第79話・揺らめく影
目の前に明かりが戻った時には、横に美咲の白い太ももがあった。
ブラッディバットにぶつかられて倒れた俺を護るためだろう、彼女が傍にしゃがみこんでいる。
その間、いくつもの靴音が響き、近づいて来た。
視線を上げると、雛季たちが駆け寄って来ていた。
彼女たちの一番後ろには、あの謎の少女もいる。
「コウモリは……?」と、俺は彼女たちの体越しに魔巣窟に視線をさまよわせる。
すぐに大島さんや白石さんが『エイト剣』を振って奮闘している姿が見えた。
そしてその傍に、石材のような背中も見える。鮫川だ。
彼は野太い声で「モスト・デンジャラス・カットォ!」と発し、『エイト剣』を振り下ろした。
【CUT(=切りつけ、切り傷)・鮫川所持魔溜石、『C』、P、『T』、『U』】
青白い光が真っ直ぐ縦に走った。
岩を削る激しい音が魔巣窟内を埋めていく。
地震のような揺れが地面に付いている体半分に伝わってきて、天井から小石や砂埃が落ちてくる。
どうやら鮫川の放った『CUT』の気の余韻のようだ。
再び静謐な魔巣窟内に戻った時、地を這うように前へ伸ばしていった俺の視線が何かを捉えた。
落下した石の破片とは違う黒々とした物が、無精者が脱いでそのままにしたズボンのようにそこにあった。
それはブラッディバットの亡骸だった。
鮫川が斬り倒したのだ。
「もうちょっと周りに気を配ってほしかったけど、まぁ、ブラッディバットを一匹倒したのは見事だったわ」
大島さんと夏妃が鮫川を囲み、労いの言葉を掛けた。
明朗だったはずの彼女たちの声が、俺の耳には少しくぐもって聞こえた。
ブラッディバットの体当たりを食らって、耳の中でグワングワンと変な音が回っているのだ。
「そんな言葉はいい。それよりも石だ。奴の骨に石はないのか?」
鮫川が花より団子、団子よりシャトーブリアンという感じで、魔獣の体内に蓄積された魔溜石がないかの確認を急く。
大島さんがブラッディバットの肉片付きの骨を拾い上げ、よく見てから、肩をすぼめた。
「残念。この子にはないわね。そっちはどう、白石さん?」
もう一匹のブラッディバットを持っていた白石さんが溜息をつきながら地面にその亡骸を置いた。
そこにはさらにもう一匹……おそらく最初に大島さんが仕留めたものと思われるブラッディバットが落ちていた。
「最初の一匹には小さい魔溜石があったけど、三匹目は不発ね……」
三匹目……。
どうやら俺が突っ伏している間にもう一匹現れ、白石さんはそれを相手していたらしい。
「後は……あの天井の岩の石ね。取ってくる!」
そう言って白石さんは再び軽快に岩場を登り、道具を使って魔溜石を掘りだした。
「合計二つ。まあまあじゃないでしょうか」と、夏妃がまんざらでもない表情を見せた。
俺は片膝を立て、ゆっくり身を起こす。
美咲と雛季が手を添えて優しく支えてくれた。
横になっていた時はあまり感じられなかった鈍い痛みが、頭や首にはっきり感じられた。頬が血で濡れていた。
ブラッディバットの牙か爪が当たったか、もしくは倒れた際に地面に擦って出血したのか……どちらにしても俺の血に違いはない。
「大丈夫、カケル君? ごめん、間に合わなくて……」
すぐ横に美咲の憂い顔が見える。
「雛季がパンを余計に食べるからだよ?」
鹿角が言うと、玉城たちの忍び笑いが漏れ、すぐに雛季がブーブーと言い返した。
「腹が減っては食事ができぬって言うじゃん!」
「それを言うなら腹が減っては戦はできぬ、ですね。腹が減ったら食事ができなくなるから減る前に少し食事して、本格的な食事に臨む……そんな食いしん坊の格言ではないですよ?」
坂出が冷静にツッコむと、雛季は顔を赤くし、『グラジオラス』メンバーは一斉に噴き出した。
どこか緊張感のない彼女たちをしばらく遠巻きに見ていた大島さんが、わざとらしい咳をしてから近寄ってきた。
