第51話・天使の落とし物
盗賊たちに抵抗するため、腰の『エイト剣』を手にしようとしたが……。
「ええ? あれ? 俺の『エイト剣』は……?」
財布を落とした人みたいに慌てて左右の腰を叩くが、そこには『エイト剣』どころか、それを吊るしていたベルトすらなかった。
「これか?」と、青ざめた俺から少し離れたところで男の声がした。
ほの暗い林道の先に長身のシルエットが浮かんでいる。
その体躯と声から、美咲の放った『BAT』に苦しめられていた奴らしい。その男がいつの間にか復活していたのだ。
男は『エイト剣』が付いたベルトごと掲げている。
男自身の剣は腰に見えるので、手に持っているのはどうやら俺の剣らしい。
「何で、お前がそれを?」
「剣を取られたことにも気がつかないとはお気楽だな。まぁ、しょうがないか。剣を吊るしていたこのベルトが切れやすくできていたんだからなぁ」
「ど、どういうことだ?」
本当に男たちの言葉の真意がわからず、ただたじろぐ俺。
その横を、別の男が駆け出した。
美咲たちと戦っていた一番手強い男だ。
男は真一文字に『エイト剣』を振ると、その先にいた鮫川の腰ベルトを斬り飛ばした。
「ああん?」
鮫川は飛び出しそうなほど目玉をむき出しにして、自分の腰元を見下ろす。
彼の太い腰回りから、ベルトごと『エイト剣』がなくなったことに気が付いた時にはもう遅く、剣は後ろに回り込んでいた長身の男の手にあった。
「てめっ……」
鮫川は振り返り、長身の男に猛然と襲い掛かったが、背後から別の男の『AIR』を食らい吹っ飛ばされ、アルベール・カミュの最期のように立木に激突した。
「この『エイト剣』二本ももらっていくぜ」と、長身男が俺たちの剣二本を高々と掲げる。
「フ、フザけんなっ!」
俺は男に飛びかかろうと前へ出た。
そりゃ、魔溜石どころか『エイト剣』もないし、直前で同じような行動に出た友があっけなく殺された(生きているかもしれないが)場面も目の当たりにしてはいるが、黙って突っ立っているわけにはどうしてもいかなかった。
だが、俺の体を引き戻すものがあった。
両目に涙を浮かべた美咲だ。
彼女が俺の腕を掴み、無謀な突撃を引き止めた。
彼女は口を引き結び、無言で首を横に振ると、それと同時に一筋の涙が頬を伝った。
直後、藪から小柄な影が道に出てきた。衣服の胸元を斬られたあの女性だ。
「みんな、あっちから衛兵たちが来るよ!」
「そりゃぁ、面倒だな。取るもの取ったし、行くか」
男がそう言うと、みな同意し、次の瞬間には蜘蛛の子を散らすように去って行った。
暗く寒い林道に、何もかも失った俺たちだけが取り残された。いつまでも溶け残っている日陰の雪のようだ。
マントの強盗集団が立ち去ってから数分後、銀色の肩甲や腕甲に、青い胴鎧とすね当てという格好の衛兵が三人やってきた。
女性も一人いる。魔獣や魔法剣士を相手にすることもある衛兵は危険な仕事だと思うが、『サライ』には女性の方が多いから、衛兵にも女性が多くいるようだ。
彼らはゆっくりやって来た。マラソン中継に映る、沿道で数メートルだけランナーと並走する子供だってもっとがんばって速く走っているぞ、と言いたい。
「どうした? 向こうの人たちから、ここで何かあったらしいと通報があったが?」
男の衛兵がぶっきらぼうに訊いた。
「そっちの子はケガを負っているようね?」
女の衛兵が雛季を指差した。
「奪われちゃったの……雛季の魔溜石……」と、雛季は涙ぐむ。
「強盗だな? この辺は人通り少ないからなぁ。たまに通る奴を狙って現れるんだよ、そういう輩が……」
もう一人の男の衛兵が、何でもないことのように言った。
彼らの態度を見ていると、とても解決されるとは思えないが、一応概要を話し、最後に言った。
「奴ら、『デスドライブ』とか何とか名乗っていたな……。グループがわかるなら、捕まえることもできるんじゃ?」
「『デスドライブ』ねぇ」
「知っているんでしょう? だったら捕まえて、俺たちの金や魔溜石を取り返してくれよ?」と、俺は懇願した。
衛兵たちは薄ら笑いを浮かべ、一人の男が面倒くさそうに口を開いた。
