162.それで良いんじゃねえの
「と言う事で、彼女を借りるぞ。道案内が必要だからな」
「……分かった」
「あんた等は離れていても構わんが、王女はネポフの傍に居た方が良いだろう。あんた等に言い難い事も、ネポフには言えるだろうしな」
「それは……」
「本気で心を入れ替えるなら、俺達の傍に居ても構わん。だがあんた等に出来るのか。冒険者風情の下に立つ事が。生き残る為と分かっていても」
どうしても彼等四人の頭には残っているのだ。最初の隊長が取った態度、食事を供与した時の態度が。
離れた場所で陰口を聞こうが、馬鹿にしようが構わない。だが傍にいて護られながら、そんな態度を取ったら確実に潰すだろう。
そんな者はこの先には必要が無い。それが子爵位を持っていようと、貴族の係累だろうと。例え王女だったとしてもだ。
率先して食事の礼を述べていたイェハウに、その心配は無用だろうが。
「……分かった」
近衛団長は同じ言葉を繰り返した。そしてネポフを残して王女達の元に戻る。
彼自身は既に半ば心が折れている。事前計画が無駄だった事、無視していたネポフ兵長の方が役立っている事、そして冒険者如きに上からの物言いをされても言い返す事が出来ない事に。
他の二人にも、きっちり言い聞かせないといけないだろう。今まで以上にだ。既に食事の供与は期待出来ない。馬鹿な事を言えば今度こそ潰されるだろう。
「ネポフさん、崖ってどれくらいの高さだと思う?」
「この時期だと水面から四十オークくらいでしょうね」
ユーリがネポフにその場所の状態を問い掛ける。
さすがに渓谷と言うような状態では無いらしい。
エイティは、ネポフに聞いた状況を考えている。
川幅が千オーク、五十メートルほどの場所があるのなら、自分の魔術でどうにか出来る筈だ。最初の回で確認の為に使った、直系五十メートルの氷の板だ。
五十メートルの川幅ならば、一分も掛からずに渡り切れるだろう。長時間の維持が不要なのだ。
自分のスキルポイントを使い切る覚悟であれば、両岸にぎっちり喰い込ませる形で橋もどきを掛ける事も出来るだろう。
他の三人も会話はエイティに任せていたが、行われた話を聞いていたのだ。
エイティの考えている方法も見当は付いていた。
そして彼等四人は相談を始めた。
「高さ二メートルってところかなあ。水を持ち上げて凍らせる事になるよねえ」
「現場を見ないとなんとも言えんが、たぶん大丈夫だろう」
「SP足りねえって事になんねえか」
「最初のメギョアの時の事を考慮すると足りると思うがな。最悪の場合でも、王女達だけ向こう岸に送る手はあるさ」
「そりゃ一体どうする気だよ」
「暴風を起こして飛ばす事も出来るだろう」
「それ確実に生命の危険があると思うんだけど」
「どうせこのままだと終わりだからな。五体満足でなくても、生命さえあれば良いだろう」
「なんか前回の辺境伯令嬢のノアルマと扱いが違いすぎないかなあ」
「あの時はジョン・ドゥが前例作ってくれてたし、伯爵や他の者達も僕達を認めてくれてたと思うしね」
「イェハウとネポフだけ護る事が出来れば、それで良いんじゃねえの」
「男連中はクッション代わりかあ。冷酷だねえ」
さすがにこれらの話を聞かせる気は無いのだろう。日本語での相談だった。
イェハウ王女が彼等四人の元にやって来た。他の男達三人も傍に近寄って来ている。さすがに話し掛けるつもりは無いようだ。
迂闊な事を言えない事が分かっているのだろう。
結局は一刻近くの休憩になっていた。
早めにネポフの案内に従って、この先を進むべきだろう。
どうやら森の出口付近まで来てしまうと、ネポフも適当な行路が分からないようだ。仕方が無いだろう。この辺りでわざわざ道を外れる意味など無いのだから。
やむを得ずエイティはイェハウ王女とネポフに尋ねる。
「君達は囮を兼ねているのだったな。ならば目立つように動く方が良いのか」
