94.この辺境伯領内だな
やはり遠出となると、商人の方が詳しいらしい。必要となる食料や水を用意してくれる事になった。
五百イルの水樽を二つ載せれば、それだけで百五十キロ近くになる。もちろん片方は馬の飲み水用だ。人用と馬用で最低二樽は必須だと述べていた。紹介状を書くので、国内であれば無料で水の補給をしてくれるらしい。
穀物は小麦を用意させようとしたが、勘弁して欲しいと頭を下げられた。賠償額ギリギリまでの小麦を集めるとなると、しばらくこの領都で不足になるからと。
「ではライ麦で結構です。ああ、それからトロナ石も街に不足が起きない程度に集めてください」
「トロナ石……ですか? それはどういった物で」
ユーリは迂闊な事を言ったかと、頭を抱えそうになった。
この二日朝食を取った店で、柔らかい黒パンの製法でトロナ石の粉末を混ぜる事を聞いた。既に普通に知られていると思っていたのだ。
「混ぜて焼くと黒パンが柔らかくなる粉です」
「あの粉ですか。用意します。……あの粉はトロナ石というのですか」
「さすがに迂闊でしたね。この件は明日、辺境伯に報告しますよ」
釘を刺しておくしかあるまい。勝手に採取されないように。
賢侯と呼ばれる領主だ。上手く取り計らってくれる筈だ。
石と言ってしまったのだ。放って置いたら、早速明日にでも山岳探検隊が組まれるかもしれない。
領主の管轄の下で、採取させるしかないだろう。
エルイには申し訳ないが、もう三十年経っている。諦めて貰うしかない。
やはりまだ彼等は若いのだろう。勘違いで不用意な言葉を漏らしたりする。たぶんジョン・ドゥも似たような事をしたに違いない。
後は日持ちする野菜と果実、薬や矢、着替えなどを頼んでいる。塩もなるべく多くだ。香辛料は期待できないだろう。
更に明後日の朝に捌く生肉を、二十キロほど頼む。四人でその量は腐るのでは、と聞き返す組合代表に問題ないと答える。
そして入れ子になる木箱と、おがくずを用意するように頼んだ。肉はエイティの魔術で凍らせて、簡易保冷ボックスを作って入れておくつもりだ。
彼等は干し肉や塩漬け肉を食べるつもりなど、全く無かったのだ。
現金として一万エノツも用意するように伝えた。他の街での補給や情報収集に必要となるだろう。
後は干草や干し藁を多く用意させる。クッション代わりに使うつもりなのだ。
商会代表は、挙げられた必要品を書いていた秘書の女性を呼び寄せる。
そしてその内容を見て経費を算出する。馬車と馬、現金を合わせても三万エノツにも満たない。予定していた額の三分の一以下だ。
これでは少な過ぎる。これを見た領主とギルド長は、組合が無理に値切ったと取るかもしれない。
「他に必要な物はありませんか。さすがにこれでは……」
「火災被害の補償で余った分は、領主に預けて置いて下さい。何十年後かに、ジョン・ドゥや我々みたいな者が訪れた時の為に」
格好良い事を言っているが、本音は荷物が増えるのを嫌っているだけだ。邪魔にしかならない。
物欲がないと言う訳では無いが、この世界で欲しい物が無いのだ。
気が付けば夜一刻になりかけていた。クーディ達は限界のようだ。さすがに彼等も休養を取る必要はある。
荷物の手配を頼んで、彼等はホテルに戻って行った。
相当遅い時間だったが、ホテルの従業員は彼等の顔をしっかり覚えているようだ。何も言わずに部屋に案内していた。
まあ、黒髪黒目の者を含む異邦人の群れを、見誤る者は居ないだろう。
クーディ達はあんなに恐れ多そうにしていた部屋に黙って入っていく。そんな気力も残っていないようだ。倒れこむように熟睡するのだろう。
部屋に入った彼等は相談を始めた。
どうせ他人には分からない言語だ。部屋で彼等だけになってから話し合う必要は無いのだが。
「どの辺だと思う?」
「次の街まで三日だったよねえ。で、領境がそこから二日だったかなあ」
