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願い ―わすれな草の海―  作者: 吉岡果音
第三章 二人の時間を紡いで
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異能力者の血

 ユイの体に、なにか熱いエネルギーが流れてくる感じがした――

 暗闇。

 暗く深い闇の底に落ちようとしていた。

 落ちていくユイの手をしっかりとつかむ者がいる。


 ――シュウだ。


 すんでのところをシュウに引き上げられた。


 ――明るい。そしてあたたかい。ああ。なんて心地よいんだろう――


 次の瞬間、閃光が走る。闇の底から、咆哮が聞こえた。

 ぬくもりと、光。

 恐ろしい獣のような「なにか」はもう感じられない。

 ふと足元を見ると、小さな青い花が咲いていた。可憐な青い花びら、そして中心部分はかわいらしい黄色。


 ――わすれな草、だ――


 辺りを見渡すと、一面のわすれな草……。


 ――こんなにたくさん、綺麗な青……。まるで海みたい――


 そこで唐突に映像が途絶え、美しいピアノの調べが聞こえてきた。ショパンの「ポロネーズ『英雄』」だ。目の前にはグラン・ブルーの髪と瞳のシュウ。


 ――ああ。ここはレストラン、だ。


「一時的に動きを封じました。これで数時間は大丈夫です」


 そっと手を離す。でも髪と瞳は青のまま。それでも薄暗い店内のおかげもあり、幸いにも異変に気付く者はいない。


「この髪と目にはいつも苦労させられます。私の一族でも珍しいみたいです。周りに驚かれないように、帽子をかぶったり髪を染めたり頭を剃ってみたり、目の方はサングラスをしてみたりと色々試してみたこともあるのですが、どれも私の力に直接影響が出るようで、パワーバランスを取るのが難しくなるので結局諦めました。今回は力を使った時間が短いので、すぐに元に戻ると思います」


 サングラスはともかく、お坊さんみたいな姿は似合うだろうな、ちょっと見てみたい、とユイは思う。

 気を遣って普段より長めの時間を置いてウェイトレスがこちらの様子を伺う頃には、シュウの髪と瞳は艶やかな黒に戻っていた。


「本当に、すごいね」


「おいしいですね」


 じっくり煮込んだビーフシチューは、店の歴史をそのまま物語るような深い豊かな味わいだった。


「いや、料理じゃなくて、シュウが、だよ。本当にシュウの力はすごいんだね」


「私の力は、先祖から代々受け継がれてきたもので、私個人が特にすごいというわけではありません。私自身はまだまだ未熟者です。もちろん、一族の力に誇りを持っていますし、請け負った仕事は必ず成功させます」


「……危険な目に……遭ったりしてるんだよね?」


 シュウの住む世界がどのようなものかはわからない。しかし魔獣という怪物と戦う、それはきっと常に「命」を意識するような過酷で熾烈な世界なのだろう――ユイの心に不安が広がる。

 ユイの不安を察して、シュウが口を開いた。人に説明したことのない話だった。ユイが少しでも安心できるように、その思いからだった。


「私と魔獣、お互い命がかかっていますからね。魔獣は普通に考えられる生命体、とは違いますが、広い意味ではやはり等しく魂を持つ者であると言えます。ユメクイのように現実世界に実体を持たない者もいれば、我々生物のように肉体を持って存在する者もいます。魔獣との戦いの中、もし、万一私になにかあったとしても、ご心配はいりません。私がどのような状態になっても、必ずユイさんの安全は守り抜きます。そして、私の親族や私の一族に協力してくださる方々が、完璧にフォローする体制も整っています。たとえ私が戦えなくなってしまったとしても必ずなんらかの策は施しますし、すぐに私の身内や協力者の助けが入ります。ユイさん自身が危険に晒されたり現実的な対応に困ってしまったりすることはありません。そして、私が外部の人から見て事件や事故に遭ったように思える状態に陥っていたとしても、それが表沙汰になることは決してありません。すべては水面下で行われ、秘密裏に解決します」


 シュウの説明を聞いて、逆にユイの不安はより大きくなってしまった。


「シュウの身になにかって……、事件や事故みたいにって……、そんな……」


 泣きそうだった。ユイの大きな瞳には涙が湛えられていた。自分のためにシュウが危険な目に遭うなんて、そんなのだめだ、絶対にだめだ――とユイは強く思った。


「大丈夫ですよ。私は簡単にやられたりしません。一応場数は踏んでいますし、様々な呪法も身につけています。それでももしなにかあったとしたら仕方ありません、そのときは私の定められた運命が来たということなのでしょう。ユイさんにはまったく関係ありません」


 真面目なシュウは、つい正直に話しすぎてしまう。大丈夫ですよ、その一言で後は余裕で微笑んでみせる、それだけでよかったのだ。

 ユイはもう、泣いてしまっていた――怖い。シュウが辛い目に遭ったら、苦しい目に遭ったら、そしてもしも、想像したくもないけれど、死んでしまったりなんてしたら……。とても怖い。そんなの嫌だ。そんなの絶対にだめだ。関係ないなんて言わないで――大粒の涙がはらはらと頬を伝う。


「そんな! 泣かないでください! まだなにも起こっていないじゃないですか!」


 ユイの涙に驚いたシュウは思わず声が大きくなってしまった。そこに間が悪く、ウェイトレスがデザートを運んできた。

 女性は泣いている。「起こっていない」、は確実に「怒っていない」と勘違いされた。


「本日のデザートのアーモンドミルクブラマンジェでございます。アーモンドは、古くからヨーロッパでは幸福や繁栄の象徴といわれ、とても縁起がよいのだそうですよ。アーモンドにお砂糖をコーティングしたドラジェというお菓子が、結婚式やお祝い事に配られたりするくらいですから。お客様方が本日ご来店されたのは、素敵な運命のお導きなのかもしれませんね」


 にっこり微笑み、泣かせちゃだめですよ、さあまずは甘い物を食べて気を取り直して、しかもちょうどアーモンドは素晴らしい意味があるというんですから、しっかりお二人の運命を信じてお幸せにね――と言わんばかりのウェイトレス。今度はシュウとユイになんともいえない微妙な空気を残して立ち去って行った。

 しばし、沈黙。


「……色々、勘違い、してるよね。絶対」


 思わずユイは笑い出した。


「ええ。してますよね。絶対」


 シュウも笑い出していた。

 思いがけずウェイトレスに救われた形となった。幸福のアーモンドの効果も、絶大だった。雨の後に現れた虹のように、ユイは笑っていた。

 先のことはわからない。なにが起きていてこれからどうなっていくのかユイには見当もつかない。


 ――でも、不安だらけだとしてもとりあえずは現在、私とシュウはこうして普通に生きている。今はこの現実、この瞬間を慈しもう――


 二人はアーモンドミルクブラマンジェの甘い安らぎに満たされていた。

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