第1129話・数に溺れて
池田さんと俺はとにかく『幻影の世界』1日目まで、ペースを合わせて一緒に戻ることにした。
そして、『1日目』。
俺は『魔の森』のテントで、夜明け前なのに明るい外光を受けつつ目を覚ます。
当然テントから出ても、傍に池田さんの姿はない。
しかしそれについては前日……『3日目』にいつものように『ビッグドーナツ』の前で会った時に話はつけておいた。だから俺は慌てなかった。
昼、一行は川に向かった。この流れももう何度目か……。
木々を抜け、川岸に出ると、俺は左右を見回した。『前日』での約束通り、下流の方から池田さんが手を振って歩いて来た。
池田さんは、この川をもう少し下った辺りの森の中でナイトメア・リバティーンに呑み込まれたらしい。
それは俺たちパーティーがその魔獣と遭遇したよりもずっと前のことだが、俺と池田さんが同じ『幻影の世界』で出会えていることから、二人が呑み込まれたのは同じ個体のナイトメア・リバティーンなのだろう。
もしかしたらそいつは、池田さん以前にも誰かを呑み込んで同じ『幻影の世界』という迷宮に閉じ込めてしまっているかもしれない。
そんな哀れな人が、同じ『現実世界』の人間の俺や池田さんとも出会えずに、この『狂った世界』のどこかで戦っているかもしれないのだ(わけが分からない状態で、俺と池田さんが出会えたのも奇跡に近いだろう)。
だが、そんないるかもわからない人を想ってグズグズしているわけにもいかない……。
とにかく、魔獣に呑み込まれた池田さんは死を覚悟したらしい。俺とは違い仲間がいなかった彼は、魔獣の体内から助け出す人もいない。そのまま魔獣の体内で消化されてしまうのだろう、と人生を諦めた。
しかし、気がつけば、日が落ちかけていた森の中で横になっていたと言う。そこからが池田さんの『幻影世界』の始まりだ。俺の時と同じで、本人はまだ気づいていなかったらしい。
その日はすぐに暗くなるということで、普段自分が寝泊まりするために確保していた地下壕のような場所で過ごし、翌朝明るくなってから『ゴブレット』に帰ったが、池田さんはその段階で少し違和感のようなものを感じたらしい。知り合いのおばさんの髪色が黒からピンクになっていたというのだ。
そして翌『2日目』。知人たちの性格に『変化』が起き、池田さんの抱いた違和感はさらに強くなったそうだ。
その後も一日ごとに違和感が増えていき、これはマズいとなって、池田さんはとりあえず『魔の森』に戻った。この状況が、ナイトメア・リバティーンが見せている幻だと結論付けたらしい。そして、あの魔獣を斃さなくては抜け出せない、と。
ただ、そこがすでに『幻影の世界』の中の森であるからだろう、ナイトメア・リバティーンを見つけ出すことはできず、また『ゴブレット』に戻ってからも『変化』は増え続けた。
しかし、『6日目』の夜、(おそらく興奮して)眠れなかった池田さんは、その日見つけた『変化』のことを繰り返し頭に思い浮かべて、いつの間にか眠りに落ちる。
すると、翌朝は『5日目』に戻っていたわけだ。
前日に戻る法則を何となく掴んだ池田さんは、『2日目』まで遡ることに成功した。しかし、どうしてもあと一つの『変化』が思い出せなかった。今では、俺の周囲で起きている『変化』と比べ、その雛季の例と同じように知人の一人称が変わっていたことに気づいたが、その時点では、とりあえずこの『世界』からの脱出は後回しにし、この『世界』……特に『6日目』を愉しもうと言うことで、俺と最初に出会ったあの日まで『5日目』、『6日目』を繰り返していたそうだ。
ちなみに欲が出たオッサンは一度、『7日目』以降にはこれ以上の楽園のような世界が待っているのでは? と言うことで、あの恐怖の『7日目』に進んでしまった……。そして、魔獣が街に出現し出し危険になって、それ以上日を進めるのが怖くなり、進むのは『6日』までと決めたと言うことだった。
そんな池田さんと、川岸で合流できた。
「ああ、瀬戸君。捜したよ」
「捜したって……この辺りで待ち合わせって言ったじゃないですか? どこか場所を勘違いしていたんですか?」
