16.中学校の地理の授業も無駄じゃなかったと思えるね
胸を撫で下ろす気分で商人の男は答える
「構いませんよ。穀物ですと小麦、ライ麦、大麦、そしてレンズ豆がありますね。どうなさいます」
「ではその四種を二ルプ半ずつ譲って頂けますか」
「袋などはお持ちですか」
「ええ。これで足りるでしょうか」
「これなら間に合いそうですね」
もちろん各々の名前は異なっている。麦と発音していないし、バーレー、ウィートなどと言ってもいない。それでも何を指すのかはドーリには理解できた。
どうやら植物も地球と同じようだ。もちろん品種改良はされていないだろうし、どちらかの世界にしかない物もあるのだろう。だが走るダイコンや絶叫を上げるニンジンのようなファンタジー植物は無さそうだ。
ドーリはそれぞれの価値を知るために、全てを同額で購入することを伝える。
そして布袋を六つ渡す。先の食事中に各自が分け持っていた携帯食や塩や香辛料を一纏めにして、袋を余らせていた。
ウサギ肉を貨幣に換えてそれで何かを購入する。そして幾ばくかの貨幣は手元に残す。その手順は事前に決めていたのだろう。
商人の男は布袋を持って馬車のほうに向かっていった。
ドーリは彼が戻ってくるまで護衛達の様子を眺めていた。
彼等は焚き火を囲み座っている。焚き火には鍋がかけられており沸騰しているようだ。ただし湯だけの状態である。
傍らにはフライパンのように底面が平面状になった調理器具がある。ドーリ達からウサギ肉を譲って貰う可能性を考慮して調理を始めていないのだろう。
彼等もドーリを見ているようだが声を掛けて来ることは無い。たぶん余計なことを喋らないようにと商人の男に言われているのだ。
ドーリも商人の男ならともかく護衛達に自分達の情報を明かすつもりは無い。
お互いにぼんやり見詰め合っているだけであった。
最初に偵察に来た男だけが軽く手を振った。二言三言でも会話を交わし敵意が無いことが分かっているからだろうか。新鮮な肉を譲ってくれた礼のつもりもあるのかもしれない。
現代の地球ですら銃や罠を用いて、一日中車で駆け回っても獲物が狩れないことがある。行商の移動中に狩りをする時間を割くことなど出来る筈が無いのだ。
しばらくして商人の男が戻ってきた。穀物の入った布袋を五つと空の布袋を一つ持って。
「小麦が三十五アイル、ライ麦が六十アイル、大麦が百八十アイル、レンズ豆が六十アイルですが宜しいですか」
ドーリはそれぞれを一つずつ受け取っていった。
小麦は一キロを少し越えた位だろうか。ライ麦は二キロくらいだろう。大麦は二袋で計六キロはありそうだ。そしてレンズ豆はライ麦と同じくらいの重さだ。
どうやらアイルという単位は重さの単位を示している。合や升のように体積で計っているのではないらしい。
それらの価値は大麦を一とするとライ麦とレンズ豆が三、小麦が五のようだ。
さすがにそれが妥当なのかは分からない。ユーリやゴローなら知っているかもしれないが。確認する必要がありそうだ。
そして全て合わせると十一キロを越える。それが三百三十五アイルならば、一キロが三十アイルくらいに相当するのだろう。
ドーリはその辺りのことを頭の中で計算しながら、各袋を覗き込む。
各袋に手を突っ込んで底のほうから掬い取り、混ぜ物が混入されてないことを確認していく。
ちらりと商人の方を見るが気を悪くした様子は無い。この世界では当然の行いなのだろう。
全て脱穀と籾摺りまで終えた粒状である。粉状に粉砕はしていないようだ。
ドーリ達が旅人ということですぐ使える状態の物を用意したのだろう。
商人の男が気を使ったのか、少しでも値が張る物にしたのかは分からないが。
ざっと確認を終えてドーリは礼を言った。
