第26話・留守番
しばらく経ってから、姉妹に案内され、玄関前の棚の裏にある急な階段を上り二階へ向かった。
二階に上ってすぐ右手に二つの扉がある。
廊下を左に折れると、右は吹き抜けで、頼りなさそうな木製の手すりから見下ろせば、さっきまでいたリビングが俯瞰できる。
吹き抜けの反対側の壁に一つの扉があって、そこは両親の部屋とのことだ。
そこを過ぎてまっすぐ進むと、二階のベランダに出られる。
先頭にいた雛季は靴下を利用して廊下を滑り、窓を開けベランダに出て、そこからの眺めを俺たちにも見てもらおうと思ったらしいが、「とりあえず、お部屋に案内しなきゃ、雛ちゃん」と美咲に諭され、しょんぼりと室内に戻ってきた。
「こっちが私たちの部屋で、こっちがこれから君たちに使ってもらう部屋ね」
美咲は俺たちに廊下を後戻りさせると、階段を上ってすぐ右手に見えた二つの扉を順に指しながら言った。
階段から見て奥の部屋が彼女たちの部屋で、手前が俺たちのために用意してくれた部屋ということだ。
「元々、物置みたいに使っていた部屋だから、狭くて汚いけど勘弁してね」
美咲は部屋に入るなり、空気の入れ替えのため窓を開けた。
「お父さんたちは特殊能力がないでしょ? そういう人たちの多くは農業や漁業、商人や職人の仕事に就くことになるんだけど、魔溜石採取が何よりも優先される世界だから、魔法剣士や魔法術者に比べるとどうしても稼ぎが少なくて貧しくなるの……」
「そうなのか」と呟きながら、俺も部屋に入って中を見回す。
10帖ほどの部屋の四方の壁には、確かに棚やら積み重なった箱やら荷物が寄せられていたが、美咲が言うほど汚れてはいない。
俺たちを迎えるにあたって掃除をしてくれたのかもしれない。
「充分だよ。これでデッカイのと同室でなかったらもっとよかったんだけど……」と、窓から外を眺めている鮫川の背に目をやる。
「第一、居候させてもらう身だから、文句なんてないさ。むしろ、本当にしばらくここにいてもいいのかって感じなんだけど?」
「いいんだよ、ずっといてくれても」
美咲が優しく微笑むと、雛季も俺の背中に抱きつき、「カケル君は家族だもんね~」と、陽気な声を出した。
「あ、ありがとう……ハハハ」
背中に雛季のふくよかな胸が押し当てられていることもあるが、何だか照れてしまう。
前には真剣な眼差しの美咲が立ち、両手を握ってくる。
「何度も言うけど、いつか必ず帰れる日が来ると信じて、その日までとにかく精一杯生き抜いて。慣れればこの街の生活も……よくはないかもしれないけど、悪くもないと思えることがきっとあるはずだから、一緒に頑張ろう」
「ありがとう。君たちとお父さんお母さんが、こうやって力を貸してくれて、俺にも少し勇気が湧いてきたよ。俺も……しばらくここで生きていく覚悟ができた」
わずかに上ずった声でそう答えた。
自分にも言い聞かせるように……。
ここは夢や空想の世界ではない。現実の世界だ。
生活は劇的に変わってしまうだろうが、逃げ出すことはできないのだ。
助けてくれる人がいるだけでもありがたいと思って、頑張って生きていくしかないんだ。
いつか元の世界に戻るまで……。
しかし、すぐに覚悟が揺らぐ。
俺の手を離した後、美咲が雛季に留守番を頼んだからだ。
「それじゃ、雛ちゃん。二人をよろしくね?」
「は~い!」
雛季は元気よく手を挙げ返事をしているが、美咲の用事に関して、俺たちは何も聞かされていなかった。
「えっと……君はこれからどこかへ行くのか?」
「あ、うん。パーティーの仕事があるの。あ、パーティーって言ってもダンスパーティーとかそういうことじゃないよ?」
「ち、違うのか……。じゃあ、つまり、魔法剣士同士の仲間みたいなことか?」
「そうなの。魔法剣士の中には単独で魔溜石採取に出たり街の人からの依頼を受けて生計 を立てたりする人もいるけど、一人で魔獣を相手にするのは危険なことだから、大体の人が一緒に仕事をする仲間を見つけてパーティーを組んでいるの。私たちも近所の、女性中心で活動しているパーティーに身を置いているの」
「へぇ……。で、今日もそこの仕事があるのか……」
美咲が優しく腕をさすってきて、「大丈夫!」と元気づけるように言った。
「本当なら雛ちゃんも一緒に行かなきゃならないのだけれど、メンバーにも事情を話して、しばらくは私たちのどちらか一人が家に残って交代で君たちを護れるようにしてもらったから」
そして美咲は雛季の頭を撫で、改めて頼んだ。
