175.逃げようとしねえな
「ドーソトが近付いているみたいでね。この場で待っていて貰えるかな」
ユーリの軽く告げられた言葉に、王女一行は驚きを隠せないようだ。
相手は二百オークの体長を持つ魔物なのだ。普通ならば、最低でも二個分隊で対処するのだ。
それを四人で対応すると言っている。いや、一人はこちらに報告に来ているので、現状では三人だ。死にに行くようなものだ。
近衛団長は慌てて叫ぶ。
「何を言っている! 逃げるべきだろう」
「ああ、そういう反応になるだろうね。でもたぶんここにいれば大丈夫だから。最悪でも逸らせるくらいは出来ると思うし」
彼等が何を言っているのか分からない。
見たところ荷物やテントはそのままだ。逃げ出すように見えない。
しかもゆっくり歩いていっている。たぶん、その方向にドーソトがいるに違いないのだ。
そして、この四人は勝てるとは言わないのだ。まさか自分達を犠牲にしてでも、王女を護ると言うのだろうか。
彼等四人はたまたま出会っただけの異国人の筈なのにだ。
「き、君はどうするのだ」
「僕も皆に合流するよ。万が一のためにも治癒使いが居る方が良いと思うしね」
軽く告げて、ユーリは王女一行を残して去ろうとする。
それを止めようとした言葉を、近衛団長は飲み込む。彼等に掣肘を加える事など出来る筈が無い。
彼等四人は護衛ではないのだ。それどころか、一緒に旅をする仲間ですらない。コバンザメのように彼等にくっついているに過ぎないのだ。
下手に留めようと考えたら、その時点で見放されるだろう。
ユーリが去っていた後、改めて彼等のテントを見る。
焚き火は点いたままだし、食事も途中で放ったままだ。まるで小用を足すために一時的に離れたようにしか思えない。
すぐに帰ってくる気なのが明白だ。
それでも、やはり逃げたのではないかと気になるのだろう。
近衛団長は隊長に目線を送る。隠れて着いていけと促しているのだ。
それが分かった隊長は、足音を忍ばせてユーリの後を追う。
王女一行自体は、すぐに逃げ出せるようにテントを畳み始めた。火の始末なども行っているようだ。
近衛団長の指示だ。ネポフも逆らうことは出来ないのだろう。
王女と子爵も彼等が逃げたとは思っていない。だが、いざと言う時のことを考えると従うしかないのだ。
ユーリは足を進めながら、後を付いてくる近衛隊長に気付いていた。
たぶん彼等が逃げ出したのではないかと疑っているのだろう。それとも彼等が四人だけで本当にドーソトを倒せるのかと思っているのだろうか。
気持ちは分からなくもない。
邪魔にさえならなければ、見られる事に不都合は無い。
エイティが冷却系の魔術を使っている筈だ。だが全長十メートルもある巨体が相手なのだ。簡単に動きが阻害できるとは思っていない。
ドーソトの体格は人間の五倍以上だ。そんな巨体だと普通に歩いていても、三十秒足らずで合流するだろう。そんな短時間で体温を下げ切ることも出来まい。
多少動きを鈍く出来れば御の字だろう。
少し早足になってユーリは進んでいく。
彼等はテントから五十メートルほど離れた場所に立ち止まっている。相手との対峙前に、他の三人と合流できたようだ。
十数メートル離れた後方に、近衛隊長が伏せている。彼自身は対峙する気がないらしい。もっとも並ばれても邪魔にしかならないだろう。
まだ空は十分に明るくその姿も確認できた。日が沈むまでの間には、四半刻はあるだろう。現代の時間だと三十分弱と言ったところか。
戦闘時間としては余裕があるだろう。
二十メートルほどに近付いたドーソトの巨体を見ながら、合流したユーリが声を掛ける。
「どう。あまり鈍くなってる様子も無いように見えるけど」
