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第1話・人生が変わる日の前日   ≪キャラ挿絵≫

 あの日……俺の人生が大きく変わってしまった日、その数日前。


 俺は新作のゲームを購入する資金を、クラスメイトの鮫川武蔵さめがわむさし……『悪徳鮫川金融』から借りてしまった。

 

 鮫川は、一年の頃から同じクラスで、名前順で決まった席が近く自然と話すようになった仲だが、この男の野蛮な性格には困らされることも多々ある。

 しかし積極的に友人を作ってこなかった俺にとっては数少ない、いつもつるむクラスメイトの一人になってしまっているのも事実。

 断ち切ろうにも断ち切れない、いわゆる腐れ縁ってやつだ。


 そして金を借りて一週間も経たずに、彼の厳しい取り立てが始まった。

 そんなにすぐに返せるのであれば初めから借りていない、何度そう言ってもわかってもらえず、顔を合わせるたび罵倒された。

 

 それからようやく返済のめどが立った。

 月一の小遣いの前借を母親が了承してくれたのだ。


「明後日になれば、小遣いもらえるからよ。金返せるぞ」

 いつものように詰め寄ってきた鮫川にそう言うと、彼も少しは機嫌を良くしたようだ。

「やっとか……。本当に手間かけやがって」

 

 その翌日……。

 俺と鮫川、そしてもう一人の友人と三人でいつものように下校していた。

  

 もう一人の友人の名は伊賀直寛いがなおひろ

 俺とは家も近い幼馴染で、スポーツも勉強もでき、その上甘いマスクのため昔から女子にモテる。一緒にいていつも比べられてしまう側からすれば、あまり好ましくない友人だ。

 その点だけで言えば、女子から毛嫌いされることの多い鮫川の方が好感を持てる。


 その伊賀が真面目くさった顔で話しかけてきた。

「カケル……。本当にもう道場には顔出さないのか?」


「またその話か……。前の時も言ったけど、うちのお袋が伊賀の道場に通わせたのって、体があんまり強くなかった俺をちょっとでも強くさせるためだったんだよ。今は俺もこの通り健康的な体になったし」と答えて、俺は両腕を曲げ、力こぶを作るポーズをとった。


「中身は不健全だがなぁ」

 背後から鮫川が茶化してきたので、「うるせー」と睨む。

 

 伊賀は俺たちのやりとりにわずかな笑みを浮かべたが、それもすぐに陰る。

「残念だな……。お前は素質があるから、これからもっと稽古すれば、なかなかの腕になるのに」

「道場の息子に言われると嬉しいけど、嫌味にも聞こえるな」

「本心で言ってるっての。親父も勿体ないって言っているよ。……なぁ、もう一度考え……」

 

 俺は伊賀の言葉を制するように、彼の肩を軽く叩いた。

「悪いな、伊賀。そもそも俺はお前みたいにずっとやっていくつもりはなかったんだよ。これで充分だ。ここまで成長させてもらって感謝しているよ。親父さんにもそう伝えておいてくれ」

 唇を噛んで立ちつくす伊賀に構わず、歩き出す。


 背後で「もったいないな……」と、伊賀がもう一度呟いたのが聞こえた。

 

 伊賀の家は俺の家の近所にあって、大きな風情ある古民家の離れに、剣術、居合の道場・『誠檄館(せいげきかん)』を代々開いていた。

 先祖には名のある剣豪もいたらしいが、このご時世、門下生も年々数が減り、経営の目からすると厳しいようだ。

 

 その『誠檄館』にお袋が俺を通わせるようにした理由は大きく三つあって、二つは伊賀にも話した通りだ。

 小さい頃の俺は風邪をこじらせやすく、体があまり強くなかった。その体質を改善したかったというのが一つで、二つ目は、親の言うことをあまり聞かない生意気な性格を叩き直してもらおうという、俺からすれば甚〈はなは〉だ迷惑な理由からだ。


 そしてさらに迷惑なのは三つ目の理由で、実はこれが最大の理由だと言うのだ。

 これは伊賀にも話していないのだが、お袋は近所で俺と同い年の伊賀の道場が、存続危機の憂き目にあることを知り、少しだけでも助けになろうと息子を通わせることにしたのだ。

 

 つまり道場だけに同情を寄せたというわけだ……と、そんなダジャレは置いといて、伊賀親子がそれを知ったらいい気分はしないだろうし、それが道場にぶち込まれる最大の理由なんて、俺からしたら本当にはた迷惑な話だった。


