21.我々の準備は済んでいます
エイティ達は食事を終えるとすぐにテントを片付け始めた。焚き火の始末も済ませていつでも動ける体勢だ。
エルイが声を掛けてきた時に待たせないように用意しているのだ。その辺りは中身が日本人のせいかもしれない。
一方エルイの方は少し頭を抱えていた。
差し入れされたパンを食べている護衛達は、柔らかいだの甘いだのと暢気なことを言っている。
だが、これはそんな単純な話ではないのだ。
どうやってか彼等は粒状の麦を粉にする方法を持っている。確かにすり鉢などを用いて手で粉にする方法はある。だが合わせて十人近い者が食べる量の粉を挽くのにどれほどの時間を要するか。彼等は夜明け前の短時間でなしているのだ。
そして柔らかさ。エルイはパン種を用いずに柔らかいパンを作る方法など知らない。彼等はパン種を持ち歩いているか、全く別の方法を知っているかだ。
なにより甘み。蜂蜜とは全く異なる甘みだ。これも商会長に教えられた物の一つにあった筈だ。南方で栽培されるサトウキビから採れる砂糖だ。
確かに米や香辛料を持っている南方出身の彼等が、砂糖も持っていても不思議ではない。だが砂糖も香辛料と同様に相当高価な物なのだ。
つまり彼等はこの辺りで知られていないパンの作成方法を知っているのだ。
そして良く見ると彼等の荷物の量は異常だ。冒険者と言うのは荷が増えることを嫌う。移動や瞬間の動きが阻害されるのだから。
なのに彼等は各々が背嚢を背負い、更に全員が相当量のずだ袋を担いでいる。全員合わせると三千アイルの重量を越えるだろう。
仮に野営具等が三分の二を占めているとしても、残りは一体何なのだろうか。
想像通りなら馬車に積んでいる全ての商品と引き換えても、彼等の持つ荷物を買い取ることは出来ないのかもしれない。
既に食事を終え、すぐ出発できそうな彼等を見ながらエルイは溜息を吐いた。
しかし溜息を吐き続ける訳にもいかない。食事が終わると出発の準備を護衛達に指示して、エルイは馬を連れに泉のほうに向かって行った。
途中でドーリに声を掛ける。
「あのお二人に感謝の言葉を伝えてください。ところであのパンについて伺いたいのですが」
「お気に召して頂けて何よりです。ただ申し訳ないですが、今はパンに関することはお伝えできません」
ドーリはエルイの言葉に被せ気味に答えた。
どうもエルイは甘味、砂糖より無発酵ライ麦パンケーキに興味があるようだ。
海があるなら塩は採れる。見える山脈から岩塩も産出しているかもしれない。
だが砂糖は無いだろうし、トロナ石もあるかは不明だ。
それが分からない今はパンに関する情報を伝えても意味が無い。それに異世界物では平気で行っているようだが、たかがパンであっても無料で知識を譲り渡す気も無い。
だがエルイは別の受け取り方をしていた。
知識や情報は力である。新しいパンの作り方を知ることでセージ商会は一段と飛躍するだろう。
彼等の持つ少量の香辛料や砂糖を入手することの比ではない。
もしパン種を使わないなら、パンの商業組合に文句を言われることも無い。
砂糖の代用となるものを考えなければならないが、それをクリアできれば。新たなパンの作成販売部署を作るか、傘下商会を新規設立するかもしれない。
どちらでも責任者には新しいパンの情報を齎したエルイが抜擢されるだろう。
エルイは別に立身出世欲が強い訳ではない。しかし彼も商人の端くれとして自分の商会を持ちたいと言う気概はある。それが傘下商会であってもだ。
己の才覚で一つの商会を切り盛りする。それを夢に見ない商人は居ない。
だがそれほどの情報を投げ売りはするまい。対価が必要だ
ドーリは「今は」駄目だと言っている。
