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懐中電灯で獣女を照らしてみると、昏倒して地面にのびている。
朋樹があらかじめ用意していた 清めた酒に麻紐を浸し、それで獣女の手足を縛った。
テントの入り口の裏に貼った札を外して、獣女の胸に貼る。さっきこいつは この札に弾かれた。
これで動けないはずだ。
さて、次は火だな
宿泊施設の外に設置された物置の壁に
シャベルが立て掛けてあったことを思い出し
取りに走る。
シャベルを持って戻ると、テントから少し離れた場所に軽く穴を掘り、その穴の回りを でかい石で囲むと、簡単なカマドのようなものを作った。
結局火ぃ点けるんなら、さっき用意だけしときゃよかった...
テントの中から 固形の着火材と、おっさんにもらったコンビニ袋から マンガ雑誌を取り出す。
雑誌をビリビリやぶってカマドに重ねて入れ、着火材にも火を点けて入れると、周囲から枝を拾い、適度な大きさに折って、それも火の中へ放り込む。
うん、いい感じだ。
用意は このくらいでいいだろう。
カマドの火を挟み、獣女の向かいにあぐらをかいた。清酒を一口飲んで手に印を組むと、陀羅尼を唱える。
「ノウボバギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バギャバテイ... 」
尊勝陀羅尼という神咒だ。
佛頂尊勝陀羅尼... 仏頂、釈迦の頭頂部には
頂上肉髻という盛り上がった部分があり、光を放ち、邪を清めるという。
その部分だけが単独で神格化し、仏の一尊となった。唱えることにより その功徳があり、百鬼夜行を遠ざける とも言われる。
獣女の身体が ビクッと揺れた。
「... アぐぅあ」
気がついた獣女は身を捩り、手足の麻紐から なんとか逃れようとしている。
陀羅尼が効いているようだが
この後はどうするかな...
「... バラチニバラタヤ・アヨクシュデイ・サンマヤ・ジシュチテイ・マニマニマカマニ... 」
「ぅヴぇらぐぇあッ... 」
オレと獣女の間で、小さな音を立てて
カマドの火が爆ぜる。
「ぇぐぉヴいぁ... ぐぁラぎぉ... 」
獣女は身を捩りながら、うつ伏せになり
地面に顔を埋めて泣き出した。
嗚咽する声が火の向こうから、途切れながら届く。
「... サラバギャチハリシュデイ・サラバタターギャタシッシャメイ・サマジンバサエンド・サラバタターギャタ・サマジンバサ... 」
ふと、獣女の身体から力が抜け
動かなくなった。
オレは立ち上がると、火の向こう側に回り
獣女の肩を足で揺すってみるが
それでも動かなかったので、足でそいつをひっくり返した。
薄く開いた四つの眼。
裂けた口はだらしなく開き
中から長い舌がはみ出している。
札の下の胸は鼓動を止め、呼吸もなかった。
なんか、ずいぶん 呆気ないな...
左肩に獣女を担ぐと、右手にシャベルを持って 広場の外れに移動する。
冷たくなってきたその身体は、眠った時のような
だらりとした重さだった。
宿泊施設やロッジから離れた森に近い側に獣女を降ろすと、その身体が収まるくらいの穴を掘る。
地面は固く、少し掘る度に石に当たり、なかなか掘り進められなかったが
空が白み出した時に ようやく堀り上げ、その中に獣女を収めた。
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テントの近くのカマドの火は消えていたが
念のために水をかけて、囲った石を元に戻し
借りたテントを畳んだ。
空はもう、ずいぶん明るくなってきた。
一度バンガローに戻ると、汗まみれだったので シャワーを浴びる。
髭、伸びたな...
