5.発動したと思うんだけど
その言葉に肯いて、エイティは短剣を戻してナイフを受け取った。
そして改めてユーリの方を向いて話し出す。
「すまないが少し離れて後ろを向いててくれないか。合図したら俺に回復をかけて欲しい」
どこに傷があるか分からない状態で、かつ直接目視していない相手に回復を行えるかを確かめるつもりなのだ。ゲームシステム上では可能だったからだろう。
ユーリが肯いて歩き出し、五メートルほど離れた位置で背を向けて立ち止まる。
それを確認したエイティが左手の甲にナイフを滑らせる。
切れ味が良いのかスパッと裂けた傷口から血が溢れ出したが、すぐに止まってしまった。エイティは少し不思議そうにそれを見ていた。
そして右手に持っていたナイフを傷付けた左手に持ち直して握ったり緩めたりしている。その後に軽く左腕を振り回した。
ドーリとゴローは何をしているのか分からない様子でそれを見ている。
少し考えて何かを確認できたのだろう。エイティが左手の甲を二人にも見えるようにしてから「やってくれ」と声を上げた。
ユーリも今回は声を出したほうがいいと思ったのだろう。「ヒール」という言葉が聞こえてきた。
すると三人の見ている前で、すっと傷が塞がっていく。
手の上に溢れた血や地面に落ちていた血すら消えていく。一秒も経たずに左手は傷のない状態に戻っていた。
その様子を三人揃って呆然と見ていた。
しばらくしてエイティは確認するように左手の甲を撫で痕跡がないのを確認した後、ユーリに「戻ってくれ」と声をかけた。
「どうだった? 発動したと思うんだけど。傷跡見せてもらえないかな?」
「血の跡も残って無いってどういうことなんだろうねえ」
「ナイフ振り回してたろ。ありゃ何してたんだ?」
戻ってきたユーリも含めて三人が次々にエイティに説明を求めた。
エイティはユーリに左手の甲を見せながら各々に答えていく。
「回復は問題なく発動した。左手の甲を軽く切り裂いたが痕はまったく残っていない。流れ落ちた血すら消えたのは俺も驚いた。あの行動は傷付いた左手で行動しても問題ないか調べるためだ」
エイティは三人の顔を見て、それでは説明不足だと思ったのか更に続ける。
「切った瞬間は痛みを感じた。だが傷の大きさに対して異常に小さい痛みだ。しかもあっという間に痛みが消えていった。それと共に流れていた血も止まったようだ。その後は左手を握ろうが振り回そうが痛みは感じなかった。ヒットポイントは少々の低下はあったのだろう。それを数値化は出来ないが体感は出来るようだ。回復された時も左手の傷が治ってヒットポイントが回復していくのはなんとなく分かった。だが痛みや他の感覚は無かったな。……できれば皆も体験したほうが良いだろう」
ゲームでのヒットポイントシステムをほぼ継承しているということだろう。
現実だと手の甲を切り裂かれた状態で武具を握り続けるのは難しい。それどころか継続する痛みにより、見た目以上に思考や運動能力は低下するだろう。
だがエイティの言葉通りだとすると傷付けられたことは知覚できる。その感覚が瞬間的な小さな痛みなのだ。
しかし、その痛みは続くことも無く身体能力は何も変わらないということだ。
問題があるとすればステータス表示、いや彼等の場合キャラクターシートの参照が出来ないことで数値化したヒットポイントの減少が分からないことか。これは感覚の慣れで覚えていくしかないのだろう。あくまでこの状況下に居続けるならばだが。
エイティはナイフをゴローに返す。
ゴローは受け取るやいなや左手の革手袋を外して、エイティがやったように左手の甲に刃を滑らせる。思い切りは良いようだ。
そしてユーリに目配せを行った。
ユーリは一瞬驚いたようだが無言で首を縦に振る。
