第1130話・逆さまの森
『幻影の世界』脱出のため池田さんと再会した俺は、池田さんから答えの一つを聞いた。
「俺の今日の『変化』に、『光の文字がDAY1』となっているという『間違い』を加えればいいんですね?」と、俺。
「ああ、そうだろう。その場合は『変化』ではなく、『間違い』と言うのが近いだろうな」
「……しかし、何で丸一日も間違えていたんだろう、俺……?」
「魔獣に呑まれてから、気を失い、テントで目を覚ましたんだよな? その間に実は、重要な『本当の1日目』が丸々過ぎてしまったってことじゃないのかな?」
「ま、丸々? そ、そんな……。それだったら俺が目を覚ました時、彼女たちも何か言うでしょう? あまりにも淡白すぎる」
言いながら、俺は他のメンバーたちの後ろ姿に目を配る。雛季や鹿角たちはともかく、少なくとも美咲や東御、桜川などは俺が一日眠っていたことを伝えるはずだ。彼女たちも心配で気が気じゃなかっただろうし……。
「う~ん……まあな。だけど、すでにそこは『幻影の世界』だ。君が訊かなきゃ、真相を話すこともしないかもしれん。いくら最初は現実にかなり忠実だったとは言え、偽の世界に変わりはないし……」
「いや、違う……」と、俺は呟く。
話を途中で遮断された池田さんは「どうした?」と眉をひそめる。
「今、思い出しました……。そうだったのか……?」
「何か思い出したんだな?」
「は、はい……。そう言えば、俺、この魔獣に呑み込まれる前……いや、その魔獣に呑み込まれたと思い込むよりも前……一度記憶を失っていました。感覚的に短かったんですが……」
そうだ。俺はみんなと共に『魔の森』に入った日、魔植物・『サースティ・デビルヴァイン』に捕まった間抜けな鳩ケ谷を救出する際、軽く意識を失ったのではないか!
あの時……急勾配のある地面を転がり、何かぬめっとした場所へ落ちた。
直後、視界が一気に暗くなったのだ。
そして……今思えば、臭気が鼻を衝き……そこから記憶が途絶えた……。
【第1070、1071話・参照】
あの時、森の窪みの下にいた本当のナイトメア・リバティーンに、そのまま運悪く呑み込まれたのか……。
その後すぐに目を覚ましたと思っていた俺は、直前に美咲たちが駆けつけてくれたのを知っていたから、彼女たちが窪みから引き上げて助けてくれたのだと信じた。
しかし……あそこからすでに『幻影の世界』の『本当の1日目』がスタートしていたということになる。
他のメンバーに、『変化』があったようには思えなかった。ナイトメア・リバティーンに呑まれた奴が、こんな複雑な『幻』を見せられるなんてこともまだ知らなかった俺は、当然『現実世界』を生きていると思っている……と言うか、そんな意識すらない。見ているもの、感じているものが、現実のことなんて当たり前だ。
その後、夕食を取り、幻のナイトメア・リバティーンに吞み込まれた。
そのタイミングが悪かったことで、俺は『幻影の世界』のスタートをその翌朝に目が覚めた時だと勘違いしていた……。
一人でうんうん唸っている俺に、池田さんがわかるように話してくれと促して来たので、俺は早口に伝える。
その話が終わるが早いか、川の近くまで下りて行っていた鹿角や雛季など一部のメンバーが最後尾の俺に声を掛けてきた。水浴する場所をそこら辺に決めたらしい。そのオジさん(池田さん)との話はまだ終わらないのかと言いたげだ。
そのため、俺はまた早口で、池田さんと今日……『本当の2日目』の、5つの『変化』について意見交換をした。
「……え? やっぱり、『ショルダーズ・オブ・ジャイアンツ』は、少し接近していたんですか?」
「ああ。現実にはもっと遠いよ。俺は『現実世界』のこの辺りからその山脈を眺めたことあるから、確かだ。ああ、でも、それは『本当の1日目』の『変化』な? 君が今日の『変化』にカウントしていないなら気にしないでくれ。『本当の1日目』については、またその日に戻ってから話し合おう」
「わかりました。それじゃあ、最後に! 『光の文字』を加えるとして、そうすると、今悩んでいる残り二つの『変化』のうち、どちらを『本当の1日目』へ繰り越せばいいんでしょうね?」
「二つと言うのは、『知り合いの一人称が変化している』と『知り合いの髪の色がピンクになっている』の二つだな?」と、池田さんが二本指を立てる。
俺がうなずくと、池田さんは即答した。
「まず今日『2日目』は、『知り合いの一人称が変化している』だな。君の場合、あの子だったか?」と、オッサンは雛季の方を見てから、続ける。
「あの子は前日……『本当の1日目』には、まだ自分のことをいつものように呼んでいたんじゃないか? そうだろう?」
「え~っと…………いや、まったく思い出せないです」
