第93話・二頭の馬
ミュウを連れ去った男たちを捜すため、俺たち一行はお婆さんから麦という一匹の犬を借りた。
鼻をヒクヒクさせながら、やがて犬は大通りを外れ、小路に出た。
次第に建物の数が減り、それに伴い通行人の数も少なくなっていく。
『ゴブレット』の外壁に近づいてきているようで、辺りの風景ものどかなものへと変わっていく。
「奴らが逃げたのは本当にこっちなのか?」と、俺は口を開いた。人も建物もまばらになって不安になってきたのだ。
「犬の嗅覚がすごいのは知っているけど、合っているのか不安になってきたんだが……。それともこっちの犬の嗅覚は、俺の知っている犬よりもさらに優れているとか?」
「比べたことがないからわからないけど」と前置きをしてから美咲が答えた。
「相当長い距離でも辿っていける犬が中にはいるよ。この子がどれほどの鼻を持っているかはわからないけどね……」
「でも一心不乱に進んでいるから、何かを嗅ぎ取っているのは間違いなさそうです。この先にミュウさんがいることを信じましょう」
坂出が言うと、一同は同調を示した。
もちろん俺もこのままミュウを連れた奴らの場所に辿り着いてほしいとは思っているが、犬の変化を見てとって、やや不安になってきたのだ。
犬は確かに鼻を地面に近づけ、一心不乱に道を進んでいるのだが、実は少し前から時折立ち止まったり顔を上げて体の向きを変えたりと、何か迷っているような仕草を見せているのだ。
そしてついに犬は道の端に座って、後ろ足で体を掻いてから、役目は終わりましたと言うように、目を細め心地よい風を感じている。
「む、麦ちゃん? こ、ここでおしまい? 辺りに何もないけど……?」
鹿角は情けない声を出しながら、周囲を見回した。
彼女の言うように、その右手には林、左には牧場、前後には舗装されていない田舎道がまっすぐ伸びていて、遠くに木造家屋が点在しているのが見えるだけだ。
犬は相手がいる場所を見つけ出したというよりは、どうも諦めたという感じがする。
「疲れちゃったのかしら?」と、いかにも落ち込んだ声で言った美咲に俺は返した。
「と言うよりは見失ったんじゃないか? 馬車は速いから、仮にこの辺りを通過したのが当たっていたとしても……」
「麦ちゃんが言っているんだから、絶対間違いなく通ったの!」と、雛季がくちばしを入れる。
「この短期間でなぜそこまで麦ちゃんを信用しているのかわからないけど……じゃあ、絶対奴らが通ったとしよう。でも時間的にはだいぶ前ってことなんだ。匂いも散って消えてしまっているはずだ」と、俺は言った。
「だからこの犬の動きも止まったわけね。俺もそんなところだと思うよ」
篠山純太が歩き疲れたのか路傍の石に腰掛けて言った。
「参ったなぁ……」と、鹿角が深く息を吐き捨てる。
「ミュウちゃんの匂いが消えちゃったんだもん、しょうがないよ~。ここまで連れて来てくれただけでもエラいよ、麦ちゃん。よしよし」
雛季は座り込んで犬を撫でまわした。浅川や小牧も撫でる。
犬は当然ですという、すました顔をしている。
とにかく、この犬の鼻を信じるなら、奴らはここまで来ているはずで、さすがに壁の外に出てはいないだろうから、奴らの隠れ家(仮に向かったのが隠れ家だとすればということだが)もある程度絞られる。
そういうことで、俺たちはまた道を歩きながら、それらしい建物を探すことにした。
犬はもう先導することをやめ、鹿角の後ろをのんびり歩き、時たま道端の草に向かっておしっこしている。
「ん? これは……」
途中、俺は道に落ちていた物を拾い上げる。
「チョコチップのクッキーだ」
視線を少し上げ、前を見る。三メートルほど先にまたクッキーの欠片を見つけ、驚喜する。
「間違いない! ミュウが俺たちに場所を知らせるために、途中途中で馬車からクッキーを……」
「え? 何、カケル君?」と前を歩く雛季が振り返った。その手を見て俺は固まる。
彼女とその横にいる鹿角がそれぞれかじりかけのクッキーを持っているではないか……!
