9.その余程の研究者なんだろうねえ
テントの中の二人がもう寝入ったと思ったのだろう。ユーリが口を開いた。
「本当に異世界なのかな」
「星空を見る限り地球じゃないねえ。たぶんあれが月じゃないかなあ」
ゴローがユーリの真上を指差した。
ユーリは少し背を逸らせて見上げる。
「なんか小さくない?」
「それから……あれも月だろうねえ」
ゴローは続いてユーリの背後の東の方角の地平線あたりを指差した。
ユーリは更に背を逸らそうとして、そのまま倒れこむように寝転んだ。
先に示されたものより更に小さく、しかし明らかに星とは異なる大きさの光が目に入る。
たぶん昇ったばかりなのだ。そのためエイティとドーリは月が複数あることに気付けなかったのだろう。
「月が二つあるんだ。けど更に小さいね。もっと幻想的な感じかと思ってたよ」
「見えないところにまだ有るかも知れないけどさあ。それに幻想画なんかにある全天を覆うような複数の大きな月とか、あれってどう考えてもロシュの限界越えてるよねえ」
「井上の設定ではどうだったかな。あんまり詳しく決めてなかったと思うけど」
「井上は逆に細かい所だけ詰めてたよねえ。民族だのギルドだの国だのは設定してたけど暦なんかは地球と同じだったしさあ」
「そう言えばそうだったね。全員合わせれば十二ヶ国語対応になるんだっけ」
「スカウト系だからって皆より余分に二ヶ国語取らされたんだよねえ」
世界共通言語など有る訳が無いという、井上のこだわりのせいである。
そんなものが存在するなら、その言語を母国語とする民族か国家が世界統一帝国となっている筈だ。そして他言語禁止を圧政で強いている世界しかあるまい。
便利だからという理由だけで、今まで使っていた言葉を完全に捨て去り他言語を使い始める民族などありはしないのだ。
ギルドも同様であった。
大概のゲームやファンタジーでは、ギルドは冒険者に仕事を斡旋する国々の垣根を越えて存在する大組織である。
だが、まともな為政者ならば敵対国家を含む複数国にまたがる特権組織の存在など許す筈が無い。存在しても国単位で、しかも国家の紐付きであろう。一部の友好国に限り、ある程度の融通を効かせるくらいが関の山だ。
そのため各国のギルドを転々とするなら、複数言語の使用は必須となるのだ。
彼等の場合は出身地の言語と使用頻度最多言語は全員使用可能にしていた。例えるなら日本語と英語といったところか。
後はゴローが別に四ヶ国語、残りの三人が各々異なる二ヶ国語のスキルを取得していた。全員マルチリンガルである。あくまでキャラクター設定の話だが。
「なら月が複数あるここは井上が設定した世界じゃないと思うんだけど」
「井上神様説はないよねえ。井上なら絶対ここに一緒に居るだろうしねえ」
「あはは、確かにそうだよね。井上が自分は参加せずに見ているだけなんて有り得ないものね」
「これは人が居ても暦なんかは通用しそうに無いねえ。月が複数ある世界で、一年が十二ヶ月で一ヶ月が三十日、なんて暦の訳無いしさあ。一日が二十四時間ってのも怪しいよねえ。あれだって空に太陽並べたら七百二十個分だから、六十分十二時間としたものだしさあ」
「そう言えば最後の記憶が夏季休暇中の晩だったのに、真昼でも全然暑くなかったね。春分点越えたくらいって言ってたよね。あの森見る限り若葉って感じだし季節もずれてると思うよ」
「呼吸可能な空気があって、液体状の水が存在していて、その上炭素系生物らしい植物が生きることのできる気候。重力も変わらないようだし。それで感謝するべきなのかなあ」
「先に言った超越的存在がいるなら即死環境や非適応環境に送り込むことは無いと思うけどね」
ユーリの言う通りだろう。