「そりゃ、知っているとも。何かと厄介ごとを起こす連中だ。俺たちも手を焼いているよ。しかし、奴らが自分で『デスドライブ』と名乗るのはどうかな? マントで顔や防具を隠しまでして……?」
「そ、それは……」と、もっともなことを言われ俺は口ごもる。
「私も、それは違うと思う……。彼らは『デスドライブ』に罪をなすりつけようとしているだけだよ」
美咲がうつむきながら力なく言ったので、俺は首を傾げてうなる。
「う~ん……じゃあ、手掛かりなしか……? もう奪われた物は返ってこないのか?」
「う~……。そんなの嫌なの!」と、雛季も唇を噛んだ。
鮫川も加わって、衛兵たちに詰め寄る。
「おい、どうなんだよ? このまま泣き寝入りしろって言うのか? 困った市民を助けるのが、あんたらの仕事じゃないのか?」
「一人一人の要望に応えるほど暇ではない。現場にいたら仲裁や助けに入るが、身を護るのは基本自分自身、それがこの街の掟だろ。まぁ、とりえずお前たちの証言から相手を我々のリストに入れるが……残念だが、奪われた物が戻ってくる可能性は少ないと思ってくれ」
その後衛兵たちは、俺たちの訴えを聞き入れる様子もなく、早々と話を切り上げて去って行った。
再び、静かな林道に俺たちだけが残された。
しばらくうつむいたまま黙って佇んでいた美咲が、おもむろに口を開いた。
「彼らかもしれない……」
「……彼ら?」と、雛季が首を傾げた。
「剣を売った、菊池という人たち……」
「な、何だと?」と驚きの声を上げつつも、俺にもすぐ思い当たることが出てきた。
前方にいた敵のうち、幾つもの魔法を繰り出したあの男……あいつの声は、あの『ザ・レイブン』という店の地下にいた酒田というマッチョ男の声に似ていた気がするのだ。
そう考えると、後方にいた女は、サイコロ勝負の時、俺の隣に座っていた渋谷という赤毛の女性の声だった気もしてくる……。
「私たちの『エイト剣』からは魔溜石だけを奪った。ということは、持ち主が存在する『エイト剣』に手出しすると、何かと厄介だと考えているからだと思うの。それなのに、カケル君たちの『エイト剣』だけはためらいなく奪っていった……」
「俺と鮫川の剣は、裏で手に入れたものだと初めからわかっていたってことか?」
「だと思う。あとから思えば、私たちから魔溜石を奪う時も、君たちに魔溜石を要求することはしなかったはず……。それは君たちの『エイト剣』に魔溜石がはめられていないことを知っていたから」
「くそっ! あいつら……賭けで負けて損したからって、襲ったのか? 許せねぇ!」
憤る鮫川を手でなだめるようにしてから、美咲は重い口調で続けた。
「賭けの以前に、こういうことをするつもりだったのかも……。君たちにおまけのようにくれた腰のベルト。普通ね、これって魔法剣士にとって大事な『エイト剣』を取り付けておくものだから、かなり丈夫に作られているはずなの。私たちだって、このベルトには結構お金をかけたのよ」
「お父さんがフンパツしてくれたんだよね?」
「うん。人によっては防具と同じぐらい丈夫なものを使っている人もいるし、大概魔溜石の粉が使われているの。それなのに、君たちがもらったあのベルトはあっさり切られてしまった……」
「奪うことを前提としていたわけかよ?」
いきり立つ鮫川に続いて、俺も今思い出したことを口にする。
「それでか……! 確かにあの長身の奴が、ベルトを切れやすくしていたとか何とか口を滑らせていた! じゃあ、やっぱり……いや、でも……」
菊池たちへの疑いが深まっていったが、一つのひっかかりにより言い淀んでしまう。
その点には、意外にも雛季も気がついていたらしく、彼女は姉に遠慮なく言った。
「でも~、雛季ね、あのお店を出てから何度も後ろを見たよ? 誰かが後をついて来ていたら気がついたと思うな~」
「そうなんだ」と、そこで俺も続いた。
「俺も君たちの後ろで、鮫川の実りのない話を聞き流ししつつ、度々後ろに目をやっていたんだ。まさか直前に会った菊池たちが狙っているとは思わなかったが、せっかく手に入れた剣を誰かに取られるんじゃないかっていう不安が実はちょっとあったんだよ。だけど、怪しい奴はついて来てなかったと思うんだが?」
