第78話・伝説の三英傑
女性たちは慎重に、斜面から伸び出した木の根や突き出した岩肌などに手を掛け、巨岩を登って行った。
魔巣窟の入り口前に立つと、白石さんが下に向かって声を掛けてくる。
「ほら、君たちも早く登ってきなよ」
「よし、行くぞ!」と、鮫川が先に登り始めた。
続いて俺も岩の一つに足を乗せた時、すぐ傍の草地に縦長の石の塊が建っているのに気がついた。
下部は土に埋まり、風雨にさらされている上部は汚れ、苔むしているが、そこに何か文字が刻まれているのはわかった。
岩に乗せていた足を一旦下ろし、その石に顔を近づける。
「これって……石碑?」
女性たちが岩の上から揃って見下ろし、「ああ、それね……」と大島さんが何でもないように言った。
「記念碑よ。最初にこの魔巣窟の一番奥まで達した、つまりこの魔巣窟を制覇した人物やそのパーティーの名が刻まれているの」
「ここを最初に制覇した……。誰なんだ? え~っと……」
石碑の汚れを払いながら、刻まれている文字を指でなぞる。
「雨……竜……」
「雨竜颯斗よ。『涅槃寂静』というパーティーのキャプテンだった人よ」
大島さんが飛び交う虫を払いながら言った。
「『涅槃寂静』……そんな名前のパーティーもあるんだな……」
「今はないよ」と、白石さんがすぐに返した。
「雨竜をはじめ主要メンバーがいなくなって、自然消滅したわ」
「いなくなった?」
大島さんが頷いて、話し始めた。
「雨竜は伝説の三英傑の一人で、当時の魔法剣士としては群を抜いていたらしいわ。『レインボーバードリバー』も越えて、その先の森も進み、人類未踏の地に次々踏み込んで行った英雄よ。ここ以外にいくつもの魔巣窟の入り口に彼とその仲間の碑が建っているわ」
「残念だな。俺がもっと早くここに来ていれば、その石碑には俺の名が刻まれていたのになぁ」
岩を登りきった鮫川が手のひらの汚れを払いながら言ったが、大島さんは無視して続けた。
「川の向こうの森……『魔の森』と呼ばれているけど、その更に北にそびえ立つ山々……『ショルダーズ・オブ・ジャイアンツ』の麓に三頭だけ棲息すると言われている魔竜の一頭を倒したという伝説も残っているわ」
「魔竜……?」
「とにかくその雨竜颯斗のおかげで、『涅槃寂静』はその名を『ゴブレット』中に轟かせた。しかし彼とその一隊は、その強さゆえに自分たちを過信したのね。ある日、魔溜石採取に出かけて、そのまま消息を絶った……。魔竜以上の力を持つ未知の魔獣と遭遇して全滅したと言われているわ。絶対的な存在を失った『涅槃寂静』は、期待通りの仕事ができなくなり、やがて解散を決めた。まぁ、今から数十年前の話だけどね」
「そんな前の話か……。しかし、そんなすごい奴でも殺されたんだな、魔獣に……。でも、まだ二人英雄がいるんだよな?」
「そんくらい知っとけよ……」と、明石が岩を登りながら言った。
「雨竜と同時代の英雄、剣淵将真も、自分のパーティー『バルカ』の仲間と共に消息不明だ。おそらく雨竜隊と同じように、魔獣によって全滅させられたんだろう。『バルカ』も解散した。しばらくの間、その二人が『二英傑』とか『双子竜』とか言われていたらしいけど、新たに英雄が現れたんだ。それが『プライド』の初代キャプテン・八頭恵亮だよ。さすがにそれは知っているだろ? その八頭も含めて三英傑。で、えっと……八頭はどうなったんだっけか……」
女性たちの横に並び立った明石は、頭を傾げた。代わりに大島さんが続ける。
「八頭も最近になって消息を絶ったらしいわ。彼のパーティー『プライド』は、まだ力あるパーティーとして残っているけど……」
