シュウ
「……突然見知らぬ男がこんな奇妙な話をして、信じてほしいと言っても無理なのはわかっています。しかし、時間がないのです」
「時間がない? そうだね、終電はたぶんもう間に合わないよねー!」
「いやそういうことではなく……」
深夜ではあったが、街の光はこうこうと輝き、人工的な明るさで辺りを満たしていた。行き交う人の数はまだまだ多い。空を見上げると柔らかな光の満月が見えるが、月を気にする人はいない。不思議な会話をしている、若く美しい男女のことを気に留める人もいなかった。
ユイは改めてシュウの顔を見つめた。とても鋭い目をしているけど、まるで女の子みたいだな――と思った。ただ表面的に綺麗な顔立ち、というだけではない、内奥から匂い立つような、同性異性を問わず人を魅了するなにかを持っている。
――たぶん、お金をだまし取る目的で声をかけてきたんじゃない。このひとはそんなひとじゃない。少し話しただけだけど、話し方や表情やしぐさ、雰囲気から伝わってくるのはまっすぐな人柄だ。そして、私を見る真剣な眼差し、その奥には、熱いものが混じっている……、ような気がする。そうだ。話の内容はとっても変だけど、やっぱりこのひとは今、私を誘っているんだ。このひとは、きっと、私を異性として、「女」として見ている。だから声をかけてきたんだ……、自信はないけど、なんとなくそんな気がする。力強い光を放つ綺麗な瞳、なんだか吸い込まれそう……。
「家に、くる?」
春の満月。月の神秘の力がそうさせたのか、それとも単に酒の力がそうさせたのか。はたまた、シュウが無意識に放つ、月光を浴びて妖しくきらめく日本刀のような神秘的なオーラに呑まれたのか、ユイの口から思わず、今まで自分から発したことのない言葉がこぼれ出していた。
「はい。ぜひとも貴女のお宅に伺いたいです」
あれ? 即答? とユイは少し酔いが醒めた。もう少しそれなりのムードってものが……。酔いが醒めると同時に、ガラにもなくとんでもないことを口走ってしまった、という後悔の念もむくむくと湧いてきた。
――私、どうかしてる。私、そんなこと言う人じゃないのに……。
ユイの心の変化などおかまいなしにシュウは話を続けた。
「貴女の中に潜んでいる魔獣『ユメクイ』は、夢に住み夢を喰らいます。ゆくゆくは精神を、心を喰われてしまいます。ユメクイを退治するには、夢の中に入って戦わなくてはなりません。そのために貴女が眠っている間、私を側にいさせてください」
――夢の中に入って戦う? そんなばかな!
「あなたは夢の中に入れるっていうの?」
明るく笑うユイ。きっとそろそろ笑い返してくれるに違いない、おどけながら、だから君と一夜を過ごしたいんだ、一緒に素敵な夢を見よう、とかなんとかうまいこと言ってくるに違いない。まったく男ってヤツは、とユイは思った。しかしシュウは笑わなかった。
「はい。夢に入るとき、そして入っている間、貴女の手を握っていなくてはなりませんが」
「手を握る?」
「はい。直接精神世界に入るのに肉体的接触が必要なんです」
ユイは改めてシュウの瞳を見た。澄んだ瞳。
「私が男だからご心配かもしれませんが、誓って変なことは一切致しません。しかし、現状を把握することや、貴女の夢に他者が介入するわけですから貴女の精神を安全に保つためにも、そして決戦前の下準備のためにも段階を踏むことが必要なので、今晩一晩ですぐ解決、というわけにはいかないです。少なくとも三晩はかかるかと思います。さらに、昼間も油断はできないので、日中もなるべく行動を共にさせてください」
「変なことはしない?」
「はい。やましいことは何も」
「行動を共にする?」
「はい。ユメクイの動向を感知するため、それから動きがあったときにすぐに対応できるようにするため、なるべく貴女の近くにいさせてください」
「一晩中手を握る?」
「はい」
「それも三晩?」
「はい」
「下心がないと?」
「はい」
「少しも?」
「……はい」
正直に、返事に少し間が空いてしまった。男なのでまったくゼロか、と問われると少々辛い。
「ふーん?」
「……わかって、いただけましたか?」
おそるおそる尋ねるシュウ。
「うん! やっとわかった! そっか! 近年話題のレンタル彼氏とか、男女の友達同士が添い寝をしても平気とか、そういったたぐいの話なんだ! もしかしてレンタル彼氏の営業さんとか?」
先程の酒席でちょうどそんな話題がのぼっていた。お金を払って彼氏のようにお話したりデートしたりしてもらうサービスがあるという話や、異性の友達同士が添い寝をしても平気、友達としていられる、という若者達が増えているらしいというような話だった。ユイには信じられない世界だった。
「違います」
どうしてそんな方向に話が……。肩を落とすシュウ。
「じゃあやっぱり下心があるんでしょ?」
「違います。魔獣という怪物が……」
そんな不毛なやりとりを二人は十回程度繰り返した。シュウは常に冷静で、慎重で、粘り強かった。夜の闇はどんどん深く濃くなっていく。
ユイはだんだん眠くなってきた。立ち話もなんだ、と思う。
「まあいっか。なんでもいいや。じゃあそろそろ家に行こっかー! とりあえず、ゴー!」
ユイはもうこの奇妙な出会いが勧誘かナンパかどうかなどどうでもよくなっていた。
――とっても綺麗なまんまるお月様。酔った頬をなでる風も心地よい。なんだか変わっているけれど、美しく面白い男の子。こんなかわいい弟もいたらいいかもしれない。素直に、今日は楽しい日。心の中の濁った淀みも、このひととなら一緒に過ごすことで失くしてしまえるかもしれない……。
そのときユイの中でシュウは、いつの間にか「見知らぬ男」ではなくなっていた。