが出来る、赤い円形が飛び出している灰色の楕円型装置「オブジェクトバンド」にかざそうとした。
「武力行使は禁止」
「それはミチヤが勝てないからだろ」
「別にそんな訳じゃないし」
「だからって……」
「はい取った」
シュウから手のひらサイズの黒い剣を奪い取り、ポーチに放り込んだ。にひひ、と僕が笑うとシュウはやれやれと手を差し出してきた。
「おい、武力行使しないから返してくれ」
「んー……。一緒に防具屋についてきてくれるなら返してあげるけど」
「なんでそんな上からなんだ?」
「たまには良いでしょ」
「……わかった。行くから返してくれ」
「ん。はいよ」
いつもなら引かないシュウが珍しく引いてくれたので僕は喜々として手のひらサイズの黒い剣を返した。
「じゃあ、約束通り防具屋に行こうか」
「ああ」
先に歩き出したシュウを見て、ふと頭によぎった疑問に僕は顎に手を当てて首を傾げた。
ーーねぇシュウ。君がこの世界に没頭して、破壊神の名を嫌う訳って……。
そう声をかけようとしたが、シュウが「行かないのか」と言わんばかりにこちらにじっと視線を合わせたまま動かなくなったので、僕はまぁいいか、とため息をついて草原を踏み出し、防具屋へと向かうことにした。