第3話・深い眠り
命を狙うつもりはない、お前の行動次第では……。
家に侵入してきた男二人のうち、後ろの男がそう言った。
手前の男がそれを制するように手を挙げる。
「脅かすな。……とにかく時間がないんだ。この者には早く冷静になって、しっかりした話をしてもらわねば……」
「は、話? い、一体何を?」
何とか絞り出した俺の声は掠れていて、自分でも何を言ったのかよくわからないほどだ。
手前の男がこちらを睨みつけながら、一歩前に出てきた。
「……ここは瀬戸国博氏の自宅で間違いないな? そして君は息子の……あぁ、カケル君だったかな?」
その問いかけを聞いて俺は、本当に彼らが金品目当てに上がりこんで来た強盗なんかではないと悟った。
『親父がしていた仕事』に関わりのあることで現れたのだ。
親父が仕事先でいなくなる前にも、怪しい人物たちが訪ねてくることが何度かあった。
しばらくなかったので忘れていたが、この男たちもそういう類の訪問客なのだろう。
それにしても見た目が怪しすぎるし、無作法すぎるが……。
俺は震え声で答える。
「だとしたら何ですか? い、言っときますけど、父はここにはいませんよ? もう五年近く……」
「ハァ~……。そうらしいな。残念なことだが……」
手前の男が深く嘆息してから、額に手を当てた。その後ろで今度はもう一人の男が荒っぽく問いかけた。
「母親はどうした? 母親は今もこっちにいるはずだろ?」
「お袋? さっき買い物に出て行ったよ。しばらくは帰ってこない……と言うか、一体何なんですか?」
「買い物ってどこに……」と、後ろの男が言いかけたが、手前の男がまた手で制した。
後ろの男はひげもなく、声からしても若い印象だ。どうやら手前の男の方が年配者で主導権があるらしい。
「母親を探している時間はなさそうだ。それよりもこの家の中を急いで探そう。何か見つかるかもしれん」
そう言い終わる前に、手前の男は俺を押しのけ台所から廊下へと進む。
思わず体をのけ反らせた俺の横を、後ろの男も通り過ぎていく。
二人は早足で家の中を歩き回り、リビングルームへ。そしてすぐ隣の和室へ押し入る。
「ちょ、ちょっと待てよ! 何なんだ、人の家に勝手に……!」
さすがに看過できず叫んだが、男たちはこちらを振り返りもせず、和室のたんすの引き出しや押入れを開けて、乱暴に中を確認している。
「無礼なことだとはわかっているが、時間がないんだ。許してくれたまえよ」
あごひげの男がわずかに顔をこちらに向けて言った。
そんなこと言われても、そうですか、わかりました、許可します……とはならない。
その間、若い方は「ねえなぁ~」と呟き、舌打ちを繰り返す。
しばらくしてからあごひげの男は和室に背を向け、こっちに詰め寄ってきた。
「君の父親が残した資料などがないか探している。君も何か知っているなら協力してほしいんだが……」
父親が残した資料……。
つまり親父が働いていた宇宙エネルギー研究施設・『キルデビルヒルズの空』での研究資料ということだろう。
俺も幼い頃から親父たちの研究が、地球の新エネルギーを生み出す可能性を秘めた大きな仕事であり、国の関係者はもちろん、様々な企業や研究者たちが施設の研究の成果に関心を示していたのは知っていた。
中には将来的利益を見越して接触を図る胡散臭い連中もいて、親父を含む施設の者たちを悩ませ、俺たち家族も巻き込み苦しめてきた。
この二人もやはり同じだ。
しかし今までの訪問客以上に、彼らからは逼迫感や脅迫的なものを感じる。
「俺には……わかりませんよ」
その言葉に嘘はない。
親父の勤め先が宇宙エネルギー研究を謳っていること、それが新たなエネルギーに繋がるかもしれないことは知っていたが、それだけだ。
元々口数の多い方ではない研究者肌の親父は、たまに嬉しそうに話すことと言えばどうでもいい雑学的な話で、自身の仕事に関して多くを語らなかった。
お袋にはある程度の話はしていたようだが、その分野に疎い専業主婦のお袋はそれほど理解していたわけではないし、熱心に話を訊くこともなかった。
だから、親父の部屋のどこに何があり、どの資料を男たちが欲しているのか、まったくわからない。
きっとこの場にお袋がいても同じことだろう。
俺が二階にある親父の部屋の場所を言うまでもなく、階段を上って行った男たちはすでにその部屋に踏み込んでいた。
「ちょ、ちょっと! そんな勝手にっ……!」
親父の部屋の入り口付近に立つ若い方の男の肩に手を掛け横暴を止めようとしたが、彼はそれを払いのけ、振り返りざまに俺の肩を激しく押した。