「お、お前たちがこぼしていただけか? バ、バカ野郎!」
「……もしかして、ミュウが落として行ったと? ハハハ……あ、いや、ごめん」
鹿角は大きく開いた口を慌てて手で塞いだ。
「今日はこの麦を見つけてくれたお礼に私たちがクッキーを買って来てあげたんだけど、あげる前にさらわれてしまったから」
「だからって自分たちで食べるなよ……!」
「まあまあ……。実は今……ポリポリ……考えついたことがあるんだよ」
鹿角はクッキーを口に放り込み、手を払いながら言った。
「本当かよ?」
「ほら、あいつらの馬車の馬。二頭とも少し大きな種類の馬を使っていたよね?」
「確かに少し大きかったが……」
『ゴブレット』内でよく見かける馬は地球の一般的な馬より少し大きい程度だが、奴らの馬車の二頭はそれよりも大きく、脚も太く長かった。
「つまり、あの馬たちを入れておくためのある程度大きな厩舎やらスペースが必要ってことだから、この辺でそれらしい建物を当たればいいんじゃない?」
「頭いい、愛海那ちゃん!」と、雛季が鹿角に後ろから抱きつく。
「う~ん……まぁ、確かにあの馬を飼える場所と考えたら、調べる建物も限られそうだな……」
俺は腕を組みながら、美咲たちと共に周囲を見渡した。
「あそことあそこは厩舎らしい……あと、あの辺の建物も怪しいね」
鹿角が遠くに見えるそれらしき建物を指差していると、中間が言った。
「このまま大人数で行くと目立つんじゃないか? キャップ。分かれて行った方がいいんじゃない? 時間短縮にもなるし」
「うん、そうだね。じゃあ、いつもの三グループに分かれて、私たちはあっち方面の建物を探るから、亜紗美たちは向こう。篠山組はあそこ」と、鹿角が指示を出す。
続いて美咲がより具体的な指示をする。
「彼らのアジトらしい場所だとわかったら、他のグループの方に大きく手を振って合図して。グループのうち一人は合図を送る役と他の場所から合図がないか見張る役をしましょう。発見したという合図があったら、他のグループもそこに集まろう」
「オーケー」
「わかった」
親指を立てて言った中間たち、篠山たちに、美咲や松川さんが「気をつけて」と声を掛ける。
こうして俺と一匹の犬を含めた『グラジオラス』一行は、この場所で三グループに分かれ、できるだけ目立たぬよう慎重な足取りで各々の目的地に向かって行った。
俺たちのグループが最初の怪しい建物に近づいた時、鹿角が連れた犬が再び興奮気味になった。
何かのメロディーを奏でているかの如く「フンッフンッ」と鼻を忙しなく鳴らし、地面の匂いを嗅いでいる。
そのボロい建物の一階部分には、厩舎と呼ぶほどたいそうなものではないが、大きな馬がまさに二頭つながれている場所があったのだ。
幌の付いた車の方は見当たらなかったが、奴らの馬の可能性は高い。
「大きな馬二頭、それに麦ちゃんのこの反応……いきなりビンゴじゃない?」
鹿角が身を低くし植木に隠れながら囁く。
美咲たちもしゃがんで、一同団子のようにくっつき合って建物に視線を注ぐ。
「二階が住居スペースのようだな……」と、俺も呟く。
「よし! それじゃあ、向こうに合図送るね!」
合図係を任されていた雛季が自分の出番とばかりに嬉々とした表情で立ち上がった。
隣にいた美咲がすぐに雛季の腕を下へ引っ張り、彼女をまた植木の陰に座らせた。
「まだ決め手がないよ、雛ちゃん……」
「でも、麦ちゃんがこんなに反応してるよ? 間違いないよ~。ここにミュウちゃんがいるんだよ~」