 しかし、『誠檄館』に通い出してからしばらくは俺も剣術に思いのほかのめり込んだ。

 他に体を動かすことをしていなかった俺にとっていい運動になったし、心身ともに強くなっているような気になれた。それに侍になったようで何だかカッコよかったし。

 一、二年目の頃は本当にこのまま大人になるまで続けるのだと思っていたのだ。

 

 だが、師匠……つまり伊賀の父親がかなり熱心な人で、その教えは日を増すごとに厳しくなっていった。

 まだまだ未熟な少年には重みであり、いつしか軟弱な地がまた顔を出し始めた。


 通い始めてから何だかんだで、五年。

 徐々に道場から足が遠のいていっていた俺は、ついに辞めることを決意した。

 伊賀は事あるごとに戻ってくるように言うのだが、俺の決心は固い。


 二人の会話を聞いていた鮫川が茶々を入れる。

「要は面倒くさくなったってわけだな? ハハハ、まったくお前らしいぜ」


「そうじゃねえって! 身体も十分鍛えられたから、めでたく卒業ってことだよ」

 

 鮫川は小馬鹿にした顔のままだ。

「それで鍛えられたというのか? ハハハ!」

 その高笑いに歯噛みした。


 確かに鮫川は、道場やジムに通っているわけでも部活に入っているわけでもないのに、しっかり筋肉の付いた体をしていて、俺よりもはるかに鍛えていそうだ。

 実際、こいつは暇さえあれば自主的に、独自の方法でトレーニングをしている。

 それに比べ俺の体はまだまだ線が細く、鍛える余地はあるかもしれない。

 

 しかし俺にも、短いながら『誠檄館』に通っていた自負がある。

 剣術の腕なら鮫川に負けるはずはない。

 だから鼻で笑ってやった。

「フッ。お前のような筋肉バカとは違うぜ。本物の強さがあるのさ」


「ほう~。なら俺より強いって言うのか?」

 鮫川は口元に笑みを残してこそいたが、その眼光は明らかに鋭くなっていた。

 彼の闘争心に火が付いてしまったことがわかって、俺は顔を曇らせた。


「い、いや、剣術ではってことな? もちろん馬鹿力ではお前の方が上だと認めるよ」


「馬鹿力って……馬鹿は余計だ。しかし、剣術だろうが剣道だろうが何だろうが、俺がお前に負けるとは思えねぇなぁ」

 その時にはすでに俺たち三人は電車内にいたわけだが、鮫川は周囲の目も気にせず、パトランプぐらいの幅がありそうな肩を回し、首を傾けて拳をバキバキと鳴らした。

 

 そしてなぜかスクールシャツのボタンを二、三外して、その厚い胸板を見せている。無言のプレッシャーをかけているのか……?

 胸の真ん中に前科の数だろうか……「5」という数字がプリントされた、古い紙幣のようにくすんだ茶色のTシャツ越しにも、筋肉の隆起が見てとれる。

 

 俺はただただ苦笑い。

「いやぁ~……木刀や竹刀を使ってというルールなら、さすがに俺も負けないぜ? 伊賀も言っていただろ? 俺には天才的な剣の腕があるって」


「いや、そこまでは言っていないけど……」と、作り笑いを浮かべてツッコんできた伊賀の横を抜けて、俺は空いた座席に座る。


「まぁ、だからと言って、お前と腕試ししたいとは思わないが……」

 けん制するように言ったが、鮫川は吊革に手を突っ込んで俺の席の前に立ち、食い下がってきた。

「本当は負けるのが怖いんじゃないのか、瀬戸よぉ。素人の俺に」


「な、何? フザけるなっ」

 

「実際見てみないとわからないな……。武蔵はバケモノみたいなところがあるからなぁ」

 鮫川の横に立っている伊賀がにこやかに口を挟んだ。


「バケモノとは嬉しくねぇが、まぁ、そういうことだ、瀬戸」


「おいおい、伊賀。お前まで本気で言っているのかよ?」と顔をしかめた俺に、伊賀はやはり爽やかな微笑を見せる。

「なんなら今から道場開けるぜ? 二人のうちどっちが強いのか勝負してみろよ」


「道場を? いや、勝手にそんな対戦させて親父さんに怒られるんじゃないのか?」


「まぁ、本来の道場の趣旨とは反するからなぁ……。でも今日は親父留守にしているんだ。お前次第では、こっそり開けてやれないこともないぞ?」

 

 何とも話が面倒な方に向かっているので、俺は困惑の表情を浮かべた。

 それに対し鮫川には喜色が表れていて、すぐさま賛成した。

 

