第37話・宙に浮いた雛季
残された魔獣……ワイルド・デビルボアは、次なる獲物を探すように周囲を見回している。
そして当然、真っ先に狙われたのは一番近くにいる須賀川だ。
近くにいる上、彼は今も別のワイルド・デビルボアを攻撃し続けている。
魔獣に、味方を助けるという本能が備わっているのかはわからないが、とにかく須賀川が当面の敵と判断された。
ワイルド・デビルボアに前後から一人挟まれた須賀川は、半ば自棄になって、前に後ろに技を繰り出す。
ランプシェード君の置き土産が、『NIB』の打突を受けながらも須賀川に猛突進していく。
須賀川はバックステップをしながら距離を取り、「バインッ!」と叫ぶ。
通常のイノシシだと、突進時の時速は40~50キロぐらいだろうか?
しかしこのワイルド・デビルボアという奴はそれ以上に速いようだ。
通常より体が大きい分、俊敏性は失われそうなものだが、速度でも勝っているのだ。
あの巨体で、あの速さ……。やはり魔獣としか言えない。
一気に目の前まで距離を詰められた須賀川だったが、『エイト剣』の先から放たれた黄緑色の光の束が、ワイルド・デビルボアの巨躯に絡みつき、その勢いを殺した。
須賀川は立て続けに「ニブッ!」と叫ぶ。
くちばしのように先端が尖った気が、魔獣の右肩の盛り上がった肉を穿つ。
一瞬、須賀川の顔に薄い笑みが浮かんだ……その直後。
また表情が歪んだ。
彼のすぐ背後にもう一頭のワイルド・デビルボアの黒い影があった。
元々須賀川が相手をしていた奴だ。
同じく『NIB』という魔法によって、動きを制限されていたはずだが、須賀川がバックステップをしたことにより、反対にそっちの方へ近づいていたというわけだ。
制限された動きの中でワイルド・デビルボアはわずかに頭を動かし、自ら背を向けて近寄ってきた相手……須賀川の、虚を衝いたのだ。
須賀川も防具を身に纏ってはいるが、琴浦姉妹やもう一人の女性魔法剣士がそうであるように、奴の防具も身軽さを重視したもので、充分な防御ができる代物には見えない。
あくまで防御も『エイト剣』でするのだと美咲が言っていた。
それと同時に美咲は、剣士たちの防具には魔溜石が使われているから、見た目以上に防御力は高いとも言っていた。
須賀川の防具もきっとそうなっているのだろう。
しかし、思いっきり背中を牙で突かれたから、ダメージは想定を超えたものだったらしい……。
須賀川は前に倒れると、狂ったように土の上で転がり絶叫する。
さらに彼のすぐ斜め上には、ランプシェード君が置いて逃げた、もう一頭のワイルド・デビルボアの牙がある。
植物の『つる』のような気で押さえ込まれているが、強引に牙をぶつけてくる可能性も否めない。
それに……。
考えたくはないが、須賀川があの女性魔法剣士のように『オーバーワーク』で倒れてしまったら……?
ワイルド・デビルボア押さえ込んでいる彼の魔法も、消えてしまうのではないか?
そうなれば、二頭の猛る魔獣が自由の身になってしまう。
そして、奴らとまともに戦えるのは、雛季だけ……。
非常にマズい。
俺の頭の中に、美咲の姿が浮かぶ。
いや、何も美咲じゃなくてもいいのだ。誰か別の魔法剣士が応戦に来てくれないだろうか……。
誰か、助けを呼んできてくれ……!