「さすがに巨体だな。前に使った氷点下の範囲攻撃を行ったが、内部までは届いてないようだ」
「あの口の大きさだと、一噛みで人体を切断されるんじゃねえか」
「ちょっと無謀だったかもねえ。とにかく貫通と強力、爆砕を乗っけた矢を放ってみるよ」
言うや否やゴローは矢を放つ。
相手の肩に矢が突き刺さる。と同時に、硬い鱗を貫いて内部の肉が爆散する。
ドーソトの方も、前方に居る四人がただの餌でない事に気付いたのだろう。その場で立ち止まっていた。
「うわあ。あれだけスキル込めたのに、あの程度なんだねえ」
「頭狙ったんでしょ。動きが鈍っていながら、あれだけ避けられるって凄いと思うよ」
「獣脚類の恐竜のように見えるが、前足がしっかりあるな。あれだと掴む事も出来るだろうな」
「魔術と矢で追い払えたら、楽なんだがよ」
彼等はその様子を暢気に眺めていた。
冷静に与えた損害を評価している。
その容姿を観察している者もいるようだ。一見ティラノサウルスのようにも見える。だが前足は発達しており、十分な大きさもあるようだ。
体表は鱗に覆われている。現代の学説では羽毛が生えていた事が定説になってきているが、どうやらそのような物は見当たらない。
やはり恐竜とは別の魔物なのだろう。
離れて後ろで伏せている近衛隊長は、その四人に驚きを隠せない。彼等はまるで恐怖を感じていないようだ。
逃げ出さなかった事は確認できた。だがまさか真正面から立ち向かうとも思っていなかった。
周りを囲んで矢などで追い払うのが普通なのだ。倒す? それを目的とするなら二個分隊でも足りないだろう。
ドーソトという名のオオトカゲの体表は、幾らか凍りついているように見える。だが内部まで浸透し切っていないのだろう。
機敏ではないが、まだまだ動く事が出来そうだ。
矢継ぎ早に、エイティとゴローが魔術と矢を放ち続けている。
エイティの魔術は氷系の矢だ。体温を下げることを目的にしているのだろう。
ゴローの矢は全てが貫通と強力と爆砕が組み込まれている。あの鱗を貫いて内部で破裂させるためだろう。
相手を倒すのが目的ではない。彼等四人を恐れて、一晩この辺りに近付かなければそれでいいのだ。
それでもドーソトは逃げようとしない。彼らの方に向かって来ていた。
たぶん昼の狩りが上手くいかなかったのだ。諦めて戻ってきたところに、四体の餌がいたのだ。
見逃す気は無かった。多少は力があるようだが、問題は無いと考えていた。いつもより寒くなるのが早いと考えながら、四人に向かっていった。
ドーソトは連携を取らない魔物なのだ。単体で強力な能力を持っているのだ。
己より強い相手がいるとは思えない。それを考える知能も持っていないのだ。
「逃げようとしねえな。ユーリ頼むわ」
「速度強化と防御強化だね。あまり意味はないと思うけど、攻撃強化と命中強化もしておくよ」
「命中強化は僕も欲しいかなあ。頭に当てられれば怯むだろうしねえ」
「俺の方は魔術の強化を頼む。さすがにあの巨体だと、身体の内部まで刺さってくれないようなのでな」
ユーリはバフ系の魔術を他の者達に掛け始める。
相手の注意を引く必要のあるドーリには、回避と防御の強化を。ゴローには命中の強化を。そしてエイティには魔術攻撃の強化を行っている。
バフ魔術とは、一時的な各種能力の増強を図る魔術を指す。
彼等の行っていたTRPGでは、ステータスを上げる効果を持っていたのだ。
攻撃が命中しやすくなる。もしくは攻撃を避けやすくするなどの効果がある。
一時的にそのステータスのアップが見込めるのだ。もっとも現在のステータスが見れない状況では、どれだけの効果があるのかは分からないのだが。