小説やマンガで異世界なのに都合の良すぎる世界だと文句を言う者がいる。しかし召喚や神様による転移の場合は、生存すら困難な環境に呼び出されたり送られたりする筈が無い。
転生だとしても前世の記憶を持たせたままにするからには、その知識が生かせる環境に生まれ変わらせるだろう。
SFに出てくるような珪素系生物や金属系生物などに転生されるなら、前世の記憶などむしろ邪魔でしかない。普通の精神をしているならば確実におかしくなってしまうだろう。
「神様かあ。いるとしたら眠れる白痴の神アザトースか、遍く時空に存在するヨグソトホートみたいなのしか有り得ないと考えてたんだけどねえ」
「それ邪神じゃないの」
「人と同じような思考を持つ神なんている筈無いからさあ。ましてや人と同じ姿になって好意的に交わるなんてねえ」
「ナイアルラトホテップだけはトリックスターだから有りそうだけどね。可愛い女の子の姿になったりさ。でもゴローって異世界物好きだったんじゃなかったっけ。それってある意味否定してると思うんだけど」
「あれはあれでいいんだよ。娯楽なんだから面白ければ問題ないよねえ」
「まあ言いたい事は分かるよ。余程の研究者でもない限り、蟻の中から一匹だけ選別して特殊能力与えたり、蟻の姿になって交わりたい、なんて思わないものね」
「異世界物なんかの神様は、その余程の研究者なんだろうねえ」
「でも僕達をここに連れてきた存在も同じような物好きだと思うけど」
「そうなんだよねえ」
ゴローが両手を目の前にかざして何度も握ったり開いたりした。ドーリが見張りの時に行ったのと同じ仕草である。
引継ぎの時に聞いたのだ。身体の異常さを。そしてそれは彼等だけだろうと。
さすがにエイティの暴言は伝えられてはいない。
「もしかしたらこの姿の僕等って、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイドインターフェースなのかもねえ。意識や記憶だけ移されたさあ」
目の前の両手を上げて伸びをしながら呟く。憂鬱さは欠片もないようだ。
ユーリも寝転んでいた体勢から起き上がる。
「自律行動できるって事は僕達は委員長タイプかな。記憶移植パターンの小説も教えてくれたよね。僕達はホントは昆虫だったりしたのかな」
「推測とすら言えない単なる妄想でしかないんだけどねえ」
自分の存在に疑問を挟むような、それでいて全く高尚さの無い話をしながら二人は見張りを続けた。
やがて空が白み始める。夜が明けたのだ。
ゴローが寝ている二人を起こしにいく。
エイティとドーリがきちんと装備をしてテントから出てきた。やはり彼等も寝起きは良いようだ。
その後携帯食を取りつつ見張り中に考え付いたことを話し合っていた。
「夢の中で眠って目覚めて、まだ夢の中にいるって無理があるよね。もうここが夢ってことはないと思うよ」
「ここまでお膳立てされてんだ。ここに留まってれば戻れるってのもねえだろ」
「昨日言った通りに今日から動くってことでいいな」
「どっちに向かうのが良いのかねえ。人里探すなら海沿いに行けば、いつかは漁村に辿り着くかもしれないけどさあ」
「あの岸壁登れるの? 相当の高さがあるように見えるけど」
「何者かの意思なら地形的に考えても森の方に行って欲しいんじゃねえか」
「それに海に生物がいなかった。たぶん海沿いでは食料調達は無理なんだろう。ならば植物が生えている森の方が良いだろう。植物以外の生物がいるかを探るためにもな」
「太陽があの方向から昇っているから……北西に向かうことになるかなあ」
四人はテントを分解収納していった。
ゴローはメモに方角やら書き込んでいる。マッピングを始めたのだ。
そして突き立てていた矢を引き抜いた。もうここに目印を残しておく意味はないと考えたのだろう。あるいは未練を断ち切るためかもしれない。