「ええ、ありがとうございます。ではこれで失礼します」
「食事を終えたら先にお伝えしたように、改めてご挨拶に伺いますよ」
商人の男はドーリに一礼して、焚き火を囲む護衛達のほうに向かっていく。
ドーリは背後の「おおっ」という歓喜の声を聞きながら、エイティ達の元へ戻っていった。
エイティ達にドーリから実の詰まった布袋を渡していく。
ゴローが布袋を覗きながら呟いた。
「普通に麦だねえ」
「まさかパンの成る木があるとでも思ってたの?」
「森の時点で分かってただろう。葉は三角や四角でなく楕円というか葉状だった。勿論違う形状の葉、紅葉状や針状の物もあったが。葉色も緑で葉緑素が満載と言う感じだったし。それにお前は雌ウサギの解体をしただろう。大きさはアレだが中身は変わらなかっただろう」
「異世界なのは間違いねえが、俺等が居た地球とそんなに変わらない世界か。ニヤニヤ笑いで消える猫やカードの兵隊が居るような世界じゃねえってこったな」
「……え?」
この世界の動植物は元の世界と変わらないようだ。
植物は光合成を行うし、動物にも魔力器官のような物は無い。人は麦などを栽培してパンに加工して食するのだろう。
そもそも果実は種を遠方に運んでもらう為に進化したのだ。種無し果実は人為的に作成した物だ。パンの成る木など無意味にも程がある。
ただドーリの異世界感には皆少し疑問を感じたようである。確かにあの世界も剣と魔法の世界と言えなくもない。
ドーリの渾身の冗談なのだろう。たぶん。きっと。真顔のように見えたのも目の錯覚だ。
彼等の優しさなのだろう。「TRPGやるような奴がなんでその発想なんだよ」と突っ込まなかったのは。
そしてエイティ達はドーリから交渉の状況を聞きだしていた。
ドーリは商人の男との会話内容、貨幣価値や単位などに関する考察を伝える。
「さすがに中世での穀類の価値基準はわからないねえ。けど粉にする前の小麦やライ麦がこの額だとパンって相当高級品だなあ」
「トウモロコシはないんだね。カラス麦燕麦がないのは不思議に思うけど」
「小麦ですら高級品なら米はまず確実に手に入りそうにねえな」
「一般人は大麦が主食と見て良いな。冷涼で降水量も多くない地域。昼夜の寒暖差が激しくないから大陸性気候ではない。西岸海洋性気候の北方ってことになるのか。となると欧州の北緯五十度、いやもっと北の辺りという感じか」
「中学校の地理の授業も無駄じゃなかったと思えるね」
「北緯五十度ちょいならロンドン、ベルリン辺りか。六十度ならスカンジナビア、オスロやストックホルム辺りじゃねえかな」
「札幌とマルセイユ、東京とカサブランカ、鹿児島とエルサレムが確か同じくらいの緯度だっけ。北海道から九州までって南欧から北アフリカ、地中海に収まる緯度なんだよねえ。日本の感覚だと欧州の気候おかしく感じちゃうんだよねえ」
彼等はドーリの報告から、この辺りの環境などを推察していた。
欧州の都市の緯度を知っているのはウォーシミュレーションゲームも嗜むアナログゲーマーの為だ。ヨーロッパ戦線を扱う物が多いために。学校の授業ではなくゲームで得た知識であろう。
そしてヨーロッパが暖かいのはメキシコ湾流のおかげだ。ドーリが挙げたロンドンやベルリンは北海道より北にあるが真冬でも零度以下になることが殆ど無い。
周りを海に囲まれた島国で夏は高温多湿、更に幾つもの台風の通り道となる国。冬は本来乾いた寒気団が海を渡る時に湿気を奪う影響で世界最大積雪記録を持つ国。そんな国に住む者にとっては羨ましい限りである。
ただそのおかげで水が豊富で四季がはっきりしている。他の国にも四季があるのは間違いない。だがここまで季節の違いが極端なのはその島国くらいだろう。