逃げまどう農家の人たちに向けてそう声を発しようとした時、背後からぬっと人影が前に出てきた。
クロスボウを構えた親父さんだった。
「農具置き場に念のため置いていたんだ。こんなもん効くかわからないが……」
震えた低い声。クロスボウを持つ手も小刻みに震えている。
「クロスボウってやつですか……。ある程度の威力はありそうですけど、相手が普通の動物じゃないからなぁ……。猟銃なんかはないんですか? ほら、狩りをする人もいるって聞くし」
「長いこと中央本部によって製造が禁止されているんだ。クロスボウだってこれ以上大型の物は禁止されていて、見つかったら没収されちまうんだ」
親
父さんはそう言いながら、じりじりと敵へ歩み寄るが、途中でその足は完全に止まった。
「ちくしょう! 手が震えるな……。こんなことになるなら、昼に一杯引っかけなけりゃよかったな」
「飲んだんですか?」と問い詰めかけたが、やめた。
きっと魔獣を前に親父さんも慄いているのだ。それをごまかすため酒を言い訳に使っているのだろう。
「ただでさえこの矢の軌道は不安定なんだ。もっと近づかないと……」
親父さんの背中の先に、立ち上がった須賀川が見える。
彼が剣を構えた矢先、その腕をワイルド・デビルボアの牙が突いた。
「ぎあああっ!」と、しゃがれた悲鳴が響き、須賀川の三白眼が大きく開いた。
そして彼の手から、剣が滑り落ちた。
おそらく魔法剣士にとって命の次に大事な『エイト剣』が、ただの棒きれのように湿った土の上で倒れる。
魔法の効果が薄れているのか、須賀川を挟んだ二頭の魔獣の動きがまた活発になったように見えた。
「ヤ、ヤバい! お、親父さん……そいつを貸して!」
そんな言葉が口をついて出た。
下手な奴が操作するラジコンカーのように、前に出たり後ろに下がったりしている親父さんを待っていては、須賀川の身が危ない気がした。
ほとんど反射的に、俺の手は親父さんのクロスボウを持つ腕に掛かっていた。
「お、俺が近づいて、こいつを撃ちます」
「カケル君……しかし……」と、困惑した顔を見せた親父さんだったが、その手からすでにクロスボウは流れるように俺の胸元に移っていた。
親父さんは無言で後を俺に任せた。専用の小型の矢も数本渡される。
俺はワイルド・デビルボアにクロスボウの先を向け、一歩一歩前進する。
クロスボウなんて使用したことがないので、後になって自信がなくなってきたが、今更引き下がるわけにはいかなかった。
引き金を引けば矢が発射されるはずだ。
ワイルド・デビルボアに気が付かれないように、忍び足でじわりじわりと歩を進める。
もうここまで来れば矢を外しようがないというところまで接近すると、俺の存在が目に入ったか、あるいはたまたまか、そのタイミングでワイルド・デビルボアが須賀川に向かって前進した。
須賀川の魔法……『BINE』にも限界が来ているようで、魔獣は、封じられてから一番大きな動きを見せる。
ワイルド・デビルボアの鼻が須賀川を激しく押した。
彼は軽トラックにぶつかったように後ろへ弾かれる。腕から滴り落ちていた血が、その動きに合わせて飛び散った。
土の上に落ちていた『エイト剣』と須賀川の距離が広がる。
さらに、すぐ後ろにはもう一頭のワイルド・デビルボア。
そして次の瞬間、彼の前のワイルド・デビルボアが再び突進。
しかも、牙を下から突き上げようとしている。
「待てぇぇぇ!」
敵の意識を引きつけるためと言うよりは、ただ思わずそう叫んで、俺は引き金を引き、クロスボウの矢を放った。
矢はワイルド・デビルボアの鼻に突き刺さった。
魔法を受けた時ほどの反応がない。
痛がる様子も見せないし、鳴き声を上げることもなかった。
だが、ワイルド・デビルボアの突進は止まった。
そしてその両眼がこちらに向けられる。
薄闇の中、わずかに光る両眼。
「は、早く逃げろ!」
震える手で次の矢を番えながら、須賀川に向かって叫んだ。
須賀川は戸惑いの表情を見せてから、横に勢いよく転がった。
立ち上がるとすぐにその場から走って逃げる。
ワイルド・デビルボアはターゲットを変えたように、完全に頭を俺の方に向けた。
すでにその体に絡まっていた『つる』のような気は消滅しかかっていた。
横にいるもう一頭も、すでに自由の身になっていることをアピールするかのように、ブルブルと巨体を震わせてから、こっちへ眼光を向けた。
「お、お前も早く逃げろよっ!」と傷を負った腕を押えている須賀川が、少し離れた場所から叫ぶ。
「俺の剣は奴の足元だ! 拾って反撃なんてできねぇぞ?」
ワイルド・デビルボアはこちらへ突進を開始した。
初めての上、手の震えや焦りもあったので手間取っていた新しい矢のセットを何とか終えたが、その時にはもう俺の目の前に魔獣の鼻頭と二本の太い牙が迫って来ていた。
慌ててクロスボウの引き金を引き、矢を飛ばす。
至近距離でワイルド・デビルボアの眉間に突き刺さる。
……が、相手の突進は止まらない。
このままでは突き飛ばされる……あるいは体に牙が突き刺さる……!
