第1122話・昨日を待ちながら
部屋に戻ってからも、俺は外廊下やトイレの方に何度か目を配った。鳩ケ谷の霊は……もう見なかった。
あれは白鷹が言うように俺の思念から来るものか、疲労感から来た一瞬の幻か、死んだ鳩ケ谷がこの世に残した……特に女性に関しての未練がスピリチュアルなものとなって漂っているのか……。
鳩ケ谷の十八番とも言うべきピーピングをずっとされている気分で落ち着かないが、そろそろ真剣に本日最後の『確認』をしておかなければならない。
都合いいことに、悲しみに暮れたメンバーたちは各々早々に寝床につき、現在部屋は静まり返っている。目黒さんや白鷹ももう横になっている。あとは坂出や中間など一部のメンバーが本などを読んでいるだけだ。
外は明るいが、空が黄緑になっているせいかこれまでよりもわずかに光量は抑えられているし、すべてのカーテンが閉まっている今、室内は薄暗くもある(人や物が見えるほどではあるが)。
一人考えに耽るには充分な環境だ。
布団に横になり、俺は今日起きた5つの『変化』を思い出していた。これで間違いはないか、最終確認だ。
と、その時、足元でガシャンと音が鳴った。
俺は頭を上げ、足元(玄関扉の方)を見る。
鳩ケ谷の霊のことがあったばかりで必要以上にビックリさせられたが、なんて事はない、ソファーで丸まっていたタマが、自分の本来の寝床であるケージに飛び込んだ時になった音だったのだ。
「ニャ? ああ、悪いニャ。起こしたか? ああ、そうか。あの鳩ケ谷って奴が死んで寝つきが悪くなっているのか、お前?」
ケージの向こうでタマ……いや、今はもうヤヒコに替わっているらしい。声や性格でもわかるが、何より一番前にある頭の額に、ヤヒコだけにある『×』印が付いている。
「ヤヒコに替わったのか……と言うか、鳩ケ谷のことも知っているんだな?」と、俺は頭を枕に沈め直しながら呟く。
「まあニャ。タマ公から記憶を受け継いでいるからニャ。それにしても、鳩ケ谷って奴、みんなから嫌われていたのにニャ~、死んじまったらみんな悲しい、可哀そうって泣くんだニャ、人間は。それなら生きている間に、もっといいところを見つけて褒めてやればよかったと思うけどニャ」
ヤヒコも、ケージの中の布団の上で丸まりながら言った。
「そうだな……。まぁ、悪いけど、ヤヒコ。今は俺も寝るわ」
「フンッ……おやすみニャ」
ヤヒコは小さく鼻を鳴らし、本格的に眠りに入ったようだ。
一方、俺は、本当にこのまま寝落ちするわけにはいかない。
頭に、今日起きた『変化』を5つ、繰り返し念じるんだ。些末な不安は残っているけど、池田さんが示してくれた『前日に戻る』方法を試すしかない。
今日起きた『変化』は……『空が黄緑色』、『白鷹たち4名がアパートの同居人になっている』、『人々が苛立ちやすくなっている』、『俺の背中や尻の肉付きがよくなっている』、『魔獣が街の中に頻繁に出現』……ん? ううん? いや、ちょっと待て!