「ゴホン……。あの~、あなた方はなぜここに一緒に? 瀬戸君を庇ったりなんかして……まさかそんなことで、私たちが手にした魔溜石のおすそ分けを狙っているんじゃないですよね?」
俺は誤解を解こうと口を開けたが、美咲たちが俺の知り合いで護衛していることなど言えるはずもなく、結局口ごもってしまった。
そうしているうちに鹿角が自分で釈明を始めた。
「もちろん、そんな卑しいことは考えていませんよ~。私たちはね、向かった先で他のパーティーの人たちが困っていたら、見返りなど期待せず助けに行くことにしているのよ。そういう優しさを持ったパーティーにしたいの」
「そ、そうです」と、美咲が慌てて頷いた。
「ここで生きていくには……特に『キャッスル』外の人たちは、助け合って暮らしていくべきです。魔溜石や仕事のことで人間同士が争ってもしょうがないと思うの」
「甘い理想ですわ。現実的にはこういう低レベルの魔巣窟で魔溜石採取が厳しくなってきているから、別のパーティーとはしのぎを削らないといけないのに……」
夏妃が冷たい目をして言った。
雛季が彼女に向かってにこやかに手を振るが、夏妃は視線を逸らす。
「そう……瀬戸君を起こしていただいたのは感謝しますが、こちらのパーティーのことはこちらでやりますから、あなたたちとは少し距離を取らせてもらいます」
大島さんはそう言って、「さぁ、瀬戸君」と俺を手招きし、白石さんたちを引き連れ歩き出した。
おもむろに立ち上がって美咲たちの方を見ると、みんな一様に不安そうな表情をしていた。
「今度は俺もヘマしねぇから、ハハハ……」
俺は無理に笑って『エイト剣』を掲げた。
ここはレベル1の魔巣窟ということもあって、元々距離の短い洞窟のようで、その最深部はすぐに目の前に現れた。
ぽかんと大きな薄暗い空洞があり、その先には穴もなく通路も続いておらず、完全な行き止まりとなっているようだ。
「見て! 一番奥の壁の前! 魔溜石じゃない? 魔溜石が落ちているわ!」
白石さんは小型の魔溜石灯を自分の前に突き出し、奥を照らし出した。
「まったく埋まっていないなんて、ラッキー!」
しかし、軽い足取りで最深部の空洞に入りこもうとした白石さんを、大島さんが制した。
「待って! 手前の左、突き出したところ! 影が揺れたわ。何か潜んでいるっ!」
「へえ?」
白石さんは間の抜けた声を出して、左を向いた。
そして顔色を変え、すぐに後退りする。
俺たちの場所からはせり出した岩が邪魔をしてその先が見えないが、白石さんの位置からは揺らめく影の正体がわかったようだ。
「ケイブジャイアント……!」
白石さんは小刻みに震えた声を漏らしながら、魔溜石灯を腰に吊るし、『エイト剣』を両手に握り直した。
「ケイブジャイアント? ケイブは洞窟? ジャイアント……巨人……」
俺が独り言のように呟いていると、大島さんもまるで独り言のように小声を返した。
「……そう、洞窟にいることが多いからそういう名……。でも、もっと森の奥にいる魔獣のはずなんだけど……」
直後、ご紹介にあずかりました、とでも言わんばかりに、影の主が岩の向こう側から姿を現した。
約二メートル半の細長い体に猿のような顔。
全身が洞窟内に溶け込むような灰色と茶色の入り混じった長い毛で覆われていて、尻尾が地面に垂れ下がっている。
時折鋭い歯が並んだ口を大きく開け、「シャー」と威嚇するような高い声を発した。
「ジャイアントって言う割には、ちょっとでかい人間ぐらいじゃないか?」と余裕綽々の鮫川を、大島さんが戒めるように言った。
「確かに、私が知っているケイブジャイアントよりも小さいから子供かもしれないけど……凶暴には変わらないと思うわ。気をつけて」
「凶暴……。何でそんな奴がここに? ここはレベルで言うと1なんだろ?」