昨日(2日目)は、池田さんがすでに『ゴブレット』にいるのでわざわざ呼ぶこともないということで会わなかったのだが、3日目にはそれまでと同じように『ゴブレット』で会っていて、今日(1日目)会う場所はお互い入念にチェックしていたのだが……池田さんはずいぶん歩き回ったらしい、服が汗でびっしょり濡れている(まだ異常な暑さになるという『変化』前で、これまでよりも随分過ごしやすい気温なのだが)。
そのことを指摘すると、池田さんは「いや、実は……」と何か言いかけたが、他のメンバーが怪訝な様子でこっちを見ていることに気づき、一旦話をやめてしまった。
「誰誰~? カケル君、そのおじさん」と、雛季が近寄って来る。
「えっと……『牙』さんの用務員さん……でもないですし~……」
「近所の人でもなさそうね」
桜川に次いで安城さんが肩をすくみながら言う。
「『ゴブレット』で会った人? カケル君?」
「私たちも知らない? ……まぁ、いいけど、紹介しなさいよ」
美咲の後に、鹿角が投げかけてくる。雛季も池田さんに興味津々だ。
「ああ~……まだ、会っていなかったっけ?」と俺は小声で言い、「元々、ほとんどの子は紹介してもらってないな」と池田さんも俺だけに言った。
『この世界』の1ターン目で池田さんと会っているはずのケルベロ・キャットのタマは、見ず知らずの男に怯えている様子で、ミュウと共に雛季たちの後ろに回っている。トラヒメはへっぴり腰ながら池田さんに近づき、臭いを嗅ぐ。
また、琴浦姉妹も当然初めて会ったという態度になっている。
「ま、まぁ、そう。いつだったか、『ゴブレット』で会った人で、池田さんって言うんだ」と、俺は引きつった顔でオッサンを紹介。
オッサンの方もいかにも演技というような硬い言動で続く。
「は、初めまして、池田です。みんな瀬戸君のパーティーの? いやぁ、みんな綺麗じゃないか、羨ましいぞ、この~」
「ハハハ……」
「なんか変な雰囲気じゃん? まさか、一人で行った『神々』とかで知り合ったんじゃないでしょうね?」と、中間が腕を組んで言った。
「そ、そうなの?」と、美咲たちの顔もやや険しくなる。
「一人で行ったんか?」と、鳩ケ谷も食いついてしまう。
どうせ近いうちサヨナラする世界だ。そう思われても別によかったのだが、一応否定する。
「違うよ! その~……近所の人の手伝いをしている時に会ったんだよ。い、池田さんは薬草などの植物を集めていて……その手伝いをした」
仕事で植物採取をしているという事実を少しまぶして、話を繕った。
池田さんもそれに合わせて、改めて挨拶する。
「きょ、今日も採取に?」
「そ、そう……」
俺と池田さんは目配せをしながら話す。
美咲や桜川たちはまだ怪しんでいたが、雛季や鹿角や玉城などが早々に池田さんへの関心をなくし水浴のポイントを見つけるため歩き出したので、他の者たちも一、二列になって川岸を進み始める。
俺と池田さんは歩く速度を落とし一同と少し距離を取ってから、小声で話を続けた。
「えっと……ああ、そうそう。さっき、何か言いかけていましたけど?」と俺は先ほどのことを思い出して、訊ねる。
「あ、ああ。俺が君を捜した理由……そこからだったな? 実は、俺は今朝目を覚ました時、まだ向こう……『ゴブレット』の家にいたんだ」
「へぇ……」
それについて引っかかる所を見出せなかった俺は、リアクションが小さくなる。
ただ、池田さんがすぐに続けた話で、一気に緊張感が増す。
「遅蒔きながら、俺は勘違いに気がついたんだよ。『この世界』の『1日目』、それは俺があの魔獣に食われた後、目を覚ました日暮れ時、その翌朝からのはずだ。そうだろ?」
やけに真剣な目つきの池田さんにそう問われ、俺は「……ええ、そう言うことでしたね」と気圧されつつ応じる。
「だから、前に話した、仮の住処にしていた地下壕で目を覚ましてなくちゃおかしいんだけど……そこで改めて考えたら、いや、これでいいんだ、と。俺は今日も、『ゴブレット』の家で目覚めて正解なんだと気づいた」
「ん?」
表情を緩めて話を続ける池田さんに対し、俺は首を傾げずにはいられない。オッサンが何を言いたいのかよくわからない。
「だから、俺は今日……つまり君が言うところの『1日目』あるいは『初日』って日のことだけど、この日は俺、一旦『ゴブレット』に帰っていて朝も家で目覚めたからね」