「プライド……誇りということか」
「うん、それもあるだろうけど、ライオンの群れなどを『プライド』というでしょ? そこから付けた名前らしい。雨竜、剣淵、八頭。三人ともどこかで魔獣にやられて死んだ。まぁ、それだから伝説として語り継がれているわけだけど……もし魔法剣士として彼ら以上の活躍ができれば、彼らと並び称されるかもね」
「そんな死人と並べられてもなぁ」と、鮫川。
「まぁ、ハチ公だって生きているうちに銅像が建っているしなぁ」と、俺も意味なく呟く。
「そいつらが霞んじまうほど偉大になってやるぜ」
鮫川が相変わらず強気な発言をし、白石さんが冷めた目を彼に向ける。
「がんばって……でも、まだ何もしてないから、君たち。さぁ、早く魔巣窟に入るわよ?」
彼女たちが動き出したので、俺も急いで岩を登った。
魔巣窟の前に立つと、さらに襲い掛かってくるような迫力を感じた。
左右二つの巨岩が中央に傾いていて、三メートルほど上で重なり合っている。
その下にできている隙間が魔巣窟の入り口だという。
そこから流れ出てくる冷たい空気と魔物の唸り声の様な不気味な風の音で、体がわずかに震える。
女性剣士たちに続き、中へと足を踏み入れた。
『グラジオラス』より先にという思いが強すぎてか、いつの間にか白石さんも夏妃も俺たちの前に出ている。
巨岩の下に潜り込んだため、当然視界は悪くなる。
一歩進むごとに闇が濃くなる。わずかにできた岩の隙間から外光が差し込んでいる箇所はあるが、あまり頼りにはならない。
空気の変化と共に、重たい緊張感が全身に覆い被さってくる。
一行を吸い込むような暗闇。
それがずっと続くと思っていたら、間もなくして暖色の光が広がってきた。
魔巣窟の壁面に鉄の杭が打ち込まれていて、そこに魔溜石灯が吊るしてあったのだ。
入り口付近は外光を見越してか、そのような魔溜石灯はなかったが、この位置まで進むと、それが左右に等間隔であり、洞窟の奥まで淡く灯している。
「魔溜石灯……」と無意識に呟くと、白石さんが振り返り、やや小馬鹿にした笑みを浮かべた。
「そうよ。人が頻繁に行き来している魔巣窟にはこうやって所々ランプが付いているのよ。後から訪れる魔法剣士のために、初めの方に入った魔法剣士たちが取り付けることもあれば、中央本部がお情けのつもりで取り付けることもあるらしいわ」
「中央本部ね……。魔溜石の採取のためなら、一応最低限のことはやってくれるわけだ」
「そういうこと」と、白石さんは指を鳴らした。
暖かな光が四、五メートル先まで照らし、ごつごつとした魔巣窟内の岩肌を浮かび上がらせている。
より濃淡が生まれ、岩肌の三つの窪みが人の顔に見える。シミュラクラ現象ってやつだ。
魔巣窟内のあちこちに顔が揺れているようで気味が悪い。
「魔溜石は価値があるんだろ? 盗む奴はいないのか?」
鮫川が何とも彼らしい質問をぶつけると、大島さんが前方を見据えながら答える。
「ここに使われている石は元々それほど価値がないし、中央本部の刻印が入っているからそれを盗んでも買い手が付かない。税金の代わりに中央本部に納めることもできないし、自宅などで使用したとしても、中央本部の人間に見つかったら事情聴取されて逮捕されるかもしれない」
壁際に近寄って眺めると、確かに魔溜石灯自体にもその中の魔溜石にも、騎士の兜の刻印がうっすら見えた。
数十メートル進んだところで、『SDG』の女性陣は本格的に魔溜石を探し始めた。
俺たち加入希望者三名も彼女たちから岩を削るためのハンマーやタガネなどの道具を借りて各々探し始める。