思い出そうとしても、『現実世界』でも普段から突飛なことをする雛季だ、彼女が言う一人称のことなんて些末なことを思い出せるはずがない。
それに、もう何日も前の話だし、その間にたくさんの不思議な現象が起き過ぎた。ジャネーの法則じゃないけれど、俺にとってこの数日間は『現実世界』のそれよりも長く感じられているのだ。
「あ、そう……。なら仕方がないが、きっとそうだよ。前に言ったと思うけど、俺は君に言われるまでその『知り合いの一人称が変わるという変化』を見落としていていたんだが、さっき『ゴブレット』でその人と会って一人称が変わっていることを確認したし、魔獣に呑まれる前……出発の時その人に会って会話した時のことも思い出してみたけど、間違いないと思う。『一人称の変化』はこの『本当の2日目』の『変化』の一つだ」
「それじゃあ、俺が悩んでいるもう一つの、知人の髪色の件……」
「ああ、それなら、やっぱり間違いない。それは初日の『変化』だ。前にも話したと思うけど、俺は『1日目』早々に森を引き上げ『ゴブレット』へ帰った、その時に知人のおばはんと会ったんだが、その人の髪色が黒からピンクになっていたんだ。『大胆なイメチェンですね?』って言ったんだけど、向こうは『もうずっとこの色だ』と言いやがる」
「それなら、それは『1日目』の変化ですね! いや、一日勘違いしていたなら納得です。それっぽい『変化』が多すぎて迷っていただけですから!」
俺は安堵の息をついた。
「瀬戸さん……嬉しそうですね」
「川に入る所、覗くって話してないよね?」
などと、桜川や青葉たちの声が耳に届き、俺は彼女たちに向け大げさにかぶりを振った。
「何か怪しまれているな、俺……」と、池田さんは渋面を見せる。
俺は「すみません」と謝った。
「じゃあ、まぁ、今日はもういいね? 明日……『本当の初日』に戻ったら、俺も最初はこの森で目を覚ますはずだ。すぐに再会できる。それに、それまでは君らと少し離れた所で過ごしているよ。何か用があったら、こっちへ来てくれ」
「ありがとうございます」
池田さんと別れて(と言っても、基本は一行の最後尾にいる俺から30メートルぐらい後をオッサンは常について来ていたし、こちらがテントを張る際は、そこからも見える範囲にある木陰に向こうもテントを張っていた)、俺たちはしばらく魔獣退治や俺の親父の痕跡探しをし、もう何度目か、開けている場所で6つのテントを張った。
そして、夕食、キャンプファイヤーの後、鮫川、鳩ケ谷と同じテントで真夜中を迎える俺は、新事実・『DAY1の光の文字が間違いで、本当はDAY2』という『間違い』をこの日の『変化』の一つとして、他の『変化』4つと共に念仏の如く頭に繰り返し流した。
そして……。
いつの間にか眠りに落ちた俺は、騒がしい声を聞いて目を覚ます。
その声の主はすぐにわかった。
テントのドアのファスナーが開かれていて、そこから雛季と玉城と青葉が中を覗いていた。
「あ! ほら、起きたの!」
「ヤッパリ! さっきのムーブは起きるマエブレだったんダネ!」
「そうなの? 二人とも、声で起こしてない?」と青葉が、騒がしい雛季や玉城に言った。
俺は上体を起こした。軽いめまいがする。
「カケル君! カケル君が起きたの、お姉ちゃん! 愛海那ちゃん!」
雛季が外に向かって叫ぶ。
一方、玉城や青葉がこちらへ膝を進めながら訊いてくる。
「ダイジョウブなのネ? カケル君」
「憶えている? おっきい蛇みたいな魔獣に呑み込まれちゃったんだよ、瀬戸君」
「ああ……。そのようだな……。それより、えっと……今って初日の?」
俺は靄が掛かったような頭を振ってから、青葉や玉城に訊き返す。
「ウン? イエスよ。カケル君、ロングな間、スリープしてたんだけどネ」
「もちろん、まだ一日目だけど、もう夕食前だよ」
「夕食前……! ってことは!」
「キャッ!」
「トツゼン、ナニ?」
俺は立ち上がって二人の間を抜け、テントの外へ。
周囲の状況を改めて確認しようと思ったのだが、すぐに視界は塞がれた。
「カケル君……よかった、目を覚まして」と美咲に、その後、鹿角や松川姉さんに、そして遅ればせながらみんなの真似をするように雛季にもハグされ、目覚めを喜ばれた。
「し、心配してくれていたのはありがたいけど、大丈夫だよ。寝ている間も、寝返りとかうっていたんだろ?」と、俺は照れつつ最後に抱きついてきた雛季を押しのける。
「ほんと、そうよ。蛇の魔獣に一回呑まれたぐらいで大げさだな、あんたたちは」と、安城さんや諏訪姉妹たちが笑う。
「何よ、カノン? あんただって、すぐに起きないからさすがに焦っていたじゃない?」と、鹿角がやり返す。
また、鳩ケ谷が、毒を食ったヒョウモンエダシャク(蛾)を食ったような顔でほざく。