「ん? よくわからないんですけど……でも、池田さんは『1日目』の朝はまだ『魔の森』にいて、そこで目覚めたんじゃないんですか? それなら、繰り返しの『1日目』の朝も、その地下壕って場所で目覚めなきゃおかしいんじゃないんですか? 俺が『3日目』から『2日目』に遡った時に、朝この森のテントでみんなと目を覚ますように……」
なぜか薄ら笑いをしていた池田さんは手で俺の話を制し、言った。
「だから、その、君が言う『1日目』だとか『初日』、それ以降の『2日目』だとか『3日目』だとか、それが間違ってんだよなぁ」
「はあ? ど、どういうことですか?」と、俺は目を見開く。思わず声が大きくなって、少し前を歩く美馬さんや柳井さんたちが一度振り返った。
「だから、君の言う『1日目』と言うのが、『この世界』に入り込んだ『最初の日』じゃないって言ってんの。実際は『2日目』なんだよ、君の言う『1日目』は」
「ええ~? ど、どういうことです?」
「君が言っていた『2日目』は、『この世界』の……つまり俺にとっての『3日目』……いや、『本当の3日目』と言うべきか? 君が言っていた『3日目』は、『本当の4日目』。以降……全部+1日。だから、君と話していて、何かいつも引っかかっていたんだ」
「……?」
「こっちも自棄になっていた時は、あまり気にしなかったけどさ。今朝になって、ああ、瀬戸君は勘違いしてるんだって、わかったんだよな。いや、俺も悪い。もっと早く……少なくとも君が『1日目』から抜け出せないのなんのって言っている時に、君の勘違いに気づいてやるべきだったな。そして、指摘してやるべきだった……」
「俺が言っていた『1日目』……つまり今日が、本当は『2日目』……?」
「まだわからないか?」と池田さんは、幾つヒントを出してもクイズに答えられない子供に対する勝ち誇った大人の嫌な顔で見てくる。
「じゃあ、訊くけど、君は何で『この世界』の『1日目』が、この日だと考えたんだ?」
「え? それは……魔獣に呑み込まれて、次に目を覚ました……いや、それよりも、森の中で『DAY1』という光を見たからだ! 『DAY1』と書いているように見える魔法の気のような光が、木々の中で浮いていたんですよ! そのことについてはまだ詳しく話していませんでしたね? 池田さんは、それを見ていないんじゃないですか?」
「見たよ」と、池田さんは食い気味に答える。
「確かに『DAY1』と書いてあるように見えたよ」
「それじゃあ! 池田さんの方が一日多く勘違いして……」
「いや、瀬戸君。ここがどんな『世界』か、忘れたのか? 魔獣の創り出した『世界』……『間違い探し』を出題してくる魔獣の創り出した『世界』じゃないか」
「ええ? そ、それじゃあ……その、『DAY1』自体が……間違い?」
俺は歩を止め、思わず傍の樹に寄りかかった。
「た、確かなんですか? だって、ほら、他は『現実世界』との違い……『変化』が、前日へ戻るための答えでしょう?」
俺はまだ樹を支えにしながら、訊いた。
「そこがいやらしいところだよな。そこだけ『現実世界』との違いじゃなくて普通の数字の間違いなんだから。でも、確かだぞ。俺は『本当の1日目』にも別の『変化』が幾つもあったことを憶えているかな。『DAY1』の光の文字は、『2日目』の『変化』だ。まぁ、それは最初のターンで気づいたわけじゃないけどね……と言うか、最初は光の文字を見落としていた。だってその時俺は、さっきも言ったように、早々に『ゴブレット』へ帰っていたからね。この森の中の光の文字なんて確認できるわけないじゃないか? まぁ、とにかく、君が勘違いしていたのは、ある意味助かったとも言えるんだぞ?」
動揺し頭の回転が鈍り出している俺は、訝るように池田さんを見る。
「だって、そうだろ?」と、オッサンは笑みをこぼす。
「君が『1日目』から抜け出せないと半ば諦め、この『幻影の世界』で腐っていた。それを聞いて俺も焦っていたが、実は君がただ『本当の2日目』の5つの『変化』を見分けられていなかっただけとわかったってことだから!」
「……そ、そうか……そうですね!」と、俺もようやく池田さんが薄笑いを浮かべていた意味を理解し、顔の筋肉が綻んでいった。




