第70話・入浴タイムの悲劇
カケル君も一緒に風呂へ入ればいい……鹿角が微笑んで言って、俺の胸は高鳴った。
しかし、「そんなわけにはいかないでしょ!」と、美咲が鹿角の頭を軽く叩いた。
「管理人さんと話をして、みんなが入り終わった後にカケル君だけ入れる時間を少し作ってもらうしかないよ」
「チッ……」と思わず鳴らしてしまった舌打ちをごまかすように、早口で言った。
「そ、それが一番いいかな……。管理人さんが味方になってくれているのは本当に助かるなぁ……ハハハ」
「何だよ、つまらないなぁ……」
鹿角ががっかりしたように肩を落として言うと、雛季も口を尖らせた。
「せっかく『ドンブラコ』披露して見せてあげようと思ったのに……」
ドンブラコ……初めて聞く名前だが、何となく想像できた。
桃太郎の初めの方で出てくる川を流れる桃のことに違いない。
それに見立て、雛季がお尻を水面に突き出すのだろうか……? 恐ろしく興味深い。
この世界にまで桃太郎の話が言い伝わっているのかは定かではないが、美咲が恥ずかしそうに「あれは男の子に見せるもんじゃないよ、雛ちゃん……」とたしなめていたので、おそらく俺の想像はそんなに間違っていないだろう。
「本当、残念。体を洗ってあげられたのに……」
松川さんも艶っぽい微笑を浮かべて言う。
そりゃ、本音では雛季のドンブラコも見たいし、松川さんたちに体を洗ってもらうという夢のサービスも受けられるのなら受けたいものだが、まだ理性は失われていない。
美咲に管理人さんと交渉してもらい、最後に一人で浴場を使わせてもらうことにした。
12人いると狭く感じる部屋も、一人だと当然だだっ広く感じるし、何より静かだ。
隣の部屋の女性たちの黄色い声や、夜風が窓を叩く音が時折響くだけだ。
することもなく、ただボーっと部屋を見回したり、自分の『エイト剣』を眺めてみたりしながら、将棋の香車の駒みたいに部屋の隅でじっと時が過ぎるのを待っていると、メンバーが次々と上がってきて、騒がしさが戻ってきた。
「ただいま、カケル君。何もなかった?」
「いや、こんな短時間で……。部屋にいただけだし何もないよ……」
心配性の美咲に苦笑いで返しながらも、横切っていく他のメンバーたちの姿に目を奪われ、徐々に苦笑いさえも引きつっていった。
雛季、坂出は美咲と同じノーマルなパジャマ(美咲と雛季は向こうの家で着ていた水色、薄ピンクのパジャマ)で、雛季だけ上の方のボタンを留めておらず、胸元がルーズになっているのだが、それはさほど問題ではない。
浅川、小牧は可愛らしい雰囲気に合ったモコモコ生地のパジャマで、これも問題ない。
俺が固まってしまった要因は、他のメンバーにあった。
まず、玉城と広尾。
モデルのようなスレンダーな体型の二人は緩めのワンピースタイプのパジャマで、彼女たち自身はさほど気にしていないようだが、胸元はルーズだし、脚を動かすたびスカートの裾が大きく開いて、こっちからするとドキドキものだ。
そして、松川さんは色気ムンムンの黒いネグリジェを身に纏っていて、胸は溢れんばかり、下はこれまた高級そうな赤紫のランジェリーが透けて見えている。
もはや目に毒だ。
残る鹿角、中間、宇佐は襟元の大きく開いた柔らかそうな生地のTシャツに、下はショーツだけで、丸出しだ。
「みんな……カケル君の手前もうちょっと寝間着にも気を使ってよ」と、最初は美咲や坂出も彼女たちを注意していたが、すぐに諦め、今まで通りの生活に戻っていったので、俺だけが目のやり場に困ってうろたえる状態であった。
その後また、彼女たちはとりとめのない話やゲームをして盛り上がり、各自の寝床についた。
そこからはそれぞれ個人の時間らしく、すぐに眠ったり、本を読んだり、日記らしき物を書いたり、スキンケアをしたりして時間を過ごしていた。
隣の部屋から聞こえていた声もなくなり、本格的に夜のしじまに包まれ始めた頃、部屋の扉が軽く叩かれ、一番近くにいる俺が代表して扉を開けた。
予想通り、外には管理人さんが立っていた。
防具を軽く身に付け、腰には『エイト剣』も佩刀していて、中央本部関係の人間特有の凛然さがある。
だが、間近で見ると顔立ちが整っているし美人だ。
「瀬戸君。風呂場が空いたわ。入るなら入って」
俺は大急ぎでタオルやら着替えを取って来てから、自分の肩越しに部屋を振り返って言った。
「それじゃあ、俺も風呂入ってくるよ」
「いってらっしゃい、カケル君」と、雛季や美咲が声を掛けてくれる。