「何じゃ、起きたんか……。そのままだったら目覚めるまでワシが『ビッグドーナツ』に入って面倒を看る予定じゃったのに……」
「部屋に上げるとは言ってないですよ、鳩ケ谷君」
それに対し冷静にツッコんだのは坂出で、性格が真面目な彼女に戻っているようだ。
安城さんたちの傍にいる葉山も、昨夜のような体をくねらせる仕草は見せず、気温や逢魔が時を迎える森の雰囲気など他の状況からしても、『2日目(本当は3日目)』に進んでしまったということはなさそうだ。
俺が目を覚ます時間が、『最初の時(俺がまだナイトメア・リバティーンに呑まれたと思っておらずに迎えた初日の夕方)』よりも少し早かったからか、まだ夕食は始まっていなかったので、一行の会話や行動も『最初の時』とは多少違っている。
ただ、少しして夕食の準備が始まってからは、流れるように(魔獣が創り出す世界が誘導しているのか?)一同の会話は俺が魔植物から離れて窪みへと転がって行った後にみんながどうやってその俺を助け出したか(現実はそこで、下にいたナイトメア・リバティーンに呑み込まれてしまったわけだが)と言う話へ。
そして途中で、前と同じように鮫川が「ここまで運んだのは俺だ。末代まで感謝しろ」と、口を挟んだ。
その後の会話も、美馬さん、安城さん、松川姉さんなどが『最初の時』にはなかった欲情を駆り立てるような話を……いや、『最初の時』もなかったってことはないので、違う内容のエロい話もしていたと言い換えよう、また雛季がミュウや桜川からおすそ分けしてもらうパンなどの量がちょっと増えている等の細かい違いはあるにせよ、概ね前と同じように時間が流れて行く……。
みんな食事も終わり、篝火を囲み始めて談笑し出した頃、俺はまず小便に立った。
ナイトメア・リバティーンに呑み込まれた時も、小便に行った鳩ケ谷が魔植物に絡まれて、そんな彼を助け出そうとしたことが災いして起きたわけで(鳩ケ谷に構わなければ、今頃俺は普通に現実の世界を生きていただろう)、美咲や東御、桜川など優しいメンバーが気に掛けてくれたが、さすがに小便に付き添ってもらうわけにもいかず、俺は一人薄暗くなった木立の中へ。
小便をしてから、辺りを見回し、例の『DAY1』の光を見た場所を、あまり遠くはない場所に見つけた。
一応確認のため、向かう。
光は……やはり、出ていない。念のため周辺を探し回って見たが、どこも光はない。
視界の奥から順に夜の帳が下り始めていて、草木の輪郭は曖昧となり、闇が支配力を強めているばかりだ。
この後夜が明けてから、光は出現するのだ。『幻影の世界』としては『2日目』なのに、わざと『DAY1』の文字が。改めて、何といやらしい引っ掛けだろう。
その後すぐ、視界の端に仄かな灯りが揺らめいた。それは火の玉のように近づき、やがてその上にある顔も浮かび上がってきた。
「ああ、池田さん」
「『本当の1日目』に戻れたんだな、君も」と、魔溜石ランプを持った池田さんが俺の前まで進んでくる。
「俺もこの通り、戻って来たよ。まぁ、君が向こうのテントから出てくるまで、しばらく待たされたけど」と、オッサンは最後に苦笑いを見せた。
「そうなんですか? ……ああ、まぁ、池田さんの方が早く目覚めて、この『1日目』を先にスタートさせていたってことか」
「そう言うことだな。ただ、やっぱり君が起きる前に彼女たちの所へ出て行っても、またややこしいだろ?」
「そうですね。今の彼女たちは、昨日あなたに会ったことも記憶から消えているし……ここで声を掛けてもらったのは助かります……って、まぁ、小便するところを見られていたのは恥ずかしいですけどね」と、俺は顔を引きつらせてしまう。
「そんなところまで見てねぇよ。まぁ、とにかく俺にとって鬼門の『2日目』を越えられた。君が『他人の一人称の変化』と言うヒントを教えてくれたからだ。サンキューな」
「いやぁ……と言うか、俺もこの、『本当の1日目』に起きた『変化』は、まだ最上さん……元クラスメイトなんですけど、その子の髪がピンク色になっているということと、昨日池田さんが教えてくれた『ショルダーズ』の距離が近くなっていること、この2つしかわかっていませんよ。なので、後は池田さんの考えも訊きたいッス」
俺は、低い位置で横向きに曲がった幹に腰を下ろしながら言った。
池田さんも、そこから伸びた枝に魔溜石ランプを引っ掛け、俺の横に座る。
「それなら、前にも言ったけど、多少の見当はついているぞ。思うに他の3つも、二人に当てはまる『共通の変化』のように思える。だから、君は確認するだけでいいかもしれんな」
「本当ですか? それなら、助かります! これまでと違って、今日はもうこんなに暗い状況でのスタートで少し不安だったんですよ」と、俺は素直に喜んだ。