「そうですね。無理に目立つよりも、その可能性があると言った感じの方が良いと思います」
「でしたら索敵範囲ぎりぎりで、姿を見せる方が良いのではないかしら」
「なるほどな。その方が送られる人員も少ないだろう。一個分隊程度ならば、こちらは傷一つ負わずに撃退も可能だろうしな。この辺りだと、せいぜい一個小隊が派遣されている程度の筈だ。一個分隊刻みで来てくれるなら、最終的には殲滅も出来るだろう」
「え!?」
イェハウの言葉に、ネポフがその場合の対応案を述べる。
エイティはその案を採用するようだ。一個分隊、十人程度なら問題がないと断言しながら。最終的には一個小隊を全滅させるつもりで。
さすがにその大言壮語に王女の方は驚きの声を上げる。
ネポフの方は、さもありなんと言った風情だ。ランク六の冒険者ならば、倍くらいの人数なら楽勝だろう。
それに彼等四人の昨日の対処を見れば分かる。対人戦の経験が豊富な事が。それこそ三桁を越える人間を屠ってきたかもしれない事が。
相手が人間だとしても、遠慮も躊躇も全く無い。確実に止めを刺すのだ。自分達に刃を向けた以上は、その者達に対する気遣いをすることが無いのだろう。
自分達が助けた筈の近衛隊長ですら、平気で腕や脚を潰したのだ。
他の王女一行の男達三人は、その会話に各々が違う反応を見せていた。
近衛団長は完全に心が折れているようだ。口を差し挟む事も無く、黙って話を聞いている。たぶん彼等と彼女の判断の方が正しいのだ。
隊長の若者は少し憤っているようだ。自分達近衛兵を完全に無視して話が進んでいる事に。
ここまで王女を守ってきたという自負があるのだろう。実際は守れてなどいなかったのだが。逆に危険に晒していた事にも気付いていないのかもしれない。
子爵の男性はその様子を面白げに眺めていた。
彼は既に四十代半ばの年齢だった。そして王妃の兄でもあった。己の妹が王家に嫁ぐ時に一緒に付いて行ったのだ。
彼は一行が向かおうとしている、トセスノ侯爵の弟に当たる。父親が複数持っていた爵位の一つを与えられていた。
彼自身は端から侯爵家を継ぐ気など無かったし、王都でそれなりの生活を過ごせれば満足であった。近い身分の妻を娶り、息子や娘にも恵まれた。既に全員が成人しているが孫はまだいないために、甥や姪である王子や王女を可愛がるのが楽しみでもあった。
もちろん子爵程度がそうそう会える訳ではない。だが王妃の兄と言う立場である以上、会う機会は他の者よりも多い。
文官としての仕事をこなしつつ、王家を守る一員として過ごしてきた。第一王子の立太子か、イェハウ王女の婚姻を機会に隠居するつもりですらいたのだ。
その頃には息子達も職責を引き継げるだけの経験は積んでいる筈だ。彼等は王子や王女の従兄弟にあたるのだ。自分の代わりに王家に尽くしてくれるだろう。
そう考えていたのだが、完全に狂ってしまった。
王都での反乱だ。首謀者や詳細は分からない。だが民衆によるものではない。
貴族、それも複数の結託により行われたのだ。軍の中にも賛同者がいたのだろう。一夜にして王族が逃げ出さなければならない状態にまで追い込まれている。
迷う事も無く、囮部隊でもある王女一行に従う事に決めていた。
息子や娘は別の王族に従って行動している。自分よりも安全な旅路の筈だ。
この一行が最も危険なのだ。真っ直ぐに隣領に向かう。追っ手が掛かるとしたら間違いなくこの一団に対してだ。
そしてイェハウ王女はその髪を落として、王子の振りをするとまで言い出したのだ。完全に死を覚悟した行動だ。
神童とまで言われていたイェハウ王女の決死の覚悟に、自分が付き合わないでどうするのだ。元々五年以内には隠居して、息子に爵位を譲る予定だったのだ。それが少し早まるだけの事だ。
近衛団長も同じ気持ちであったのだろう。