鹿角も身を起こし、二段ベッドからわざとおどろおどろしい声で言う。
「カケル君~。『花嫁さん』たちはいなくても、幽霊はいるかもよ~? 最近見たっていう噂あるから、気をつけてね~」
「な、何?」
「もう、鹿角さん! ……気にしないで、カケル君。ああやって君を一人だけで行けなくさせて、みんなと入らそうとしているだけなのよ」
「くっ……本当に何てやつだ、あの人は……」
「まあ、ああいうところが可愛いんだけどね……」と、扉を開けて待っていた管理人さんがはにかんだ。
俺の冷めた視線に気づき、管理人さんは表情を引き締め、咳払いをしてから言った。
「さ、さあ、行くわよ。私も忙しいから、行きの案内しかできないからね?」
そそくさと階段を下りはじめた彼女に慌ててついて行く。
中庭には常備されているらしいテーブルや椅子、テントや木箱などがそのまま置かれているが、屋台は撤収されていて、お店の人もよそから来ていた客の姿もなくなっていた。
夜九時半を回ると正門、裏門が閉じられ、住人以外は締め出されるのだ。
今は、先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。
この『ビッグドーナツE』の一階には、住居スペースや備蓄倉庫などの他、剣士のための訓練場と大浴場がそれぞれ一つずつあって、両施設ともこのアパートの住人なら誰でも利用可能(訓練場は当然魔法剣士しか使わないらしいが)だ。
こちらの棟の門のそばに大浴場、向こうの棟の門のそばに訓練場がある。
つまり、俺たちの部屋から階段を下りて、すぐ横が大浴場の入り口になっているのだ。
だから案内も何もないのだが、そのわずかな距離の移動中、例の『黒衣の花嫁』のメンバーに見つかってしまうとも限らないし、初日の今日は管理人さんにも来てもらった方が安心だった。
「小一時間前までずっと魔溜石で湯を温めていたから、まだ十分温かいはずだ。まあ、これからぬるくなってくるから、そんなに長居はできないけど……」
ドアから入って脱衣場まで着く間に管理人さんが流れるように言った。
「これからこの時間が、俺の入浴時間ってことでいいんでしょうか?」
「そうね。この時間に入る女性はいないから、これからもこの時間なら問題ないわ」
「後からやっぱり入るって人が来ないでしょうね?」
「大丈夫よ。ほら、鹿角さんも言っていたように、幽霊の噂があるから。この時間に入るぐらいなら明日にしようって思うのが普通よ」
そう言って管理人さんは笑ったが、俺は総毛立っていた。
「や、やめてくださいよ……。幽霊なんかいるわけないじゃないですか、ハハハ……」
「そうね。でも信じている子は多いから、君は助かったわね。じゃあ、私はこれで……」
「ま、待っ……」
呼び止めようとしたが、管理人さんはせかせかと行ってしまった。
振り返って見た脱衣場は、魔溜石灯がいくつも灯っていて充分な明るさだった。
だが、日本の我が家の脱衣場ほどではない。
つまり一度霊を意識してしまった今の俺には、心もとない明るさなのだ。
その中をゆっくり風呂場の方へ進み、公衆便所の便器のフタを開ける時のように恐る恐るすりガラスの戸を開ける。
目の前に広がった風呂場は魔溜石灯の数がさらに多いようで脱衣場よりも明るく、わずかに安堵したが、部屋の女性たちに不潔と嫌われない程度に体を洗い入浴したら、さっさと出ようと決めた。
脱衣場に揺らめく影に怯えながらも、汚れた服を脱ぎ捨て、風呂場に入って行く。
各部屋と同じく、緩い曲線を描いた縦長の浴場内だ。
右手の壁に、岩で三つに区切られた大きな風呂があり、左手手前に五つの鏡と蛇口、木製の小さな椅子のある洗い場があって、その一つに腰を掛けた。
蛇口はいわゆる『魔神具』となっているようで、他の場所で見る蛇口よりも立派だし、機械的なフォルムだ。
ひねると当然のようにお湯が出る。
魔溜石の力でいつでもお湯が出るようになっているようだ。温度調節のダイヤルもある。
せかせかと体を洗い、終わるとすぐに風呂に浸かる。
「おお……まだ温かい。これは癒されるな……」
幽霊のことなど意識せず、ゆっくり浸かっていたいという気もしてくる。
「ん?」
その時、脱衣場の方で音がした。
「で、出たか……?」と、俺は目を丸くしながら慌てて立ち上がった。
温まった体が一気に冷えていく。
しかしもちろん幽霊なんかではなかった。
俺の存在を知らないこのアパートの住人が、入って来たようなのだ。
どうなっているのだ?