信頼関係が築かれ、十分な対価を払える状況になれば教えても良いのだろう。
その対価はたぶん物ではなく情報となるだろう。
この国の歴史や王族貴族の情報は彼等には無意味だろう。お返しにと彼等の国の情報を貰っても仕方ない。
エルイですら聞き覚えが無い国の情報だ。全くの無意味では無いだろうが。
周辺の地理情報は役に立つかもしれない。
だが対価にはなるまい。むしろ逆だろう。
仮にこの辺りの情報を教えたとする。彼等はそのままエルイ達と別れて山脈のある北の方角に進み、その後山脈沿いに西に進む。十日もあれば自力でタスラの街に辿り着く。さらに山脈沿いに十日進めば海辺の街ドッスタだ。
ドッスタならバワより外国の情報が多く手に入るだろう。なにしろ国の玄関口とも言える貿易港があるのだから。
それに魔の森から離れる方向のため危険は減るだろう。
しかも彼等は自分達で狩りを行えるから食べ物にも困るまい。途中にある村で物々交換でも出来ればなおさらだ。
それこそ世界全体、分かっている国々の正確な位置を示す地図の情報くらいしか対価にならないだろう。
だがそのような情報は商会長しか知るまい。一般人には不要な情報どころか国家機密と言える物なのだ。
どうあってもバワに招くしか無いのだろう。
商会長にパンの情報を直接伝えられたとしても、彼等を連れて来たエルイの手柄であるのは間違いない。
それに、とエルイは彼等四人を見ながら考える。
たぶん彼等の持つ知識はパン程度ではないのだろう。この辺りには無い貴重な知識があるのではないか。
それはエルイの勘でしかなかったが、間違っているとも思えないのだった。
「ふむ。そうですね。では馬を馬車に繋いだら出発します。宜しいですね」
「ええ。我々の準備は済んでいます」
ドーリは胸に手を当てるこの辺りの礼を行った。
エルイ自身は彼らに対してその礼を行ってはいない。となると昨日の護衛達の行動から知ったのだろう。その観察眼にエルイは舌を巻く思いだった。
ドーリとしては見せつけるつもりも無く、単なる礼儀として行ったのだが。
しばらくして彼等四人を含めた行商隊は出発した。
地球時間では午前六時くらいだろうか。少し乾燥気味の草原には朝靄もない。
昨夜の野営地の林を除くと四方が見渡す限りの草の海である。
少し肌寒くも感じる。だが空は晴れ渡っており、ところどころに薄い雲が散見されるだけだ。
そんな中を行商隊はゆっくり進んでいく。
馬車には御者台も無いためエルイは馬を牽きながら歩いていく。
護衛達は四方に散らばって各方向を警戒していた。
二刀持ちの男が先行して草を払っている。この道を使うのはエルイだけではない。だが毎日のように誰かが使う道でもない。邪魔になりそうな草は払う必要があるのだ。
言葉の分かるドーリと知恵袋、参謀としてエイティはエルイの側に居る。
ユーリとゴローは完全に離れて自由に行動していた。既にその姿はエルイ達には見えない。数百メートルか、もしかするとキロメートルの単位で離れているのかもしれない。
ドーリはあえて情報を得るような質問をせず、ジパング、日本の地理や天候などを面白おかしく話していた。
火山島で地震が多いこと、南北に長く北方は半年近く雪が降るのに南方では雪を見たことも無い者がいること、井上の設定で伝えても問題ないことなどを。
エルイも分かっているのだろう。
この国の当たり障りの無いことは相槌がてら答えてくれた。
その話からドーリはおおよその情報を掴んでいく。
地球での価値を話すことで金銀銅の交換比率を。
自分達の使う暦からこの世界の暦法を。
武具を見せながらミスリル、アダマンタイト等のファンタジー素材が存在しないことを
井上TRPGシステムの情報から魔物の種類や冒険者達の実力を。