その5つのことを考えていた……いや、必死に考えようとしていた俺の頭に、別の新鮮なビジョンが差し込まれ、そこに付随する特徴的な声も漂う。
それらの記憶によって、眠りへと沈んで行きそうだった俺の思考は『現実の枕の上』へ引っぱり上げられた。
俺は枕から頭を浮かせ、そのビジョンと声の主の方を改めて見る。
その者……ヤヒコは、当然もう丸くなって寝ている。しかし俺は呼びかけずにはいられなかった。
「お、おい……おい! ヤヒコ! すまないけど、ヤヒコ、訊きたいことがあるんだ……!」
ヤヒコは無視を決め込もうとしたのか、一度耳が揺れたくせにまったく起きて来なかった……が、みんなを起こさぬよう小声で何度も呼び掛けると、「ウ~」と威嚇するような声を発した後、寝ながら顔だけこちらに向けた。
「ニャンだニャ~? 気持ちよく寝てるところ起こされるの、一番ムカつくんだニャ~」
「すまん。しかし、大事なことなんだ。ふと、さっきお前が言ったことを思い出して、おかしいことに気づいたんだよ」
そう、俺の頭を横切ったものは、直前に見たヤヒコの姿と、その言葉だったのだ。
「ニャンのことニャ? くだらないことだったら怒るニャ」と、ヤヒコは不機嫌そうに言う。
「説明すると長くなるから、端的に訊くけど、さっきお前さん、『タマ』と入れ替わったと言っていたな? 『タマ公から記憶を受け継いだ』と……」
「んん? そうニャ。それがどうしたニャ? 俺たちの意思や記憶の話は何度もしたニャ?」
「それは知っているけど……」と、俺はさらに声量を落とすため(桜川や東御が寝返りを打ったので)顔をケージに近づけた。
「いつもと入れ替わる順番が違うじゃないか?」
「ニャ? いつも通りニャ。俺からカンナ、カンナからタマ公、タマ公から俺って、先頭の頭が替わるニャ」
「……それは本当か?」と改めて訊ねたが、ヤヒコが答えるまでもなく、俺はヤヒコの前にケルベロ・キャットの主導権を持っていたタマの言葉も思い出していて、ヤヒコが言っていることがすでに正しいことはわかっていた。
トイレに行く前、まだヤヒコではなくケルベロ・キャットの主導権を持っていたのはギリギリ、タマだった。
そしてタマは、まだケルベロ・キャットの意思を持っているのがカンナだと思いこんでいた俺に、『自分はカンナではなくタマ』で、『カンナとはずっと前に替わっている』ことを伝えていた。
つまり、カンナ→タマ→ヤヒコの順番でケルベロ・キャットの主導権が(頭が一番前に来て、その者が自分の頭の左右後ろに他の二つの頭を載せたケルベロ・キャットのその特異な体を動かせる)替わっていることを証言していた。
さらに今朝へと遡って思い出してみれば、その時会ったケルベロ・キャットの主導権はカンナにあり、そのカンナも、短気になっている人間たちを見て、『早くタマに替わりたい』などと嘆いていたのではなかったか?
【第1113話・参照】
そうだ、確かに言っていた。
ならば、もっと俺が物事に対して注意深く行動していれば、あの段階で『カンナからタマに主導権が替わる』ということの違和感に気づけていたかもしれない。
しかし、あの時は俺も他の女性メンバーの珍しい口論に少なからず動揺していたし、何より『5日目』に戻ることに失敗し『6日目』から『7日目』に進んでしまったという事実に気を揉んでいて、ケルベロ・キャットの頭が前に来る(主導権を持つ)順番が違うなどと言う些細な『変化』には気づけなかったのだ……。
そう、『幻影の世界』の『7日目』が終わろうとしている今、ギリギリのところで気がついた『変化』は、ケルベロ・キャットの頭が前に来る順番が違っているということだ。
もちろん、『この世界』の住人であるヤヒコたちには違いなど分からない……と言うかいつも通りだ。そのため、ヤヒコは先ほどの俺の問いに「本当ニャ! しつこい奴だニャ~」と返すだけだ。
ただ、俺は、『現実の世界』の彼らが、そして『この世界』でも昨日『6日目』までは、彼らの頭が前に来る(主導権を持つ)順番が今とは逆回りであることを知っている。本来は、カンナ→ヤヒコ→タマ、そしてカンナに戻るという順番を繰り返す。
しかし、今はその反対なのだ。
つまり、『ケルベロ・キャット(カンナ・ヤヒコ・タマ)の、一番前の頭になる順番が変わっている(逆回転)』という『変化』が起きているのだ。
