確信と不安の間
家に帰ると、ちょっとした問題が待ち受けていた。お風呂と仮眠問題だ。……まったく些細な話だが、シャイなシュウにとっては少々ハードルが高かった。
「先にシュウがお風呂に入ったら? そのあと私がお風呂に入ったり髪を乾かしたりしている間に、シュウはベッドで仮眠をとっていたらいいと思うの」
シュウは絶句した。お風呂、と聞くだけで色々考えて――そう。思わず色々、考えるのだ――、赤面してしまうというのに、先に入る――ただただ申し訳ない――、そのうえユイのベッドで――さらに色々考えてしまう。大丈夫か、理性――、仮眠――そんな状況で仮眠なんてできるのか?そしてやっぱり大丈夫か? 理性――、だと……!?
「そんな……! 申し訳ないですよ!」
やっぱりシュウは遠慮しちゃうよね、と思いつつ、ここはシュウのためにこちらが強く出なきゃ、とユイは思った。
「家のお風呂は朝すでに入ったよね。床だったけど、仮眠もすでにとったよね。なにをいまさら……? 眠れなくたって、少しの時間でもちゃんとベッドで体を横にしていた方が絶対いいと思うよ」
ユイだってどきどきする。意識し始めると際限なくどきどきする。しかし、健康にとって睡眠は非常に大事なことだし、短い時間でもちゃんとした寝具で眠ったほうがいいに決まっている。ここはユイの家だ。ユイが提案しないことには話が進まない。
「横になるのは、ベッドじゃなくて大丈夫です! 雨露しのげるだけでも本当にありがたい話なんです、だからほんと、大丈夫です!」
うろたえる様子のシュウ。
「私のベッドだから、嫌なの?」
わざと意地悪く言ってみる。
「そんな訳ないじゃないですかっ!」
本当に顔が真っ赤だ。
「じゃあ、めんどくさいからもういっそのこと、一緒にお風呂に入っちゃおうか? そうだ。一緒に入ろ?」
もちろん、冗談である。
「……先にお風呂をお借りして、その後ベッドもお借りします!」
……いちいち「面倒くさい男」ではあるが、うまく誘導すれば「操縦しやすい男」、でもあった。
ユイは湯船につかりながら、今日一日のことを振り返った。
――全然普通じゃない、ありえないことばかりの一日だった。ユメクイは、ゆくゆくは感情や心を奪う、とシュウは言っていたけど、どうだろう、この一日の感情の揺れ幅の大きさは! 恐怖と不安と幸せと楽しさと……。たった一日のことなのに、強烈な盛り沢山の感覚――
おそらく、ユメクイという怪物に目をつけられてしまったのは、「運悪く」、それは「偶然」なのだろう、とユイは思った。
――シュウに出会ったのは、「運よく」、やっぱりおそらく「偶然」、なんだろうな。「運悪く」も「運よく」も、結局は等しく「偶然」、ということなのかな。……でも、「偶然は必然」ともよく言われる。起こる出来事には必ず意味がある、と。もしも本当にそうなのだとしたら「偶然」も「必然」も、結局は同じ「運命」ということなのかな。シュウは「運命に干渉した」と言っていた。自分が関わることで、勝手に私の人生を変えてしまった、と言いたかったんだろう。でも、ユメクイに出会ってしまった偶然、シュウに出会えた偶然、そしてその先には……「幸福のアーモンドミルクブラマンジェ」に出会えた偶然! シュウに出会わなければ、あの店には入らなかった。「本日のデザート」と言っていたから、今日でなければあの「アーモンドミルクブラマンジェ」を食べることはおそらくなかった。親切なウェイトレスさんに「素敵な運命のお導き」なんて言葉はかけられなかった……。ちゃんと、すべてつながっている気がする。すべてはちゃんと、初めから用意された私の運命なんだ! ……シュウはたぶん、それはこじつけです、そういうことではないんです、と反論しそうだけど……。
レストランでの、絶望的な闇に足首をつかまれてしまったような恐怖は、一人になった今脳裏に鮮明に蘇ってくる。熱い湯船に入っていても、思わず身震いしてしまう。ユイの本能が悲鳴をあげようとしている。
しかし、扉を隔ててシュウがいる。絶対に彼は私を助けてくれる。そう信じられる。最悪のことまで色々考えてしまったけれど、シュウと交わす他愛のない会話が重ねられていくにつれ、不思議な時間を日常のように過ごしていくにつれ、少しずつ、だが確実に希望というものが育ってきている、ユイはそう感じていた。
大丈夫、ユイは鏡の中の自分に向かってなるべく明るい笑顔を作って言い聞かせた。当然のことながら、返事はなかった。鏡の中の女性は、確信と不安の間で揺れているようだった。