雛季が立ち上がったのが見えたのか、あるいは状況をわきまえないその活発な声に気づいたのか、背後からおじさんが近づいて来た。
「……あんたら、そこで何してる? 何か用かい?」
寝ている時に起きるジャーキングのようにビクッとなった鹿角は、ゆっくり振り返って、おじさんに強張った笑みを見せた。
「あ、すみません。たくましそうな馬だなぁと思って、見とれていました。ハハハ……」
「そ、そうね。惚れ惚れとしますわ」と、松川さんもわざとらしい笑顔を作る。
「そうかい? そっちこそ元気な犬コロだな」
「あ、ああ、ハハハ。馬が珍しくて興奮しているみたい……」
鹿角はそう言って、前に突き進もうとする犬を抱き押えた。
「ところで……今の言い方だと、この馬はおじさんの? ここはおじさんの家?」
鹿角が訊くと、おじさんは頬をポリポリ掻いて答えた。
「まぁね。二階が自宅兼倉庫みたいなもんだ。……ところで、あんたらここらでは見ない顔だね? 君たちのような若くてきれいなお嬢さんたちは、ここらでは珍しいからねぇ」
「まあ、うまいこと言いますね、おじさん!」と、鹿角、玉城、松川さんが照れる。若いと煽てられた中年主婦のような口調だ。
「だから言うけどね、あまりこの辺をうろつかない方がいいよ」
おじさんが真面目なトーンで言ったので、鹿角たちの顔色も少し変わった。
「……治安が悪いんですか?」
「う~ん、まあねぇ。街の外れだから、衛兵たちの見回りもあまり行き届いていないからねぇ……」
くぐもった声で言ってから、おじさんは顔を横へ向けた。
そしてその視線の先に見える木造の建物を指差した。
「ほら、あそこに見える建物。あれは悪いグループのたまり場って聞くよ」
「あそこが、たまり場なんですか?」
一同身を乗り出して、木々の向こう側に見える建物を見つめた。
中間グループや篠山グループにも調べさせていない、ノーマークだった建物だ。
「なるべく早く立ち去った方がいいぞ?」
おじさんはそう言い残して、馬小屋の横にある階段を上って行った。
「あの建物に悪いグループがいるって。多分、それが奴らだと思うわ」
鹿角が植木の陰から出ると、俺たちも後に従った。
「よし、じゃあ行こうぜ」
俺はその建物の方へ足を向けたが、すぐに美咲が引き止めた。
「待って、カケル君! 鹿角さんたちも……」
振り返ると、美咲はいつの間にか俺たちのそばを離れていて、厩舎の馬に近づいていた。
鹿角が首を傾けて訊いた。
「どうしたの、美咲ちゃん? その馬はおじさんの……」
「ううん、多分これはあいつらの馬車に使われていた馬に違いないよ。この子のお尻を見て。妙な傷痕があるわ。それもまだ血が出ているみたい……」
「怪我したばかり……」と俺が呟くと、美咲が「うん」と頷いた。
「さっき鹿角さんが最後に放った魔法の流れ弾が馬のお尻の方に当たったみたいだったじゃない? きっとその馬がこの子だと思う……」
「ほら、やっぱり! だから麦ちゃんもずっと興奮しているの!」
雛季が言うように、犬はまだ息を荒げ、隙あらば建物の方へ近寄ろうとしていた。
「デモ、じゃあ、アノおじさんはナンで……?」
玉城が訊くと、美咲は唇の横に指を添えて声を一段とひそめた。
「もしかしたら、あいつらの味方かもしれない。私たちを騙して追い返そうとしたんじゃないかな?」
「……じゃあ、やっぱりこの上が怪しいってことね?」と、鹿角。
「多分。でも、ミュウちゃんの状況がわからない。それに……みんな、上を見ないで。何気ない顔で聞いてね。さっきのおじさんはきっと警戒して上から私たちを見ていると思うの。だから一旦あっちの建物に向かうフリをしよう」