俺が訊くと、首を傾げつつ大島さんが答える。
「迷い込んだという可能性はあるわね。どうしよう……。あの石は諦めて退散する?」
「何……そんなにヤバいのか?」
「私たちでも苦労しますわ」と、背後の夏妃が言った。
「でも、惜しいでしょ。すぐそこに魔溜石が持っていかれるのを待ってくれているのにぃ……。魔獣が去った後、さっきの子たちに石だけ簡単にかっさらわれたら癪よ?」
ケイブジャイアントに一番近くで対峙している白石さんが歯噛みした。
「確かにもったいないわね……。何とか奥へ回り込んで、戦わずにゲットできないかしら……?」
大島さんが弱々しい口調で言うと、鮫川が鼻で笑った。
「随分ビビってるな? 襲ってきたら反撃するだけだ」
「簡単に言ってくれるわね……。いいわ、わかった。私があいつの横を抜けて奥に入り込むから、みんなはサポートして」
白石さんはそう言って低い体勢で走り出す。
白石さんは走りながら『エイト剣』の気を放ち、ケイブジャイアントの上半身に当てる。
最深部の洞穴の入り口を塞ぐように立っている敵の体が上へ伸びた隙に、白石さんは股の下をくぐってその先へ。
ケイブジャイアント越しに、奥の岩壁に手を伸ばす白石さんの勇姿が見える。
魔獣は体の向きを変え、背後に目をやると、耳をつんざくような咆哮をした。
「動き出したわ! エサを取られまいとしている……!」
大島さんが叫んだ時にはもう、敵は自分の脳みその何倍もあろうその大きな拳を、勢いよく白石さんの方に伸ばしていた。
青白い閃光が薄闇を照らし、白石さんが剣から魔法を放ち、かろうじて相手の殴打から逃れたことがわかった。
岩が粉砕する音が響き渡る。
「ブレイジング・ホーク!」
【HAWK(=タカ)・大島所持魔溜石『A』、B、『H』、『K』、L、R、『W』】
今度はこちらで大島さんが叫び、巨人の背中に斬りかかった。
刀身から飛び出した赤い気は『HAWK』の名の通り、翼を広げた大きな『鷹』のような形で、ケイブジャイアントに突っ込んでいった。
ケイブジャイアントの背中の肉の一部と骨と思しき塊が飛び散ったが、さほど痛がる様子も見せず振り返り、獰悪な顔つきでこちらを見下ろした。
「な、何……効いていないって言うの?」と、大島さんはわずかにたじろいだ様子で剣を握り直す。
しかし相手がこちらに目をやったその間隙を突いて、白石さんが自分の方へ向いたケイブジャイアントの尻尾の傾斜を利用し、一気に相手の肩の上まで駆け上がった。
そして気に包まれている剣を振り下ろす。
ケイブジャイアントは苦悶の表情ともとれる顔を見せてから、雄叫びを上げ、上半身を大きく振った。
「あれでも倒れない……」
俺が泡を食うのと同時、小さな悲鳴を漏らしながら白石さんが落下してくる。
こちら側の地面に転がった彼女の体を、暴れているケイブジャイアントが踏みつけようとした。
「このっ! ヒ、ヒットォォォッ!」
【HIT(=打撃の当たり、命中)・カケル所持魔溜石、『H』、『I』、『T』】
自分でつけた魔法名を省略して叫び、『エイト剣』を横一文字に振った。
魔法名は省略したが、しっかり頭に発動する魔法のイメージができていたからだろう、あるいは訓練を重ねていくうちにコツというやつを掴みかけているのかもしれないが、『エイト剣』からしっかり『HIT』が発動された。
青白い気の弾丸が巨人の腹部を沿うように進み、そこに横一直線の傷を残した。
「ありがと、瀬戸君」
足元で白石さんが言ったが、俺は鋭い顔のまま返した。
「まだ礼は早いみたいッスね……」
言い終わる前に、ケイブジャイアントの大きな拳が迫ってくる。
白石さんは地面にベッタリと伏せ、俺は横に跳んでかわす。
二人の体をかすめた拳は、向かって右側の岩を砕いた。
まるで岩と岩がぶつかったような鈍い音が鳴り、激しい揺れが伝わってきた。