「この手の悪事に慣れている相手なら、尾行もそう簡単に気づかれないと思うな。それに……ある程度距離を置きながら、特殊魔法を使って私たちの居場所を特定した可能性もあるわ」
「そういう魔法もあるのか?」と尋ねると、美咲は真剣な面持ちで頷く。
「私の推測だけど、あの男……『ベアー・ラッシュ』とか何とかって言う魔法を使った男。あの人の持つ『エイト剣』なら、『EAR』という魔法を使えるはずだから、それを使ったんじゃないかな?」
「イヤーって……『耳』ってことか? ……そう言えば家で読んだ、あの魔法が書かれた冊子にも書かれていたかもしれないな……」
「うん、あれにも載っているよ。『EAR』は使用者の聴力を研ぎ澄ませる特殊魔法なの。魔法の完成度や使用者の能力によって範囲や精度はまちまちだと思うけど、少し距離が開いた程度なら、話し声や足音で対象者を追跡することもできるはず……。あの男が『BEAR』の魔法を発動できるということは、当然『E』『A』『R』の魔溜石も揃っているということだから、『EAR』の魔法も使えるし」
「すごい読みだな……」と素直に感心すると、なぜか雛季まで得意気になった。
「お姉ちゃんは頭いいんだよ! 雛季にもわかりやすく勉強を教えてくれるの!」
「う~ん……それにしてはその成果が出ていないような……」と、俺は独り言のように呟く。
「じゃあ、決まりじゃねぇか? 今の強盗はあの菊池って野郎の仲間だ!」
息巻く鮫川に対し、美咲は曇った表情で返す。
「ここまで言ってあれだけど……それでも断定はできないよ。あくまで私の推測だし……。今言ったことがすべて偶然で、本当に『デスドライブ』の、あるいは『デスドライブ』を騙った他の強盗集団ってことも否定できない」
美咲は辛そうに頭を抱えながら、自分で導き出したことを引っ込めてしまった。
そうなると、俺が耳にした強盗たちの声も、本当にマッチョ男や赤毛女性のものだったかどうか……自信がなくなってくる。
しかし、その自信がまた揺るぎないものへと変わることとなった。
それは、沈んだ気持ちのまま林道をゆっくり進んでいる途中だった。
「ん? ……ちょっと待ってくれ」
「どうしたの、カケル君?」
道の途中で止まった俺に、雛季が踵を返し近寄ってくる。
傍の木にくくられた魔溜石灯が仄かな明かりを落とす路上に、何か光るものが落ちていて、俺はそれを拾った。
それは切れたネックレスのようだった。
そしてその真ん中に、シルバーの天使の飾りが付いている。
この天使のネックレス……どこかで見たことがあると、記憶を辿っていくと、すぐに思い出した。
「君たち、ちょっと見てくれ。この天使のネックレスって見たことあるか? この街では流行っている物だったりするのかな?」
ネックレスを乗せた手のひらを突き出すと、姉妹は顔を寄せてそれに目をくれた。
「可愛いね。これ、落ちてたの?」
「う~ん……あまり見ないかな? 天使のデザインはあるにはあるけど、これは細かく作られた銀細工だし、高そう。でも、それがどうしたの?」
「ああ。実はこれと同じものを、さっき店で菊池の隣に座っていた女がしていたのを思い出したんだ」
「え? それじゃあ……」と、美咲が視線をこちらに上げて言った。
「今の強盗の中にあの女の人がいた、証拠?」
「これが珍しい物だったら、やっぱりその可能性が高いということだろ。さっきの戦いで、美咲がマントの胸の部分を切った女の人がいただろ?」
「あっ! あの大きなオッパイの人だね?」と、雛季が恥ずかしげもなく言った。
「そう、あの胸はきっと……いや、それはよくわからんが……あれがその女だったんじゃないか? その時ネックレスも切れて落ちたんだ」
「本当なのか? しかし、よく女のネックレスなんて覚えていたもんだな?」と、鮫川は怪訝な顔を向けてくる。
「だから~、菊池の横にいた女も谷間を見せていたから……あ、いや……」
美咲は冷めた目つきで俺を見てから、小さく息をついた。
「とにかく、やっぱり彼らってことかな……」
「よし、早速取り返しに行くぞ! 奪われたもん全部だ。金に魔溜石に剣、そして俺たちのプライドだ!」
言い終わるが早いか、鮫川は『ザ・レイブン』の方角へ歩を進め始めた。