あたたかな、手
シュウは大人しくユイのベッドで眠っていた。ドライヤーをかけるとき、起きてしまうだろうなと思ったが、深い眠りなのか起きる気配はまったくなかった。そういえば、今朝シュウが寝ているときもユイはシャワーを浴びてドライヤーもかけていたが、やはり深い眠りのままのようだった。もしかしたらどんな状況でも眠られるように体を習慣づけているのかもしれない、とユイは思った。
髪を乾かし終わり、お風呂上がりのスキンケアも終了、今夜はこのまま眠らせておいてあげようか、とユイが考え始めた頃、シュウが目を覚ました。
「本当にありがとうございました。おかげ様ですっきりしました」
「朝まで寝ていてもよかったのに」
「それじゃなんのために私がいるのかわからないですよ」
シュウが笑顔で答える。
――シュウの笑顔、ああ、なんてほっとする笑顔。好きなひとの笑顔ってこんなにもパワーをくれるんだ!
いつもは大好きなバラエティ番組を観ている時間だが、シュウの強い勧めもあって、早めに就寝することにした。ユイはベッドに横になり、すぐ隣の床にシュウが座る。
「……とは言っても、なんだか緊張して眠れないかも……」
側にシュウがいる、いまさらだけどそんな状況で眠れないよ、自分の寝顔を見られるのもやっぱり恥ずかしいし――ユイは緊張していた。
「大丈夫ですよ。体が睡眠を要求しているはずです。すぐに眠れますよ。もちろん、先程のようなユメクイによる恐ろしい眠りではありません。普通の睡眠です。怖くありませんからリラックスしていてくださいね。ユイさんが眠りにつく頃、手を握ります」
いよいよこれから戦いが始まるのだろうか――不安がユイの胸をかすめる。
「……夢の中で戦うって、どうやって戦うの?」
「戦いの基本は精神力です。意志の力で戦います。武器も戦闘能力も、すべてイメージを強く持って具象化させていきます」
「精神力……」
「舞台は夢の中ですから、現実の身体能力は関係ありません。まあイメージしやすくするために、実際にも身体を鍛えておくことは大切ですけど……。様々な魔獣がいる中、術を持って主に精神力で戦う私にとっては、ユメクイはある意味好都合な相手といえます」
好都合、といっても、そこに相手の個体の強さは加味していない、ということは言わないでおいた。もちろん、生死をかけた戦いに、絶対的なものはなにもない。
それから、シュウは少し考え、言葉を選ぶようにして続けた。
「大丈夫だと思いますが、念のためお話しておきます。ユイさんがユメクイに関係する夢を見られないように術を施しておきました。そして、そういった夢にはユイさんが登場しないよう厳重にガードしてあります。しかし、もしかしたら夢の中の出来事を垣間見てしまうこともあるかもしれません。そのときは、本当にただの夢、単なる夢なんだと思って気にしないでくださいね。そして、夢で起こっていることに決して関心を持ったり感情移入をしたりしないようにしてください。あまり強い感情を抱くと、ユイさんも夢の中に入ってしまう可能性があるんです。……夢主の力はとても強力です。ユイさんの強い感情は、私の術を超えてしまうかもしれないんです」
夢主の力はとても強力……。そうか、私の夢だからか、自分の夢だから自分が力を持っているのは当然のことなのだろう、とユイは理解した。
「夢に私が登場したら、どうなるの?」
「まず、私の場合について説明しますが、他者である私がユイさんの夢の中でユメクイに攻撃されてしまったら、現実の私の肉体にそのままダメージを受けます。夢主のユイさんが夢に現れてユメクイに攻撃された場合、肉体的なダメージはありませんが、精神面になんらかの悪影響を受ける可能性があります。やはり大変危険です」
ユイにとって衝撃的な話だった。ユイが受けるかもしれないダメージについてではなく、シュウのことがただただ心配で、心が張り裂けそうだった。
「シュウは……本当に……、大丈夫なの?」
絞り出すような声で尋ねるユイ。愛らしい唇がかすかに震えている。どうしてもつい悪い想像ばかり浮かんでしまう――また涙が溢れてくる。シュウの姿がかすむ。
「大丈夫ですよ。私を信じていてください」
大丈夫、そんな言葉しかシュウには見つけられなかった。
――ユイが笑顔になるのなら、何度でも、そう何百回でも「大丈夫」、と言うつもりだ。でも自分は言葉でうまく伝えられない。ならばどうしたらユイを安心させることができるのだろう。恋人同士だったら、こんなとき抱きしめてあげればいいのだろうと思う。でも、自分がしてあげられることは……。
シュウはそっとユイの頭を、しなやかな髪を撫でた。そして、溢れた涙を細い指で優しく拭ってあげた。
思いがけない肌のぬくもりに、ユイは驚いた。驚きのあまり、涙はすぐに止まった。
「大丈夫ですから、もう泣かないでください。何度も泣かせてしまって……、すみません」
お互い交わす視線がぎこちない。でも、少し遠慮がちにユイを見つめるシュウの瞳の奥には、揺るぎない強い光があった。
「……シュウが謝ることないのに……。ごめんなさい……」
シュウは微笑みながら静かに頭を横にふった。
「ユイさんが謝ることはないですよ。ユイさんはなにも悪くない」
ふだん話す口調とは違う、深みのあるささやくような声だった。ユイは波立つ心が不思議と凪いでいくのを感じていた。
シュウの手が、ゆっくりユイの頬を撫でる。宝物に触れるような、とても優しい手。
「さあ。安心して眠ってください」
そんなことされたら余計眠れなくなっちゃうよ、とユイは思った。
――あたたかいシュウの手。繊細な手だけど、なんだかお父さんみたい。ああ。そういえば、シュウは私より年上なんだっけ――
シュウがユイの手を握る。
――シュウは、手を握るとき、どきどきしないのかな。私はとっても……。
ぬくもりに包まれ、ユイはゆっくりと眠りに落ちていった。