「何度も言うが時間がないんだ。邪魔をすんな」と、若い方が言った。
部屋の奥にいる先輩と思しき男の手前、なんとか苛立ちを抑えているような口調だった。
一方、あごひげの男は親父の机の上に積まれた本のページや紙の束を慌ただしくめくり、書かれている内容を確認していた。まるでレコード店の箱にまとめられた格安レコードから、掘り出し物を見つけようとしている人のような速さだ。
しばらく部屋を荒らし回ってから、あごひげの男が渋い顔をしてドアに近づき、廊下にいる俺に言った。
「父親が行方不明になっているのはわかっている。その点に関しては我々の方が……。そこで君にもう一度訊きたいのは、お父さんが研究していたものに関して何か話をしていなかったか、ということだ」
「……だから、俺には何もわからないって」
廊下の壁を支えに立ち上がりながら答えた。
「本当か? 自分の仕事のことを話しはしなかったというのか? 息子の君にも? この際、お母さんの話でもいいんだ。お父さんが研究していたもの自体に関しては我々も大体知っている。そうではなく、研究施設で秘密裏にしていたことについて知りたい。そういうことをメモしたノートか何かが存在しているはずだ。そういうことも聞いていないか?」
「き、聞いていません。あなたたちが親父の知り合いであるなら、性格も知っているはずだ。親父は口数が多い方じゃないのも……」
二人は無言で顔を見合わせた。
若い方がこちらに指を向け、声を荒立てて、「何か隠しているな? 言わねぇとブチ殺……」と言いかけたところで、あごひげの男が「やめろ、大野!」と一喝した。
どうやら若い方は大野という名前らしい。
「『この場で』尋ねて話を引き出すことは、難しいことはわかっていただろ。そんなことをする前に、ここの物をできる限り持ち帰るぞ。この辺に取り出した物が何か手掛かりになるかもしれん」
そう言ってあごひげの男は、机の隅に選り分けられていた書物やノートなどの山を指した。
そして、部屋にあった大き目の袋を二つ開き、その中に次々書物などを投げ入れた。
勝手に人の家の物持っていくなよ……とはとても言えない雰囲気だった。
「こうなってしまったら……一番重要な物はこういう本やノート、資料しかない。これらを持ち帰るのが最優先だ」
重い口調でそう言ってから、あごひげの男は作業の手を止め、こちらを一瞥した。
「……彼の話はあとだ」
「え……?」
だから俺は何も知らないから話なんてできない……と、言うこともできなかった。
二人はあっという間に大量の本やノートを袋に詰め込み終え、それを難なく片手で持ち上げ、部屋を後にした。
「下りろ」と若い男に促され、俺は最初に階段を下りる。
三人が階段を下りた直後、玄関の扉が激しく叩かれた。
「おい、瀬戸ぉ! 何している? いい加減にしろよ。勝手に上がるぞ?」
鮫川の怒声が聞こえ、急かすように扉の取っ手をガチャガチャと回している。
こちら側の男二人は顔を見合わせてから、あごひげの方が俺の腕を掴み、廊下の奥へ引っ張った。五本指の痕が永久に残りそうなほど強い力で、その痛みに声を漏らそうとしたが、ブックエンド向きのしっかりした手のひらで俺の口を塞いだ。
「うっ……んぐぐ…」
二人はそのまま俺を引っ張り、廊下の先を曲がったところにある脱衣所に身を隠した。
「……そう言えば、表の方に誰かいたな……。友人か?」
あごひげの男は背後から俺の頭を押え、耳元で囁いた。
生温かい息がかかって何とも気持ち悪い。
「友人と呼べるかどうか……。まぁ、一応、そういうことで……」
語尾に重なって、呼び鈴が三回鳴った。
「面倒だな……。帰らせる方法はないのか?」
「無理でしょうね。特に今日は……。それより俺は早くあなたたちに帰ってほしいんですが?」
微苦笑を浮かべて言うと、若い男の方がいきなり胸ぐらを掴んで壁に押えつけてきた。
「くだらねぇこと言ってんじゃねぇ! 追い返す方法を考えろ」
「す……すびばせん……」
壁にくっつけられたまま、俺はこもった声を吐き出す。
その最中、呼び鈴とは違った音が鳴った。携帯電話の着信音のような機械的なもので、あごひげの男の胸から聞こえる。
あごひげの男は一歩下がり、コートの胸ポケットからやはり携帯電話のような物を取り出し、一瞥した。
「どっちみちタイムリミットが来たようだ……。外の奴らは放っておけ」
「こいつはどうします? やはり予定通り……」
若い方の男が訊くと、あごひげの男は首肯した。
腹の方から苦いものがこみ上げてくる。