「追い払ったと安心させるんだな?」
俺の言葉に美咲は首肯した。
「そしてそっとこっちに戻ってきて、建物の屋根かどこかに上がって、二階の窓を覗いてミュウちゃんがどうなっているか把握する。突入はそれからよ」
「さすが、美咲ちゃんね」
「ダレかさんと違って冷静ネ!」
松川さんに続いて言った玉城は、小馬鹿にした目を鹿角に向けた。鹿角は舌打ちを返す。
「チッ。それくらい私だって考えていたよ……。よし、じゃあ、とりあえずあっちの建物に向かおう」
一旦おじさんが教えた建物の方へ歩き、やがて木が立ち並ぶ所まで来ると、その陰に隠れながらコースを外れる。
そこから男たちがいると思われる建物に戻るまでは灌木が続いていて、身を低くしそこに隠れながら戻って行った。
そのまま建物の裏側に回る。
そちら側には小さな窓が二つほどあるだけだった。中の者たちに気づかれにくく都合がいい。
早速、鹿角や玉城が『エイト剣』から発した気を地面に当て、その反動で屋根に飛び乗った。
続いて美咲、坂出、松川さんも同じ要領で屋根の上に移った。
みんな地面に叩きつける気が大きすぎず小さすぎず、うまくコントロールされていて、大した音も立てずに屋根の少し上という丁度良い高さの軽やかな跳躍を見せた。
屋根に乗った際の音も静かなものだ。
普段は何かと呆れさせられることの多いメンバーだが、忍者のようなその動きに少し感心した。
これで下に残されたのは俺と雛季だけになった。
二人とも『エイト剣』を利用したジャンプができなくはない。
しかし訓練不足か、まだその力が一定ではなかった。高く跳びすぎたり、低すぎて壁にぶち当たったりする可能性が充分にある。
それなので、二人は上の美咲に『BAND』で引き上げてもらうことになった。
美咲の『エイト剣』から出た投げ縄のような気が、俺と雛季の体を縛り上げた。
そして美咲たちのいる屋根の上へと一気に二人を引き上げる。
「イエ~イ」と遊具で遊ぶかの如く楽しげな声を出した雛季の口を俺は慌てて塞いだ。
俺たちが上に運ばれた時にはすでに、鹿角たちは屋根を渡って建物の表側に移動していて、下をのぞいていた。
そこからどう窓の中を確認するか思案しているらしい。
結果、鹿角が腰の袋に携帯しているロープを使うことになった。
ロープの端を屋根の上に突き出した木材に結び、もう一つの端を鹿角が巻いて壁伝いに下り窓の中を覗く。
合図によって、上にいる者たちが引き上げるか、タイミングがよければ上の者も一緒に突入することに。
「アサちゃんやコマちゃんたちに報せて教えるのはどうするの?」
鹿角がロープを伝って下りようとした直前、雛季がみんなに訊いた。アサちゃん、コマちゃんというのは浅川と小牧のことだ。
「ああ、そうだね……でも、あの子たちがゾロゾロ来ると、突入の前に相手が気づいてしまうかもしれないからねぇ……」
「デモ、キャップ。呼ぶなら早く呼んでおかナイと間に合わなくなるヨ?」
玉城がそう言うと、雛季は乗り気になって、早速遠くにいる中間グループ、篠山グループに向かって大きく手を振り始めた。
「なぜか気に入っちゃったのね、合図係……」と、妹に温かい視線を送りながら、美咲は鹿角に声を掛ける。
「それじゃあ、鹿角さん。部屋の中の確認、お願いね?」
「オッケー、行ってくる……」
少し緊張気味に言って、鹿角はロープを手繰り寄せた。
そして、壁伝いに下りて行った。