「まぁ、何もないとは思うけど……万が一何かあっても、雛ちゃんが護ってくれるわ。雛ちゃんも魔法剣士としては私と同じぐらいの力があるから。ね、雛ちゃん? できるもんね?」
「うん、大丈夫だよ! カケル君も鮫ちゃんも雛季がしっかり護衛して護るよ!」
腰に両手を添えて自信ありげな顔をしている雛季を見て、逆に心配になってくる……。
背後で鮫川も「そんな小娘に護ってもらう必要などないぞ」と、ぶつくさ言っている。
「万が一……万が一だよ? 雛ちゃんも困った状況になったら、すぐに店へ連絡してね? 私もすぐに駆けつけるから」
「オッケーだよ!」と、雛季は親指と人差し指で丸を作った。
それを見て美咲は頷き、体をドアの方へ向けたが、タイミング悪く鮫川が声を掛けたので立ち止まった。
「仕事っていうのは魔獣退治か? 一人だけ楽しそうじゃねぇか」
「楽しいわけがないじゃない。常に危険と隣り合わせなんだよ?」
美咲は呆れたような顔で短く溜息をついてから言った。
「それに今日は、魔溜石採取や魔獣退治に出るわけじゃないの。パーティーに来た依頼をこなすだけだよ。例えば、商店の見回りだったり、迷惑な客の撃退だったり……。魔獣ではなく一般市民が相手だから、危険もないし、早めに終わると思うわ」
「それでも大変そうだな。俺たちとあまり歳も変わらないのに、家族のために……と言うか、これからは俺たちのためにも稼ぎに行ってくれるわけか」
しみじみ言うと、美咲は微笑を返した。
「気にしないでいいよ。その代わり、君たちは家でおとなしくしていてね?」
「ずっとか? 退屈しそうだな」と、鮫川は大仰に伸びをする。
「親父さんが剣を手に入れてくれるのを信じて、訓練だけでもしたいんだが……」
「まだ言っているのかよ、お前……。だったら、棒きれでも拾って庭で素振りしていろよ」
「う~ん……。少しだけなら……」
美咲は目を閉じ、眉間にしわを作った思案顔で、最後は投げ捨てるように言った。
「雛ちゃんの『エイト剣』を借りて庭で練習してもいいけど……?」
「本当か?」
鮫川の濁った両眼がわずかに輝きを見せる。
「いいの、お姉ちゃん?」
心配そうに訊いた雛季に、美咲は肩をすくめる。
「少しだけならね……仕方ないよ。鮫川君って、なかなか諦めてくれなそうだし……」
美咲はなかなか利口そうだと思っていたが、さすがだ。
初対面からわずかの時間で、鮫川の、しつこく、陰湿で、往生際が悪いという性格を見抜いていた。
もっと長く生活を共にしていけば、彼がミケランジェロのように気難しく、バルザックのように大食いであることも、たんぱく質を多く含む食べ物ばかり食っているからなのかオナラが臭いこともわかってくるだろう。
「もちろん、さっきみたいにやたらに剣を振り回すことは絶対禁止だけどね」
美咲は最後に付け加えると、いよいよ廊下へ出ていった。
雛季も見送りに階段を下りていったので、俺たちもついていく。
「あっ! そうだ」
階段を下りながら、美咲に言おうと思っていたことを思い出した。
「パーティーの依頼で、人捜しすることもあるのか?」
その質問だけで、美咲は俺の言わんとすることをある程度理解したらしい。
「ああ、うん、あるよ。……もしかして、もう一人のお友達を捜したいと思っている?」
「あ、ああ……。来る時も鮫川が話したけど、伊賀……伊賀直寛というもう一人の友人と、『キャッスル』脱出時にはぐれたらしいんだ。俺のせいでこんなことに巻き込まれたのに……あいつだけ一人で大変だと思う。早く見つけ出してやりたいんだが、頼めないかな? 忙しいのであれば俺たちだけでも捜しに……」
「待って。当分は勝手に街へ出ちゃダメだよ。その人についてはメンバーにも話して、私たちで何とかするから、任せて。もちろん依頼料も取ったりしないから」
「わ、わかった。そうしてもらえれば助かるよ」
「まぁ、伊賀は瀬戸と違って、できる奴だからなぁ。一人でもなんとかやっていると思うが、俺からも頼むぜ」と、鮫川。
「うん。私としても、向こうの世界のカケル君の友達を、この街で一人にしておくことはできないから、早いところ捜し出すわ。それじゃあ、そろそろ行くね」
棚から『エイト剣』を取り出し、腰に巻いたベルトに吊るすと、美咲の顔は凛々しくなった。先ほどまでの穏やかな表情から、魔法剣士のそれへと変わった瞬間だった。
表まで雛季に見送られ、彼女は自身が所属するパーティーの集合場所へと出かけて行った。




