透明ガラスの内側で
『みんな泣いている』
連日、店の入り口に貼られ続けている張り紙。
開店前にそれを見つけてはすぐに剥がす。オーナーに報告。ため息は、何度聞いただろうか。
「他に被害はないよね? 張り紙だけで収まってればいいけど……何かあったらすぐに報告して。以上、今日もよろしく」
ここはペットショップ。
見栄え良く、また店内がよく見えるようにと通り沿いは一面ガラス張りとなっている。
入り口もガラス窓となっているので、件の張り紙はとても目立つ。
簡潔な朝礼を終えて、数名のスタッフで開店準備と生体のお世話を始める。
お腹を空かせた子猫や子犬達があどけない声を張り上げて催促している。
排泄物で汚れたトイレを取り除き、踏み散らして汚れてしまった子犬の体を拭ってやる。
綺麗に整ったら、他のスタッフが用意してくれていた、柔らかくふやかしたフードを与える。
みんな、よく食べる。
その間にショーケースをぴかぴかに拭きあげる。
ここが店で一番の要。内側は生体の汚れが、外側には客が触れた手垢の汚れでびっしり。
曇りのないよう、よくよく確認して手に持った雑巾を滑らせた。
値札の入ったポップケースも、同様に。
(価格、上がったなぁ……)
通常時より二倍に膨れ上がった生体価格。
コロナ禍で家にいることが増えた人々は、ここに癒しを求めるようになった。そのためペット需要は大いに高まった。
価格が上がっても売れる生体。
しかし、手を出しにくくもなった。
売れ残る子達は、どれほどいるのだろうか。
(安易に買われなくなって良し、売れ残りが増えて悪し)
コロナ終息後はペットの飼育放棄も懸念されている。
今までは家にいた主人が、ある日から突然まったく家にいなくなるのだ。仕事だと言って通じるのは人間だけ。
犬にしてみれば驚きと不安でしかない。
分離不安は破壊行動に繋がり、部屋を荒らす。吠え続けて喉を枯らす。
人間にとっては、厄介な問題行動となる。
(ハウストレーニングこそ有効なのに、みんなそれをしない。安心できる居場所を作ってあげるのは、飼い主の務めなのに)
ハウスに閉じ込めることの何がかわいそうなのか。
いわばクレートやサークルは、その子のお部屋だというのに。囲いがあって安心できるのは、人間も同じだろう。
ふと、店の外に紙がひらりと落ちた。
落とした人影は走り去ってしまう。不審に思い、外に出てみると。
あの張り紙だった。
(『みんな泣いている』ねぇ。『鳴く』の間違いでしょ。子犬なら)
張り紙を持って店内に戻ると、他のスタッフがショーケースに子犬達を入れていた。
単体で入っている子がいれば、相性をみて複数で入っている子達もいる。
その中の1つで、「キャンッ」と悲鳴が上がった。
「こらこら、だめだよ〜」
スタッフがケンカしている子達を引き離す。
その手に、遊びたがりの子が我先にと飛びつく。加減なく齧り付く。
スタッフの手には赤い引っ掻き傷がついた。
(生後2ヶ月。親から引き離すには、早すぎる)
生後1ヶ月〜3ヶ月が子犬の社会化期だ。
その間に子犬は兄弟達とじゃれあい、遊び方や力の加減を学ぶ。やりすぎれば母犬が叱る。
人慣れもその期間は有効だが、ペットショップのように不特定多数でなくてもいい。飼い主が愛情をもって接すれば、それだけで社会化に十分な影響を与える。
それを学べなかった子達は、性格に不安定な面が出やすい。
(『泣く』。あながち、間違ってないのかもしれない)
人間の都合でつくられていく “ペット” 達。
親兄弟から早くに引き離され、ショップによっては見栄えのために食事を少なくされることもある。
流行りによって価格は変動し、流行りのために買われていく。
迎えられた家庭で幸せに過ごす子がほとんどだとは思う。
そこまでの過程が過酷だからこそ、それ以上の幸せを与えてあげてほしい。
(それでも、迎えられた家庭で必ず幸せになるとは限らない)
その一端を担うのが、私たちショップ店員なのに。
犬猫が好きだからと希望に満ちてこの業界に踏み込み、現実に打ちのめされる。
かわいいだけじゃどうにもならない。生体は “商品” であり、私たちはそれを売る側の人間だ。
売れ残った生体の先を憂いていても、買われていった生体の先を案じていても、また新たに “商品” である生体はやってくる。
私たちは売り続けなければならない。
(君は売れる。顔も柄も整っているから。君は難しいかもしれない。目が離れすぎちゃって、バランスが悪い)
大好きなことを職にして、それが私を締め付ける。
ただ「かわいい」と愛でていた過去の自分は、今ではこんなに冷淡に冷静になってしまった。
自分自身を守るために。
自分の生活を守るために、無意味な尊厳を守るために。
辞めることは、逃げにしかならないから。
(私も、泣いているのかもしれない)
ペットショップという透明ガラスの内側で、どうしようもない現実に抗うこともできず。
さらに小さな箱から見つめる無垢な瞳に見つめられながら、愛想笑いを浮かべて。
『みんな泣いている』
張り紙は、私の中に貼られ続けていく。