「お、おい……。お、俺は? まだ自由にしてくれないのか?」
あごひげの男はわずかに口角を上げて、頷いた。
「まだ言っていないことがあるかもしれないからな。それに、今は忘れているが後から思い出すこともあるだろう。我々の計画は大きく狂ったが、それでも可能なことはしなければならないのだ」
「よくわからないんだけど……その~……二階にあった親父のノートや資料は持っていくんだよね? それだけでは足りないのか?」
「ああ。可能なことは他にもある。それが君を連れて行くということだ」
「連れて行く? 俺を、どこに?」
両手両足をバタつかせて抵抗を試みるが、大柄の男二人に押えられてはどうしようもない。
あっという間に羽交い絞めにされ、身動きできなくなった。
そこで、玄関の扉が手荒く開けられた。
鮫川が何か喚きながら家の中に入ってきて、すぐさまこちらの状況に気がつき、声を詰まらせた。
「……あん? 一体誰だ、そいつら?」
その後ろから伊賀も顔をのぞかせた。
「カ、カケル……?」
若い男の方はそのまま俺を羽交い絞めに、前に立っていたあごひげの男が「仕方ないな……」と呟き、鮫川たちの方へ駆け出した。
男は腰に吊るしていた剣を抜いた。
光の加減で銀色にも黒にも見える刀身は八〇センチ前後だが、両手剣としても扱えるようになのか柄は長く、迫力を感じさせる。
狭い廊下で振るうには不便なはずだが、そんなことを感じさせないほど瞬時に、うまく剣先を鮫川たちに向けた。
そしてなぜか男の持つ剣の刃は、全体的に仄かに青白く発光していた。
日が沈みかけ、薄暗くなっている瀬戸家一階の廊下が、不気味に照らされた。
近寄る男に対し、鮫川はまだ事態が読めないというように、緊張感ない口調で言った。
「剣? まさか、それ本物じゃねぇよな? おい、瀬戸。何なんだ、こいつらは? お前、コスプレーヤーの友達がいたのか?」
「いや……」と、伊賀はあくまで真剣な面持ちで首を振り、鮫川の前に出た。
「どうもそんな冗談言っている場合じゃないようだ。カケルの友達にしては歳がいっているし……殺気を感じる!」
「なるほど。君の方が、理解力がありそうだな……。自分たちの危機を察している」
独り言のように呟きながら、男は発光している剣を小さな動きで振り下ろした。
剣から幾つもの光の尾が伸び、前方にはもっと激しい光線が閃いた。
電光石火の出来事だった。
その眩さに俺が思わず薄目になってしまった間に、様々なことが起こった。
伊賀はとっさに身を翻し直前で光線を躱したが、彼の背後にいた鮫川が玄関扉の横の棚に激突していた。
鮫川の大きな体と、剣から飛び出した光線のものと思われる衝撃波が合わさってぶつかり、木製の棚の扉が木っ端微塵になった。
家全体に地震のような揺れも起きる。
そして鮫川は崩れ、片膝を立てた状態で、唸った。
「がはっ……な、何をした……?」
手を当てているブレザーの肩の部分に裂け目が入っていて、下のシャツが血で滲んでいるように見えた。
鮫川は犬のバンティングみたいな荒い呼吸を繰り返し、その顔には珍しく戸惑いの色が見てとれた。
いつの間にか伊賀は、立てかけてあった一番大きく丈夫そうな黒い傘を取って、刀のように構えていた。
しかし相手の剣に対し、傘というのはあまりにも分が悪すぎる。
しかも相手の剣は何やら普通のものではない。異様な剣だ。
現代社会において普通の剣でも振り回されたら恐ろしいのだが、その上に飛び道具のようなものまで備わっているらしい……。
伊賀はまるで本物の剣に見えてしまうほど華麗な傘さばきを見せたが、結局は傘だ。
男の剣に弾き飛ばされ、あっという間に丸腰にさせられる。
次の一振りが伊賀の肩を叩き、彼はうつ伏せになって、苦痛の声を漏らした。
あごひげの男は倒れている伊賀の頭上に立ち、抑揚なく言った。
「なかなかの動きだったな……。まさか一発目の攻撃をかわされるとは思わなかったぞ……」
その時にはもう、横に向けられていた伊賀の両目は閉じられていて身じろぎ一つしなくなっていた。
その横で鮫川も、片膝を立てた状態で扉に寄りかかっていた。
彼もまた疲れて電車で眠るサラリーマンのように……あるいは永遠の眠りについたかのように、目を閉じたまま動かなかった。
「二人に何をしたぁ!」
後ろで抑え込まれながらも、俺は精一杯の力で暴れ、叫ぶ。
「黙れ。暴れんな!」
「安心しろ。少し眠らせただけだ。それに……君にも同じように眠ってもらう」
あごひげの男が逆光の中、こちらに体を向けた。
その光景を最後に、俺は深い眠りに落ちていった。