「更に二日で別の領の街、そこから二日でその領の領都だったか」
「隣接する領は姻戚関係なんだろ。そこから領兵借りられるんじゃねえか。この辺境伯領内だな。ギリギリで領境までじゃねえかな」
彼等は確実に襲撃があると予想している。
そしてその襲撃は、下手をすると数十人からそれ以上の可能性も高いだろう。
異世界物ではないのだ。いくら陽動で領兵を出張らせたとしても、伯爵令嬢の護衛が数人の冒険者になる筈が無い。
江戸期の参勤交代ほどでは無いだろう。だがそれなりの人数で、しかも領兵を伴わない訳が無いのだ。
早馬か何かで知らせていれば、領境で向こう側の領兵が待っている可能性もあるだろう。いや、確実に待っている筈だ。近隣の纏め役である辺境伯の娘が、自領で害されたでもしたら申し開きも出来ない。
そう考えると、辺境伯領内でしか事を起こせない筈だ。
そして街周辺だと応援が出てくる可能性も高い。ならば三日目の午後と四日目の朝だけは、襲撃はないかもしれない。
やはり四日目午後から五日目の、領を出る辺りが疑わしい。
だがそう思わせておいて、と言う事もある。結局は領を出るまでの五日間は、十分な注意を払う必要がありそうだ。
さすがに夜一刻を越えた時間だ。
打ち合わせは簡単に終わらせる。この「ホテル」なら見張りを立てる必要は無いだろう。四人は揃って就寝することにした。
翌朝まで何も起こらなかったようだ。
手早く装備を着込み武具やずだ袋を抱えた彼等は、クーディ達に声を掛けにいく。朝食に誘うために。
部屋の扉をノックすると、クーディ達も起きていたようだ。一晩寝て、自分達がどこにいるか思い出したのだろう。焦ったように出てくる。
彼等は連れ立って、二日通った食堂に向かった。
食堂では女将が前日同様、七人分の席を用意してくれていた。昨日に旅立つ事を告げていたにも拘らず。
どうやらクーディ達が、ユーリ達がもうしばらくこの街に滞在する事を言っていたようだ。クーディ達に礼を言うと、照れくさそうに笑っていた。
ユーリ達が他の食堂に行くことは無いと確信していたのだろう。
彼等はおまかせで出て来た食事を堪能していた。
昨日、一昨日とはまた異なるメニューだった。
ふんだんに肉を煮込んだトマトベースのシチューだ。ジャガイモがないのにトマトがあるのは前回と同じようだ。
パンは変わらずに、柔らかい黒パンである。移動中の食事は自作パンケーキを考えていたが、ここの仕入先のパン屋から購入しておいた方が良いかもしれない。
女将に尋ねると、どうも幾つかの食堂に卸す分しか作っていないらしい。確かに値が張るパンだし、仕方がないのだろう。仕入れるのは諦めるしか無さそうだ。
食事を終えても、お茶を頼んでゆったりと過ごしていた。
この後の予定は、昼過ぎに領主の館に向かう事になっている。それまでは特にすることも無い。
この街での情報収集は、もう意味が無いだろう。
ユーリはクーディに問い掛けた。
「昼まで時間を潰せる所を知らないか」
「そうだな。この時間だと市が立っているはずだ。一昨日は晩の観光だっただろ。朝にしか見れない物でどうだ」
「珍しい物でも売っているのか」
「そうでもないな。旅商人か、街の者が手慰みで作った物や古物なんかを売ってるんだ。税も少ないから結構大勢の人がいるぜ」
「それは商会なんかが文句を言わないのか」
「ああ、それは一定量までしか認められないんだ。ほとんどが庭で採れた少量の果物や野菜、古着なんかだしな」
フリーマーケットのようなものか。旅商人のような大量か高価な物を売る者にのみ、税を課すのだろう。
さすがに賢侯と言われる領主だ。商業の重要性を認識しているらしい。
市場の見学は街に住む一般人の生活様式を知る上で役に立つだろう。他の三人に説明すると同意見のようだ。
クーディ達に案内を頼んで、向かう事にした。




