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願い ―わすれな草の海―  作者: 吉岡果音
第一章 出会い
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見知らぬ男

 柔らかな日差しが差し込む部屋で、ユイは夢の世界から静かに帰還する。

 このところ、ひどい悪夢ばかりだった。内容は覚えていないが、暗い印象のとても恐ろしい夢。わずかに記憶に残るのは、おぞましい姿をした巨大な怪物が出てくる、ということだけ。眠ったはずなのに、疲れがまったくとれない、むしろ前日より疲労がひどくなっている気さえする、そんな毎日になっていた。

 その悪夢を見る度に、自分の中の大切ななにかが削られ、少しずつ失われていってしまっているのではないか……、どういうわけかそんなばかげた考えがまとわりつくようにユイの頭から離れない。ユイ自身も説明できない漠然とした得体の知れない不安が、心の奥深く澱のように沈んでいた――。

 だが、今朝はなぜか違っていた。久しぶりの穏やかな眠り。昨晩は、会社の親しい仲間との飲み会だった。


 ――アルコールのおかげ、かな? 夢も……見たかどうか覚えてないや。今日は……ええと、日曜だ! よかった、今日は休みだ!


 ユイにとって楽しみのはずの休日だが、今日はなにも予定がない。いや、予定がないのではない、入れなかったのだ。なぜか予定を入れる気になれなかったのだった。

 友人にバーベキューに誘われていた。いつもなら、残業続きの日々であろうと体調が少しくらい悪かろうと、大喜びで参加しているところだった。なぜかどうしても行く気にはなれず、つい断ってしまった。昨晩の飲み会すら実は欠席したかった。前からの予定だったし、なんとか気持ちを上げるようにして参加した。実際、行ってみるといつもと変わらずとても楽しかった。なぜ、行きたくないなんて思ったんだろう――ユイは自分でも不思議に感じていた。


 ――今日はなにをして過ごそうかな。一日いいお天気になりそう。でも……。


 天気に恵まれた休日。ベッドの中にいても感じる、爽やかな空気。今までのユイなら、一人でも迷わず午前中からどこかへ出かけていただろう。しかしどういうわけか、ちょっと外出する気にさえなれなかった。


 ――きっと、疲れているんだ。そうだ。今日はのんびり家で好きなことをして過ごそう。


 とりあえず、録画して楽しみにしていたあの映画、「アリス」を観ようかな、とユイは考えた。ヒロイン役の女優も大好きだし、気軽に楽しめるような映画らしいので、気分的にちょうどいい気がした。映画を鑑賞してもまだまだ時間はたっぷりある。景気づけに久しぶりにチーズケーキでも作ろうかな、「景気」と「ケーキ」か、くだらないと思いつつなんとなくユイは笑ってしまった。

 ぼうっとした頭でとりとめもなく一日の過ごし方を考える。起床前の楽しいひととき。ゆっくりと移り変わる日々を、自分の好きなペースと自分らしい色合いで自由に彩っていきたい、一人暮らしも長くなってきたユイのささやかな願いだ。

 ユイは、「自分の信じる世界」、そして平凡だが穏やかな「自分の日常」は、ずっと変わらないものだと思っていた。というより、疑うことすら知らなかった。ベッドの脇にいる、ある存在に気がつくまでは……。


「えっ!?」


 夢の、続きだろうか。自分はまだ目覚めてはいないのだろうか。アルコールには強いほうだが、昨晩は少々飲みすぎた。ユイは自分の目を、映像を情報として捉える自分の脳を、一瞬疑った。しかし、夢や幻などではない、「現実」だった。現実に、いつもの日常とは違う光景がそこにあった。

 「見知らぬ男」が佇んでいた。


 ――なぜ、ここに、男が。


 いつも見慣れているはずの空間が、お気に入りの物たちで居心地よく飾られた自分の部屋が、男の存在でどこか大きく変わって見えた。それだけでなにか――空間自体が異なる命を得たかのようだった。

 男は、とても小柄で細身だった。しかし堂々とした存在感があり、その男の周辺だけ空気があきらかに違っていた。ただそこに立っているだけなのに、静かに燃え上がる青い炎のような気迫も感じられる。一見して、若い。強い光を宿す鋭い目つき、狐のようにつりあがった切れ長の目が印象的だ。端正に整った細面の顔立ちで、どこか気品がある。率直に美しい男性だ、と思った。あきらかに幽霊などではないと思うが、ひょっとしたら、天使とか悪魔とか精霊とか、人間ではないなにか別の次元の存在なのではないか――そんな幻想を抱かせるような謎めいた美貌だった。服装は黒っぽいシャツにダークな色調のジーンズ。ファッションには特に主張や個性は感じられないが、なぜか髪の色は深い青だった。そして瞳も同じ青い色をしていた。雄大な海のような神秘的な青……。髪は染めているか上質なウィッグなのだろう、変わった色だがなぜかさほど不自然な感じはない。瞳は――顔立ちや体格から日本人に見える――カラーコンタクトか、とユイは思った。


 ――バンドマンかコスプレってやつ?


 一瞬にして様々な情報を読み取ったユイだが、どうにも頭の回転は鈍く、ただただ目を見開いてベッドの上に上半身を起したまま固まってしまった。


 ――悲鳴を、あげるべきだ。侵入者を糾弾すべきだ。


 ユイの理性はそう訴える――でも、なにか違う気もする――ユイの体と心は命令に反応せず、どういうわけか訴えを保留にしていた。


 恐怖心はなかった。威圧するような強く鋭い存在感があるが、なぜだろう、嫌な感じがまったくしない。 でも、ここは私の家、私の部屋だ。許可なく勝手に存在していいわけがない。ここはやはり警察に――ユイはここまで考えてから、ふと思い立つ。果たして、この男は本当に「見知らぬ侵入者」なのだろうか。


 ――そういえば昨晩、なにかあった気がしてきた。自分はこの男性を知っているような気がする……。


 「誰!?」とユイが口を開くより一瞬先に、男が声を発した。


「おはようございます。朝になりました。私は眠ってもよいですか?」


 ユイは手元にあった携帯電話をつかみ、男めがけて投げつけた。

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