「モスト・デンジャラス・カットォ!」
【CUT(=切りつけ、切り傷)・鮫川所持魔溜石、『C』、P、『T』、『U』】
鮫川の悪声と共に、青白い光が横に伸びる。
『CUT』が、ケイブジャイアントの細長い両脚を薙ぎ払った。
バランスを崩し両膝をついたケイブジャイアントは、それでも高音の怒声を上げながらこっちに向かって拳を放ってきた。
俺の横には腰を抜かした様子の明石がいて、高速道路の料金所で出そうと思っていた小銭を車内にばらまいてしまった奴みたいに焦っていた。
俺はほとんど反射的に『エイト剣』を振り下ろす。
青白い光が流星のように尾を引きながら、視界を二つに区切る。
それから少し遅れて、明石の喚き声が聞こえたと思ったら、彼の剣からも青白い気が飛び出し、巨人の胸部にぶち当たった。
二人の気を同時に食らったケイブジャイアントは低く呻きながら、ゆっくりと上体を前に倒した。
風が巻き起こり、土煙が舞った。
しばらく、みんなの間に沈黙の時間が流れた。
ケイブジャイアントがまったく動かなくなったことを見て、ようやく明石が笑い声を上げた。
「フハハッ! た、倒した! 倒しましたよ!」
必死に繕った硬い笑顔で、声も幾分震えている。
明石は尚もはしゃぎ、自身の『エイト剣』を高々と掲げた。
「俺の一撃が決まったんだ! ハハハ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺も同時に斬りこんだだろ? って言うか、どちらかと言うと俺の攻撃の方が大きかった……」
俺が辛抱堪らずツッコむと、鮫川も割って入った。
「その前に俺が奴の足を薙ぎ払ったのがよかったんじゃねぇか。あの時点で勝利は確定的だ。お前らは倒れた相手に唾を吐きかけただけにすぎん」
「まぁ、まぁ、三人ともよくやったわ。バラバラに見えて、連続攻撃になっていたし……」
大島さんが苦笑しながら三人の間に立って言った。
今度は慎重に、奥に広がった空間に足を踏み入れ、白石さんが落ちていた魔溜石を拾う。戻ってきた彼女は安堵の吐息をついてから言った。
「大きさはどれもそれほどではないけど……魔溜石三つ。上出来だわ」
「ビギナーズラックでしょうけどね」と、夏妃が金色の髪を労わるように手でとかしながら呟いた。
「この報告をしたら、知立キャプテンたちも君たちを見直すかもね」
大島さんがそう言って微笑んだが、「見直すって……マイナスになることはしてないはずだが……」と鮫川がボソッと言った。
一方、明石はそれを聞いて一層テンションを高くした。
「よしっ! これで俺も『SDG』か! 『SDG』メンバーの友人に馬鹿にされなくてすむぜ!」
「……まだ合否は決まってないし、合格になってもしばらくは仮メンバーだからね?」と、白石さんが改めて釘を刺したが、明石は浮かれてまったく聞いていないようだった。
最深部から折り返し、出入り口に向かって来た道を戻っていると、『グラジオラス』のメンバーとすれ違った。
「ごきげんよう」と、夏妃と白石さんは嫌味っぽく笑顔を作って挨拶する。
反対に鹿角たちの表情は渋く、魔溜石を見つけられていないことを物語っていた。
しかし琴浦姉妹だけは、俺が無事帰って行くのを見て、安堵の表情を浮かべたようだった。
俺も微笑みを返し、彼女たちの横を通り過ぎていく。
『グラジオラス』一行の最後尾には、やはりあの薄紫の髪の少女がいた。
先ほどは座っていたからわからなかったが、身長は一五〇センチ前後といったところか。
斜め掛けにした鞄のショルダーストラップを握りしめ、無表情のまま、大きな双眸だけを俺たちの方に向けている。
俺が振り返って尚も視線を向けると、彼女は慌てて顔を逸らし、スタスタと歩き出した。
どこか不思議な雰囲気のある子だ。
彼女は本当に一体誰なのだろう……?