管理人さんの話では俺以外もう利用者はいないはず……。
「とにかく、マズい……」
そう呟き、浴場内を見回す。
脱衣場の方にしかドアはないし、天井近くに付けられた小窓は高いし小さすぎるから脱出不可能だ。
胸が激しく鳴って、室内のこもった熱気も相まって全身の汗が噴き出てくる。
すりガラスの戸の向こうに肌色の影が揺らいでいて、女性たちの声が今までよりも明瞭に聞こえてくる。
「ヤバい……。どうする? 後は……」
俺の視線の先には一番奥の石と岩でできた風呂があった。
そこと真ん中の風呂を仕切る岩は比較的大きく、裏に回れば人一人は隠れることができそうだ。
だが、それも一時的な避難場所にしかならないだろう。
黄色い声が近づく。
迷っている暇はない。とにかく岩の陰に隠れるしかない。
そこから機会を窺って、女性たちの隙を見て抜け出すしかない。
難しいミッションだが、女性の人数次第では何とかなるかもしれない。
「ひああっ」
一番奥の風呂に足を突っ込んだ瞬間、俺は奇声を発した。
そこに張られていたのはお湯ではなく冷たい水だったのだ。
壁に掛かった板を見上げると、そこだけ『水風呂』と書かれている。
「マ、マジかよ……。ぐあ……冷てぇ……」
まだ温かい湯舟にしっかり浸かってもいない状態でこれはキツい。
しかし一旦出ようとした直後、戸が勢いよく開かれる音が響いた。
すぐに女性たちのはしゃいだ声が浴場を満たす。
いけないと思いつつ、こっそり岩の間から向こう側を覗き見る。
好き好んで見るわけではない。脱出のために相手の人数を把握しておく必要があるのだ。
決して、決して喜んで見るわけではないのだ……。
「おうっ……」
思わず驚きの声が出て、両手で口を覆った。
立ち込める湯気のカーテンの先に、裸の女性たちがかすんで見える。
みなさん、なかなかいいプロポーションだ。
いや、それで声が出そうになったのではない(正直に言えばその興奮もあるが)。
何より驚いてしまったのはその人数だ……。
ざっと数えて十人以上いるではないか……!
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『ビッグドーナツE』の管理人、新見は、瀬戸カケルを大浴場まで送ると、足早に自室に戻った。
新見の部屋は『グラジオラス』の部屋がある棟とは反対の棟にあり、室内訓練場の隣にある。
部屋に入るとすぐに体を締め付けている革の防具を取り外し、腰の『エイト剣』も壁に掛けた。
頭の後ろで結わえていた髪をほどき、わずかに汗ばんだ黒のシャツを脱いで、タンクトップ姿になった。
書物や紙の束が雑然と置かれた机の上で、日課の報告書の記載を始める。
本日の『ビッグドーナツE』はどうであったか、何か変わったことがなかったか、訪問者はなかったか、建物内、施設内、中庭のチェックは行ったか、不足している備品はないか、掃除その他の雑務は完了したか、項目ごとの欄を順に埋めていく。
住居人の家賃や魔溜石の徴収に関する進捗状況も記す。
瀬戸カケルの入居についてももちろん書いたが、女性の魔法剣士一名とした。
中央本部にとって、このアパートに男性が入居しようが問題はないだろうが、立派なパーティーとして中央本部のお眼鏡にかなっている『黒衣の花嫁』のメンバーに、彼らを介して、男性入居人の存在が漏れるかもしれないので『女性』と記した方が安全と考えた。
これらを一日の終わりに書き、翌朝、中央本部へレインボーバードによって報告する。
報告書を一通り書き終えると、新見は椅子の背にもたれ掛かり、独り言をこぼす。
「ハァ~、今日は疲れたな。この分は、鹿角さんやフェリシー、松川さんにもしっかり恩返ししてもらうぞ。できれば、琴浦さんにも……フフフ」