そう思うが早いか、背後から三段跳びの掛け声のような声が耳に届く。
「カッケルッく~んっ! オックス・アターック!」
【OX……雛季所持魔溜石・A・F・『O』・『X』】
雛季の声だ。
直後、目の前に赤い楕円の大きな光。
それがワイルド・デビルボアの巨躯と激突した。
俺の目前で花火のような閃光が発生、爆風も起き、後ろに投げ出された。
「ぐわっ……」
台風の日に仕舞い忘れられたバケツか何かのようにコロコロと転がり、5、6メートルほど下がったところで土を掴んで何とか止まった。
口に入った泥を吐き出しながら、前を見据える。
ワイルド・デビルボアも『OX』をまともにくらい、遠くで岩のように倒れていた。
俺の横を風が通り過ぎる。
前に走って行った雛季だった。
彼女はわずかにこちらを振り返ると、「ごめん、カケル君~。大丈夫~?」と訊いてきた。
俺の返事を聞く間もなく、雛季は『エイト剣』を両手で構え直し、さらにワイルド・デビルボアに向かっていく。
ワイルド・デビルボアはすでに、ややふらつきを見せる四肢を使って立ち上がっていた。歯磨き最中にえずくオッサンのような声を出してから、雛季に向かって突進開始。
「フォックス・コンコン!」
【FOX……雛季所持魔溜石・A・『F』・『O』・『X』】
雛季は赤い魔法を放ち、大きくジャンプした。
炎をまとった走狗のような気が、地を這って魔獣に接近。その足を掬う。
巨体は地に大きな影を残しながら、崩れた体勢で跳び上がった。
「オーノー!オーノー!」
【AX……雛季所持魔溜石・『A』・F・O・『X』】
俺の斜め上……鈍色の宙で、雛季が声を発する。
同時に彼女が振り下ろした剣から、青白い光が飛び出し、目の前を跳ぶワイルド・デビルボアの背中にぶつかった。
下から跳ね上げられ、さらに上から叩きつけられたワイルド・デビルボアは、勢いよく落下。
大きな振動が周囲に伝わり、土煙が巻き上がる。
まるで崖から転がってきた落石だ。
無残。
ワイルド・デビルボアは半分土に埋まりながら、おとなしくなった。
雛季は「ごめんね」と、いらぬ情けを魔獣に掛ける。
「そんなこと言っている場合か!」
俺も思っていたことを、須賀川が口に出した。
「俺は腕やられたし……もう一頭も向かって来ているぞ!」
「あ、うん」
雛季はすぐ向き直り、もう一頭にも魔法を放った。
同じ要領でそいつも倒す。
「ハァハァ……やったぁ!」
肩で息をしながら、雛季は倒れている二頭のワイルド・デビルボアを交互に見下ろし、薄く笑った。
「す、すごかったな、雛季……。あの女性が戦っていた奴も倒したんだろ?」
少し離れた場所に目線を移す。
そこにはさらに一頭、ワイルド・デビルボアが眠っている。
褒められて嬉しかったんだろう、雛季は相好を崩した。
「うん。そしたら、こっちでカケル君たちが大変なことになっているのが見えて、慌てて急いで来たの!」
「間一髪で助かった……サンキュー」
彼女には素直にそう言ってから、次に須賀川へ目をやった。
特に責めるつもりもなかったのだが、須賀川は敵意むき出しの鋭い視線を向けてきた。
「な、何だよ? あの二頭をある程度追いつめたのは俺だぞ? それに、あいつが逃げ出したから……」
「あのランプシェード君な……。本当に最低な野郎だ。お前、今度会ったら言っとけよ。『親父の玉袋から出直して来い』と」
「ハンッ」と、わずかに愛想笑いを浮かべてから、須賀川は地面に落ちている自身の剣の方へあごをしゃくった。
「それはそうと、あいつを拾ってきてくれ」
「何で俺が……」と不満を言いかけたが、黒く濡れた須賀川の腕を見ると、仕方ないことだとわかった。
代わりに拾いに行くしかない。
須賀川の『エイト剣』は、うずくまったまま身動きをしないワイルド・デビルボアの傍で、これまた息を殺しているように落ちている。
剣を拾い上げた瞬間、いきなり近くのワイルド・デビルボアが襲ってこないだろうかと、少し慎重に歩を進めたが、それは杞憂というものだ。
近づいてみると、ワイルド・デビルボアが完全に死んでいるのがわかった。
前屈みになり剣に手を伸ばそうとした時、出しぬけに雛季が大声を上げた。
何かを促すような言葉が、最後の方では悲鳴に変わった。
「え? え? 何?」
前にいるワイルド・デビルボアにばかり気が取られていたから、目玉が飛び出しそうなほどビックリして振り返る。
そこには宙に浮いた雛季の姿があった。
彼女の顔には苦痛の色が表れていて、そして徐々にこちらに迫って来て……。
屈んだまま振り返っていた俺の顔に、丁度彼女の胸がぶつかる。
胸はふくよかと言え、雛季は女の子だ。体重はそれほどない。
普通に抱きつかれるかたちであったなら、しっかり受け止めることもできただろう。
しかし、突如勢いよくぶつかってこられたので、さすがに俺も耐えられず、そのまま彼女に覆いかぶさられるように二人して倒れた。
大量の土煙が上がった。
雛季の手から離れたと思われる『エイト剣』がわずかに銀色に光りながら、後方に向かって頭上を飛んで行ったのが見えた。
「ふがっ……な、何があったんだ? 雛季ぃ~」
顔に乗っている彼女の片乳を堪能……いや、顔を振ってどかしながら、上に重なる雛季に訊いた。
しかし彼女は、「うううう……」という嗚咽のような声を発しただけだ。
彼女の体を横にどかし、俺は自身の上体を起こし、横に視線を落とす。
苦しそうな雛季の横顔。
その下の背中の防具に、大きな窪みができていた。鉄球でもぶつけられてできたような窪みだ。