魔溜石は主に『惑星サライ』に数か所ある森やその周辺の土の中、あるいはこうした洞窟の中の岩の中にある。
洞窟内では、時々表面に顔を出している物もあるらしいのだが、基本は土や岩に埋まっているので掘り当てる必要がある。
それは骨の折れる作業のため、魔溜石を主食にして生きる魔獣(獣の嗅覚で魔溜石が埋まっている場所を見つけることができるようだ)を倒す方が早いと言う魔法剣士も多いようだが、それは力がある者に限られる。
まだそんな自信がないうちは地道に掘って探す方が無難だ。
しかし勘だけで簡単に見つかるはずはなく、足元はもちろん、上の方も手の届く範囲で土を払ったり石を削ったりして探すのだが、徒労に終わる。
だがしばらくして、視線を斜め上に向けた夏妃が上ずった声を発した。
「あっ! み、見て、あそこ! 光っているわ。間違いない、魔溜石が少し見えているわ」
「どれ?」
白石さんが近づくと、夏妃は手に持っていた小型の魔溜石灯(懐中電灯のようなもの)の光を上に向け、反対の手で指し示した。
「あそこですわ」
みんな二人の元に集まる。女性たちの目の色が変わっていくのがわかった。
確かに夏妃が指した上部の岩肌に、魔溜石灯の灯りを反射して光る、小さなものが見えている。
静かに時が進んでいた魔巣窟内に、女性たちや明石の歓声が上がる。
「でも、私では手が届きそうもないわ……」と、夏妃がポツリと漏らす。
「わかりましたよ、お嬢様。私が採ってきますよ」
白石さんが嫌味っぽく言って、夏妃の代わりに手前の岩の上に飛び乗った。
白石さんは小柄だがその分身軽で、光る石に向かって次々と岩場を登って行った。
二メートル半ほどの高さまで達すると、彼女は頭上の岩にタガネを打ち込もうと手を伸ばした……その時だ。
「ハッ……危ないっ! 白石さん、横!」
大島さんの甲走った声が、魔巣窟のずっと奥まで伝播していく。
突然のその叫びに、俺や明石、夏妃までがビクッとなって体を強張らせたのだが、白石さんだけはすぐさま状況を理解したようで、腰の剣に手を掛けながら岩から飛び降りた。
それとほぼ同時、上から突き出していた岩の陰から突如黒い飛行物体が飛び出してきた。
一見大きなコウモリのように見えるそいつは、急降下して白石に襲い掛かる。
「ブラッディバット……?」と、明石が震える声を発した。
「ブラッディ……バット? コウモリの魔獣ってことか?」と、俺。
「普通のコウモリじゃねぇぞ。その名の通り、生き血を好物としていやがるんだ!」
ブラッディバットという大型のコウモリの様な魔獣は、地面に下りた白石さんへ執拗につきまとい、ついには彼女の頭部を目がけて飛びついた。
大きく広げられた両翼は1メートル以上。
さらに、悪魔のような形相で開かれた口には大きく鋭い牙が伸びていて、そいつで白石さんの頭に噛みつこうとする。
彼女は素早く頭を傾け、迫ってきたブラッディバットの牙を間一髪避けるが、旋回してすぐに彼女の背に向き直った敵は、鋭い声を上げて再び襲いかかる。
俊敏に身をかわした白石さんだったが、敵の動きが上回り、彼女の肩が噛みつかれた。
「キアウッ!」
白石さんの肩当ては『SDG』統一の物で、鉄と獣の皮で作られた物だ。
それにおそらく魔溜石の粉末も使われていて防御力を上げている。
しかしそれ以上にブラッディバットの牙が鋭く強かったということだろう、白石さんの肩当ては一噛みで食いちぎられ、その下の衣服も裂かれ、白い肩が露わになった。
彼女の肩は見る見るうちに赤くなり、血が噴き出した。