頭をタオルで拭きながら 鏡を見ると
疲れた自分の顔が映った。
アッシュブラウンに染めた ベリーショートの髪。
いかにも男だという骨格の顔。
やや上がり気味の眉に、よく「怒ってる?」とか聞かれたりする眼。
背も180ちょっとあるので、下手すると怖がられたりすることもある。
いつもたいてい顎髭は生やしているが、鼻の下は帰ったら剃らんといかんな。もさもさしよる。
着替えて軽く飯を食う。
とは言っても何も作る気にはならず、昨日おっさんからもらったパンにしたが。
コーヒーを飲みながら朋樹に連絡すると、後始末がてらに迎えに来る と言っていた。
そろそろおっさんが出勤して来る時間なので、簡単にバンガローを片付けて、事務所に向かう。
しっかりと朝になった外は 今日もまだ暑く、あちこちで蝉が鳴き出している。
くあ... っと あくびしながら
今日は やっと山を下りれる、と思うと
疲れていながらも気分は軽くなった。
事務所のドアをノックすると、おっさんが顔を覗かせた。
「おはよう」と笑顔で挨拶したおっさんは
すぐに、ん? という顔になり
「もしかして、解決したの?」と聞く。
「はい、まぁだいたいは」
オレが答えると、おっさんは驚いて あたふたし出し、どこかに電話を掛け始めた。
「あのね、所長が来るって言ってるから」
短い通話を終えたおっさんが オレに言う。
「わかりました。雨宮が到着したら仕上げに入るんで、所長さんと立ち合ってくださいね。
広場の奥の、右隅の方です」
事務所から出ようとすると、おっさんが
「あっ、梶谷くん」と呼び止めた。
オレが振り向くと
「あの、何だったのかな? ここに出るっていう噂の、その... 」と、怖々と聞いてくる。
うーん... なんと答えたことか...
「四つ足で走る女だったんすけど... 」
「いや! やっぱりいいや!」
おっさんは自分の胸の前で、ぶんぶんとこっちに向けた手のひらを振る。
「んー... まあ
まだ埋葬途中なんで、後で見れますよ」
オレがそう言い残すと、おっさんは
「ええっ?!」と、顔を青くした。
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「わっ、すげぇな」
穴の中の獣女を見て、朋樹は声を上げた。
獣女は、さっきの穴に収められた状態で
薄く開けた四つの眼を空に向け、口からはだらりと舌を出している。
「なんなんだ、これ?」
「知らね」
軽く答えたオレに朋樹はため息をつき
「相変わらずいいかげんよな、おまえ。
ま、いいわ。清めた後に 祠でも建ててもらうかな」と、また獣女を見た。
「梶谷くん」と、おっさんが誰かと一緒に、事務所の方から向かって来るのが見えた。
よく見るタイプのごく薄いベージュっぽい色の作業着上下のおっさんは、キャンプ場の所長らしい。そういや、初日にちらっと挨拶した人だ。
「おはようございます。
いやどうも、梶谷さん、雨宮さん。
解決してくださったようで... 」
所長おっさんはハンカチを出して、オールバックの額に滲んだ汗を拭いた。
「それで、その遺体があると... 」
オレが背後の穴を「そこです」と親指で指し示すと、所長おっさんと事務所のおっさんは恐る恐る穴に近づく。
「ィッ... ヒィイィィッ!」
穴を覗くと、事務所のおっさんが喉から声にならない声を絞り出して後ろに転び、所長おっさんも口をパクパクさせて腰を抜かした。
「大丈夫ですか?」
朋樹が、おっさん二人の背を 手で軽くさする。
失神寸前だったおっさん達が落ち着いてくると、これから朋樹が『祭詩を奏上する』と言う。
簡単にではあるが、獣女の葬式のようなものをするらしい。
朋樹は、かしこまったおっさん達とオレを背後に従え、獣女の胸の札を外し、それをオレに渡すと
祝詞を捧げ出した。
「うっ····」
おっさんが手で口を押さえて震える。
穴の中の獣女が、びくんびくんと大きく身体を跳ねさせている。
だが、四つの眼は何も映しておらず
口からは舌を垂らしたままだ。
所長おっさんが青い顔をして、再び失神寸前といったところで、祝詞は終わった。
獣女の口から白い靄が立ち上ぼり
空へ昇っていく。
獣女はもう動きを止めていた。
徐々に身体を萎縮させると
穴の中には、干からびた白い死骸が残った。