本日の終わり……眠りに落ちる前にそのことに気がつき、俺は安堵と同時に、自己満足的な興奮をせずにはいられなかった。
ヤヒコに改めて謝ってから、横になった俺は、それなら……と考える。
必然的に、すでに見つけていた本日の『5つの変化(最上さんの髪色の件は除く)』、この中から一つ、見直さなければならない『変化』があるはずだ……。
しばらくの間、俺は天井を見つめながら、今日、そして昨日と時間を遡って、それぞれの日にどんなことが起き、誰が何と言っていたか、必死に思い起こした。
そして、導き出した。
あとは、池田さんの方法を信じ、本日起きた『変化』5つを繰り返し思いながら、自然と眠りに落ちる時を待つ……。
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そして、目が覚めた。朝だ。
「……ん? ああ! いない! 白鷹たちが……いない!」
半身を起こした俺はまず、部屋を見回し、そのことに気がついた。
白鷹、目黒さん、月形さん、水巻さんは『7日目』からこの部屋の住人となり、窓際の美咲の布団の横(トイレに行くための1メートル弱の通り道を空けて)やその反対側の壁際の二段ベッドの横、ソファーの前などに分かれて自分の寝床を無理やり確保していたはずだが、それらの場所に彼女たちの姿はないどころか布団も敷かれておらず、彼女たちの荷物もない。
「うん……? 白鷹さん?」
相変わらずみんな午前中はゆっくりしているので、美咲も自分の布団に寝転がりながら目をこすって反応した。
「白鷹さんの夢でも見たの、お兄ちゃん?」
「部屋さんを見回していましたね。まだ夢さんの中といった感じです」
すでに体を起こしていた浅川と桜川が、桜川の布団の上にちんまり座りながら言った。
傍にはミュウと小牧も座っており、みんなが起きて来るまでの間そこで年下組だけで小声で話でもしていたようだ。
「白鷹さんの夢……。なるほど、なるほど」と、起き上がった美咲は平坦なく言う。
「ファ~……いやらしい夢ですね、きっと」と、美咲の横で寝ていたらしい二宮もあくびしてから言った。
「ち、違ぇよ! いや、ただ……白鷹や目黒さん、月形さんなんかも居た気がして、居るわけないか……まぁ、夢かな、ハハハ……」
説明が面倒なのでそういうことにして、白鷹たちの所在をさりげなく確認する。
「い、居ないよな?」
「当然……」と口にした後、美咲が少し間を空けたので不安になったが、「いないよ? 夢を見たんだね、彼女たちと一緒にいる」と続けた。
『7日目』に起こる『変化』の一つ……『白鷹たちが同居している』ということがなくなったことが嬉しくて笑みをこぼすが、美咲たちの手前、今は嬉しそうにしない方がいいと表情を引き締める。
「い、いや、ただ出てきただけだ……それも、ハッキリした姿でもなくて……。それより……」
俺は横のカーテンを開けた。
そこに見えたのは……白んだ空! 気持ちの良い青空ではないが、『7日目』のような黄緑の空ではない!
次に、ソファーの上にピョンと跳び乗ったケルベロ・キャットに近寄る。
「おはよう~、えっと……カンナかな?」
「あ、おはようございます、カケルさん」と、可愛らしい声が言った。
一番前の頭は、やはりカンナだ。
俺は内心焦った。『7日目』の『変化』通りだと、その魔獣の主導権はヤヒコの次がカンナとなる。寝る前はヤヒコだったから、朝カンナに変わっていることは問題のない『普段通り』となってしまう……。
ヤヒコのままだと、質問をするとまた文句を言われるからその点はカンナに替わってくれていてよかった、と一瞬思ったが、カンナであることは実は一番都合が悪い。
「……カンナちゃん。変なことを訊くが、しょうがない人間だなと思って答えてほしい」
「な、何でしょう?」と、カンナが少し警戒したのがわかった。
「君の前に、その体を動かしていたのはヤヒコ? タマ? どっちなの?」と、俺も恐る恐る訊ねた。
「私の前は……タマちゃんですよ、いつも。そして、私からヤヒコに替わり、次はヤヒコからタマちゃんに替わります。そのサイクルをぐるぐる……」
「本当? よっしゃ~! 戻ってる~!」
俺は両手を突き上げ、喜んだ。
桜川たちだけでなく、まだ横になっている他のメンバーの数名も何事かと視線を向けてきた。
とにかく、ケルベロ・キャットの頭が替わる順番も、『6日目』以前に戻っているようだ。