 難色を示している俺を無視するように、伊賀が言い添える。

「お前がもし負けることがあれば……それはつまりまだ経験不足ってことだから、道場に戻った方がいいだろうな」

「は……?」

 

 なるほど、そういう魂胆だったのか……。俺は苦虫を噛みしめたようになる。

 まさか伊賀も本気で俺が負けると思っているわけではないだろうが、万に一つ鮫川が勝ったなら、それに乗じて俺をまた道場に通わせようというわけだ。


「アホらしい……。俺がやるメリットがないぜ。……それとも俺が勝った場合も何かあるのか?」

 

「だったら、こういうのはどうだ? お前が俺に勝ったら、あの金は返さなくていいってのは?」と、鮫川は俺に言った。


「……あの金?」


「忘れてんじゃねぇ! 借金だ。お前が勝ったら、その借金はチャラにしてやろうって言ったんだ」


「ほ、本当かよ?」

 

 鮫川が頷いたのを見て、伊賀はニヤリとした笑みを俺に向けた。

「だってよ、カケル。どうする? いい条件だと思うけど。これで蹴るのは男がすたるんじゃないか?」

 

 本当に面倒な展開になったと、俺は溜息を吐き出す。

 しかし借金のチャラは確かに魅力的だ。


「だが……」と呟き、怪しみながら鮫川を見上げる。

「俺が万が一負けた場合、伊賀の道場にまた通うっていう約束だと、お前にはまったくメリットがないけどいいのかよ?」

 逆の立場だったら、まったく自分にうまみのないこんな賭けはしないが、好戦的な鮫川にとっては、自分の力を試すことができるからそれだけの価値があると思っているのか?

 

 しかし、やはり納得はいっていなかったらしい。サラッと付け加えた。

「もちろん……借金五千にプラス三千円だ。俺が勝ったら八千円返してもらう」


「な、何ぃ? 借金が増えるのかよ?」


「何だよ、カケル。自信ないわけじゃないだろ? 勝てばいいんだ、勝てば」

 伊賀が焚き付ける。

 もしかしたら伊賀は、勝敗はともかく、俺を久しぶりに道場へ誘い込み、剣の感覚を思い起こさせたいだけなのかもしれない、と思った。そうしたらまた俺のやる気が復活すると思っているのか……?

 

 のるかそるか……。

 俺が考えあぐねているうち、電車は俺と伊賀の降りる駅に到着した。

 

 伊賀と共に電車を降りると、鮫川も後について降りてきた。

「楽しみだ。今更逃げるなんて言わせないぜ、瀬戸」と、鮫川は口の端を吊り上げた。

 

 こうなったら容赦はしない。俺の剣技で鮫川を瞬殺してやる。

 駅から伊賀の道場『誠檄館』までの道すがら、多少の緊張はあったものの、俺の足は勇んでいた。


『誠檄館』に着いてから、俺と鮫川はそれぞれ制服のブレザーを脱いで最低限動ける格好になり、木刀を受け取った。

 

 伊賀が独自に対決のルールを決める。

 防具はないので、大きな負傷を避けるため、頭部や急所などの打撃はもちろん禁止。

 それ以外でもある程度力を加減することを二人に約束させた。

 どちらかが倒れるか、木刀を払い落とされるか、敗北を認めた時に勝負が決する。

 

 この急きょ決まった俺と鮫川の勝負……。

 結果から言うと、俺の敗北……。

 何年振りかに涙をこぼす羽目になった(もちろん二人に見られまいとすぐに拭ったが)。

 

 鮫川の猛攻は予想を上回るものだった。

 勢いに任せて飛び込み、木刀を振り回すというスタイルは予想通りだったが、その一振り一振りが与えてくる圧が想定を超えていた。

 

 力任せに振り下ろされた一刀をかろうじて防ぐが、強引な押しに両腕を持っていかれ、体勢を崩される。

 直後、次の一振りをわき腹に叩き込まれ、俺は無様な姿勢でその場にうずくまってしまった。

 

 鮫川は拳を突き上げ、一人勝鬨を上げ、しばらく自分の力に酔いしれているようだった。

 俺にとってそれ以上にやり切れないのは、道場の隅でこちらを眺めていた伊賀のしょげた顔だ。

 また道場に通ってほしいという思いはあったにせよ、それよりも俺への期待は大きかったに違いない。それが裏切られた……。伊賀の表情がその落胆を物語っていて、しばらく彼の顔を直視することができなかった。


 これが、俺、瀬戸翔琉(かける)の人生が大きく変わってしまう日の前日の出来事だ……。

挿絵(By みてみん)

挿絵・瀬戸翔琉

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