彼女たちと送る一時の想像に耽り、体が熱くなるのを感じる新見。
自然と手がタンクトップの中の汗ばんだ胸に伸び、淫靡な吐息を漏らす。
しかしすぐに、その興奮を押えこむほどの眠気が迫ってきた。
次第に現実と夢の境界が曖昧になる。
そんな時、「ポワーン」という音が鳴った。
机の上に置かれた『魔神具』から発せられた音だ。
これは魔溜石の力を利用した、言わばインターホンの役割をする『魔神具』で、中央本部から支給されたものだ。
「こんな時間にどなた?」
新見はボタンを押し、門の外にいる者に声を掛けた。
向こう側の『魔神具』を介して、相手の声が返ってくる。
『管理人さん。『黒衣の花嫁』ですよ。『黒衣の花嫁』キャプテンのクレンペラーはじめ12名、今戻りました。正門を開けていただくようお願いいたします』
「え、ああ……クレンペラーさん? こんな時間に帰宅……」
『私たちが今日、魔巣窟に向かうということは、先週のうちから伝えていたはずですよ? いつもより遅く閉めると約束して頂いたのに……お忘れですか?』
『魔神具』越しのクレンペラー葵の声が強まっているのがわかり、新見は「しまった」と思う。
確かに約束はしていたが、すっかり忘れていた。
「ね、念のため門は閉めておくことにしたのです。今開けます」と嘘をつき、正門を開放した。
クレンペラーたちの部屋は二階だ。
間もなくして壁の向こう側から階段を上がる彼女たちの足音が聞こえ、遠ざかっていく。
新見は胸を撫でおろし、それを機に椅子からベッドへ移り、本格的に眠りにつく準備をした。
しかし、虫の知らせというものだろうか、新見は突然目を覚ました。
新見はベッドから跳ね上がると、急いでブーツを履き、部屋を飛び出した。
大浴場の外壁に沿って進み、上の方にある換気のための小窓を見上げる。
そこからはまだ湯気と灯りが漏れ出ていて、耳をそばだてると若い女性の声が聞こえてきた。
新見は唾を飲み込み、眉間にシワを刻みながら、『グラジオラス』メンバーの部屋がある方へ向かおうとした。
と、外階段の下になぜか琴浦姉妹が下りてきていた。
「あっ、管理人さん?」
「ああ、琴浦さん。あなたたち、どうしてここに?」
「カケル君、戻ってくるの遅いの~」と、雛季が距離感を考えない大きな声で言ったので、新見はすぐに「シ~ッ」と、口元に人指し指を当てた。
「私たちの家にいた時も、こんなに入浴時間が長くなったことはないので少し心配で……。管理人さんは何を?」と、美咲が声を絞って訊いた。
新見は額の汗を手で拭うと、神妙な面持ちで『自分のミス』を話した。
「……ええ? それじゃあ、『黒衣の花嫁』の人たちが、後からお風呂に入ったかもしれないっていうことですか?」
「……ええ。声が漏れているから間違いなく……。だから、瀬戸君は彼女たちに見つかってしまったか、まだ見つかっていないにしても危機的状況だと思う」
「そんな……。とにかく、鹿角さんたちに伝えてきます」と、美咲は困惑顔で言った。
「ごめん、そうしてくれる? あの子たちなら何とかしてくれる気がするわ……」
新見が力なく答えると、美咲は小さく頷き、雛季と共に階段を駆け上がった。
その背に向かって、新見は付け加える。
「もし彼の存在がバレても、クレンペラーさんたちには私が協力したことを内緒にしてよ? 鹿角さんたちにもそう伝えてね」
今まで築いてきた自分の信頼が、住居者の多くを占める『黒衣の花嫁』の者たちの中で失われては今後の管理人としての仕事に支障をきたす。
もしかすると、中央本部へ報告され、職を辞さなければならなくなるかもしれない。
美咲が素直に頷いたので、新見は胸を撫でおろす。
後は鹿角たちに任せて、自分は部屋に戻って何事もなかったように過ごそうと思った。