するとゴローの手が元の状態に戻っていく。
「エイティの言った通りみたいだなあ。ユーリも自己回復できるか調べるためにもやった方がいいかもねえ」
言いながらナイフの刃を摘んで柄をユーリのほうに向ける。
ユーリはナイフを受け取ってしばらく刃を見つめる。
少し躊躇った後でゴローと同じように左手の革手袋を外した。手の甲にナイフを軽く当てて引く。
しばらく傷付く状態を体感しながら少し考えているようだった。
今度はナイフを左手に持ち変え右手の革手袋を外す。右手のひらにナイフを軽く突き刺した。また少し感覚を確かめてから小声で「ヒール」と呟く。
すると両手の傷が一度に治っていった。
「感覚はエイティの言う通りだと思う。そしてこの程度だとレベル一程度の回復でも一気に治るみたい」
彼が両手を傷付けたのは、一度の回復で全身に効くかを調べるためだった。
ゲームと異なり現実のように傷の場所ごとに手当てが必要となると彼の負担は増すことになる。それが避けられるかを確認するのは彼にとっては必要なことだったのだろう。
ドーリがユーリに声をかける。
「次は俺だな。ナイフを……エイティに渡してくれ。そしてエイティが俺の手に傷を付けてくれ。自分に傷付けた時と同じくらいの力で頼む」
耐久のステータスによる違いを調べるつもりだろう。
耐久力がパーティーで最高のドーリと最低のエイティだ。ステータスが効いているなら相当の差が出る筈だった。
ドーリは左手の金属手甲とその下に着けていた革手袋を外す。
彼の様な重装甲の装備は大抵二重に着込んでいる。軽い革装備または布服の上に重ねて金属鎧を纏うのだ。
ビキニアーマーのようなマンガやアニメに出てくる、素肌に直接金属が触れるような鎧は実際には有り得ない。叩かれて金属の凹みが出来た時に直接肉体に圧迫を与え続けそうな鎧など着たがる者が居る筈も無い。
ついでに言えばドーリが着けているマントも意味がある。
金属の熱伝導率は布や革、木石と比べても段違いに高い。直射日光を浴び続けると、ものすごく熱くなるのだ。
真夏の車内に残された赤ん坊の事件を聞いたことがあるだろう。
中世の騎士がマントやサーコートを着ているのは伊達ではないのだ。
エイティはナイフを受け取りドーリに目配せする。
ドーリが肯くのを確認して晒された手の甲にナイフを滑らせる。
しかし薄い線が残っているだけであった。
「思いのほか硬いな。俺の手ってこんな風になってるのかよ。こいつはステータスは効いてると見た方がいいな。自分でやってみるわ。ナイフを貸してくれ」
ドーリは血が出るどころかかすり傷すら付いてない自分の手の甲を見ながらエイティにナイフを渡すように言った。
ナイフを受け取った後、切っ先を手の甲に軽く当てて動かす。そして骨と骨の間を探り、一気に突き刺した。
さすがに今の段階で骨折の回復まで試すつもりは無かったのだろう。それでも思い切りが良すぎる。手のひらから切っ先が覗いていた。
ドーリはナイフの刺さったそのままの状態で指の曲げ伸ばしを行っていた。問題なく動いている。
そしてナイフを引き抜く。一瞬血が吹き出るが、すぐに噴出は治まっていく。
再び指の曲げ伸ばしを行った。問題なく動いていた。
そしてユーリに傷付いた手を向けた。
それを見てユーリが「ヒール」と呟く。
あっという間に傷が塞がっていった。手のひらも甲も綺麗になっている。
「一瞬の痛みはそこに傷を受けたって警報みてえなもんか。しっかし手を貫通する傷ですら痛みが持続しねえってのは……」
ドーリは若干呆れたように呟く。
ゲームではそんなものだと言っても、いや、だからこそ実際にシステム通りの事が目の前で行われることに安心よりも呆れが出てくるのだろう。