白石さんは痛苦の声を上げたが、それでもさすが魔獣と何度も戦ってきた経験者だ。
怯むことなく、すぐに鞘から抜き出した『エイト剣』を頭上のブラッディバットに向けて振った。
刀身から出た赤い光の残像が、半円を描く。
それと共に、赤光が打ち寄せる波のように薄闇を侵食。
斜め上の岩肌へと広がり、そのうちの一つの岩にとまっていたブラッディバットを飲み込んだ。
最後に大きな火焔が上がり、すぐに収縮した。
炭のように黒くなった岩が崩れ落ち、地面で粉々になる。
それと同時に奇声を上げながら、黒い影も落ちてきた。
炎に包まれたブラッディバットは地面で翼をバタつかせ、火消しをしているようだった。
「おお、さすが『SDG』! これだから俺も入りたいんだよ」と、明石が声を弾ませる。
「はしゃぐのはまだ早いよ! まだ生きているわっ」
大島さんが眉間にシワを作り、叫ぶ。
そして自身の剣を振った。
大島さんの言うように、その段階でブラッディバットは体に焦げ跡を残しながらも、さらに白石さんを襲おうとしていた。
やはり魔獣……並の生命力ではないということか。
大島さんの放った青白い気の光が半円を描き、ブラッディバットを斬り落とした。
濁った赤黒い血肉が飛び散り、俺たちの足元に降ってくる。
「う、うわっ……グロッ!」
「そんなことでキャーキャー言っている暇はないわよ? 上を見て! もう一匹いるわ」
大島さんが剣先で指した方を視線で追うと、魔溜石が埋まっている場所のそばの岩陰から、別の黒い影が羽ばたいてきた。
魔溜石灯の灯りの中に別のブラッディバットが姿を見せる。
一番動揺を見せた者、あるいは魔溜石採取初心者を嗅ぎ分けたわけではないだろうが、ブラッディバットは他の者には目もくれず、俺に襲い掛かってきた。
俺は頭の上に左腕をかざし、その間、右手で腰の鞘から『エイト剣』を抜いて、「パーフェクト・ヒットォ!」と叫ぶ。
【HIT(=打撃の当たり、命中)・カケル所持魔溜石、『H』、『I』、『T』】
しかし身を屈めた体勢から慌てて発したからか、剣先から飛び出した『HIT』の気は訓練時よりも小さく、その上敵の片方の翼にかすっただけで後方へ逸れてしまった。
「や、やべっ……」
片方の翼にダメージを受け、バランスを崩しながらも、ブラッディバットが俺の左腕に牙を突き立てた。
「ぐわあぁぁっ!」
腕に激痛が走り、その場に腰を落とす。
「瀬戸君!」という大島さんたちの心配した声、「何やってんだよ。いっそ全部血出して、タヌキの血でも入れろよ」という友達思いの鮫川の声に混じって、背後から「カケル君!」という聞き覚えのある声が響いた。
美咲と雛季の声だ。
魔巣窟の入り口手前で腹ごしらえをしていた彼女たちが、ようやく追いついてきたのだ。
しかし振り返って彼女たちに挨拶している余裕はない。
ブラッディバットが翼を翻し左右に移動し、次の攻撃のモーションに入っていたのだ。
魔溜石灯の仄かな灯りが波のように揺れている。その中を大きな影が広がって迫ってくる。
俺は破れかぶれに『エイト剣』を突き出した。
しかし心の乱れのせいか、魔法が発動されない。
それでも突き出した『エイト剣』の刃先はブラッディバットの胴体と右の翼の付け根に傷を作った。
渾身の一振りとはほど遠いが、それでも普通のコウモリなら充分叩き落とせたはずだ。
だが、頭上の飛翔生物は血を振り落とす動作をしてから、尚も俺に襲い掛かってくる。
「ぶおはっ!」
体ごとぶつけられ、視界がブレ、茶色と灰色が入り混じった地面の凹凸が迫ってきた。
ロウソクの火が吹き消されたかのように一瞬目の前が暗くなる。




