変身
シュウはユイの作った朝食を綺麗に食べ終えていた。
「ご馳走様でした! 本当においしかったです! ありがとうございました!」
手を合わせ、素早く深くお辞儀をする。体育会系か、ここは運動部の合宿所か、とユイは思わずツッコミたくなった。
「……コーヒー、好き?」
「え。はい、好きです」
「これ、とってもおいしいやつなんだ」
ユイは食後のコーヒーを丁寧に淹れた。ちょっと値段の張る専門店のいいコーヒー。北欧風のイメージでまとめられたナチュラルで清潔感のある女性らしいユイの部屋は、たちまち安らぐ香りに満たされた。友達が遊びに来てくれたときや、自分が頑張ったときに自分へのご褒美として淹れる、とっておきのコーヒーだった。
「それで……、私の家にいるっていうわけ?」
一通り昨晩のことを聞いたが、あまりに現実離れした話なので、まるごと受け入れるわけにはいかなかった。しかし、とユイは思った。凛とした佇まい、聞き手であるユイを気遣いながら話す一方的ではないシュウの穏やかな声、ときに強く真剣な光を瞳に宿すけれども柔らかな表情、それから綺麗な箸の運び方――気持ちいいくらい私の作ったごはんをどんどん食べてくれる!
それらを知るうちに、確実にわかったことがある。それは、彼の話は奇想天外なものではあるけれど、彼にとっては「真実」なのだということ――このひとに、他意はない。自分が信じることを、ただ真摯に話しているのだ――ユイはそう解釈した。
でも、そうは思っても、その「仮説」もなんだか納得がいかなかった。
――このひとが「妄想」とか「思い込み」で生きているとも思えない……。今のこの状況を、目の前の不思議な魅力を持つこのひとを、一体どう判断したらよいのだろう。そして、私の不安との奇妙な符合は一体……。
悪夢を見続けていることや漠然とした不安を抱えていることを言い当てたのはただの偶然、と思いつつ、無視できないなにかがあるとユイは感じていた。
とりあえず、なにか訊いてみよう、ブラックコーヒーを一口飲んでから、ユイは口を開いた。
「ええと、それじゃ、キツネ……」
――なんて名前だっけ。
「狐ヶ月シュウです。シュウでいいです。ユイさん」
自分の名を不意に呼ばれてユイはどきりとする。
「あ! 誤解のないように言っておきますが、昨晩ご自分から名字じゃなく名前で呼び合おうって……」
慌ててシュウは弁解した。なんでも昨晩ユイは、「私のことはユイって呼んで! あなたのことはシュウって呼ぶ!」と十回くらい高らかに宣言していたという。
「十回……」
下心うんぬんのやりとりも十回、名前の呼び方でも十回、つくづくめんどくさいやりとりだったろうなあと自分のことながらユイは内心頭を抱えた。
――あ……!
唐突に、ユイは進行し続けていた異変に気付いた。
――まさか、そんな、どうして……!
つい先程までなにかを訊こうと思っていた。しかしその前に、すでにユイはシュウの話を信じる気持ちになっていた。目の前に、はっきりとした奇跡が出現していたのだ。目の前に提示された小さな奇跡。今まで青だったシュウの髪や瞳が、ゆっくりと時間をかけて、静かに、密やかに、黒い色へと変貌を遂げていたのである。
光の加減でそう見えるのかと思っていた。しかし話が進むにつれ、シュウの髪や瞳の色は、少しずつ、少しずつ、しかし確実に変わっていった。閉じていた花びらがほどけていくような自然な変化。気がつけば今でははっきりと、漆黒の髪、茶色がかった黒の瞳に変わっていた。
「そんな、不思議なことって……。本当に……? ということはもしかして……。もしかして、今までの話もすべて、本当……?」
「やっと、私の話を信じてくださるようですね。よかった……。私が力を使ったとき、そしてその後しばらくは、髪と瞳が青の色になっているんです。昨晩貴女にお会いしたときは普通の黒髪に黒い目でした。普通の日本人の髪と目、それが通常の私の姿です」
いくら酔っていても、さすがに髪や瞳の色が青かったら少しは印象に残るだろう。昨晩はまったく普通の色だったから、今朝初めてシュウと出会った気がしていたのだ、ユイは合点がいった。
シュウの美しい顔には疲労の影が色濃く見えた。
「ユメクイとの戦いはこれからです。それにしても、私の特殊な体質がたまには役に立つものですね。信じてもらえて本当に……、よかった……」
安心したのか、おなかがいっぱいになったせいもあるからか、言い終えるか終えないうちに、シュウはばったりと倒れるようにその場で眠ってしまった。
「えーっ!? そこで寝るーっ!?」
思わずツッコミを入れるユイだった。