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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

チープタウン物語

ダンジョン屋台

作者: S.U.Y

 ここは迷宮都市、チープ・タウン。巨大なダンジョンの周囲に作られた、一獲千金を夢見る冒険者の町。

 町の中心部にある地下迷宮には、今日も冒険者たちが列をなしていた。迷宮に挑み、これを踏破することが出来れば巨万の富が得られる。そうでなくても、迷宮からは高価なマジックアイテムや貴重な薬草などが発掘できることもある。己の命を入場料に、冒険者たちは危険な罠と獰猛な魔物が徘徊する迷宮へと足を踏み入れてゆくのだ。

 チープ・タウンの迷宮は、他の迷宮と同じく階層によって区切られていた。地下に降りる階段から、第一階層には岩肌の洞窟が存在する。地下十階を過ぎれば次の階層、湿地帯へとたどり着く。そういった具合に、十階ごとに階層が変わり、風景も変わってゆくのだ。


地下三十二階は、石積みの壁を持つ墓場であった。砂埃の舞う床には、時折危険な罠のスイッチが見受けられる。踏めば最後、サソリの詰まった落とし穴や針のついた天井に勢いよく打ち上げられるなどして、まず助からない。そんな階層だった。

 その三十二階の長い廊下を、一人の男が歩いていた。剣を佩いたその姿は戦士風であり、松明を持った男は焦燥した様子を見せながらもながらも、慎重に廊下を歩く。

 男の名は、クラードという。今チープ・タウンで売り出し中の冒険者パーティ、フラッシュナイツのリーダーであった。男三人女三人の、魔術師と戦士の混成パーティであった彼らは、地下三十五階で全滅寸前の危機に晒された。襲い来るアンデッドの大群から、這う這うの体で逃げ延びて来れたのは、クラードただ一人であった。

 銅貨一枚で死地に赴く、安い(チープな)命の稼業である。命を失う覚悟は、互いに出来ていた。いや、そうあるべきだ、とうそぶいていたのだ。いざ、死の恐怖を目の前にして、クラードは我先に逃げ出してしまった。苦楽を共にした、仲間を置いて。

「レイナ……すまねえ……」

 痛む足を引き摺りながら、クラードは女の名を呟く。魔術師で、クラードの幼馴染の女だった。脱兎のごとく逃げ出したクラードが振り返ったとき、彼女の瞳にはただ驚愕の色が浮かんでいた。それが、脳裏に焼き付いて離れない。

「カルダン、シャルル、ミーコ、フィール……みんな、すまねえ……」

 アンデッドの大群に、飲まれていった仲間たちの名を並べてゆく。鞘に納めた剣を、杖がわりにして前に進むクラードの足取りは、次第に重たくなっていた。

「仇は、必ず取る。だから……許してくれよ……」

 全身にできた傷が、熱を持っていた。身体は重怠く、呼吸も乱れている。視界も時折歪み、危険な罠を見落としそうになる。襲い来る悪寒は、見捨てた仲間たちからの呪詛のようにクラードには思えた。だから、クラードは許しを乞い、重い足を引き摺って歩く。そして、その歩みも、やがて止まった。

 前のめりに倒れたクラードの手から、剣と松明が落ちて転がる。拾わなくては、と思いつつ、クラードの指は動かない。これで、終わりか。諦念と後悔が、弱ったクラードの心に訪れていた。

「……腹、減ったな」

 か細い声で、クラードは言った。三日間、飲まず食わずで逃げて来た。仲間を見捨てた罪悪感よりも、空腹が勝る。弱り果ててみれば、そんなものなのかも知れない。自分で自分に呆れつつ、捨て鉢な気持ちになってクラードは眼を閉じた。

 人間も魔物も、死ねば皆ダンジョンに飲まれる。そうして、ダンジョンは糧を得ているのだ、と研究家の偉いセンセイは言っていた。ならば、飲まれた先で、謝る機会は訪れるのだろうか。ぼんやりと、クラードがそんなことを考えていたそのとき……


 カラン、カラン


 音が、聞こえた。木のこすれ合うような、乾いた音だ。

「お迎え、ってやつかな……」

 呟くクラードには、しかし音の方へ首を向ける力も、残ってはいない。次第に近づいてくるその音は、やがてクラードのすぐ側までやってきて、止まった。

 鼻先に、何か香ばしいような匂いが触れた。びくり、とクラードの身体がひとつ、震えた。

「食い物の、匂い……!」

 弛緩し切った全身の、どこにそんな力が残っていたのか。自身にも解らぬことであったが、クラードは両手を床について跳ね起きた。そして、素早く振り向いた。食い物の、匂いのする方へ。

 そこにあったのは、屋根のついた荷車である。屋根から垂れ下がっているのは、紺色をした切れ目のある布だ。その奥から、香ばしい匂いが漂ってくる。たまらず、クラードは布を割って中へ入った。

「いらっしゃい。珍しいね、人間のお客さんなんて」

 荷車の縁は、カウンターのようになっていた。その奥にいた初老の男が、クラードの姿に声を上げる。

「く、食い物を……」

 持っていれば、分けてほしい。そう言おうとして、カウンターに手をかけたクラードの前にゴトリとどんぶり鉢が置かれた。

「あいよ」

 しわがれた声で、男が言う。湯気を立てる鉢からは、旨そうな匂いがした。男が、何者なのか。どうしてこんな場所を、食い物を持って移動しているのか。そんな疑問は、鼻孔をくすぐる感覚の前に全て消えた。

「はぐ、あちっ、あちち!」

 出されたものに手を伸ばし、中にあるものを手づかみで口に放り込む。口の中で、熱いものがどろりと咽喉へ流れ込んだ。

「……ゆっくり食べな。別に、逃げたりゃしないから」

 呆れたような、男の声。同時に、ダンジョンの床がせり上がり、丸い椅子のような形になる。何故、と思う暇も無く、クラードは鉢の中へ手を伸ばし、夢中で口へ入れた。こくのある、塩気の効いたこりこりとした味わいを、クラードはひたすらにむさぼり食った。空っぽの胃の中に、それはよく沁み渡っていった。

「これも、どうだい」

 カウンターの上に、皿に盛られた焼いた肉の塊が置かれた。肉の両端を持って、真ん中へかぶりついてみる。こんがりと焼かれた肉には臭みは無く、塩とちょっとした苦味のあるスパイスでしっかりと味付けをされていた。噛めば噛むほど、じゅわりと口の中に脂が拡がってゆく。

「うめえ!」

「そうかい。たんと、食べな。おかわりも、あるから」

 クラードの賛辞に男は笑みを浮かべ、液体の入ったタンブラーを皿の脇に置く。水だ、と頭で理解した瞬間に、クラードはタンブラーを手に取り中身を咽喉へ流し込む。苦い味が、口の中を支配する。だが、飲み下してみればその苦味は、爽やかさに変わった。

 一通り飲み食いして、人心地ついたクラードはカウンターを改めて見回した。筒が置かれていて、中にはナイフとフォークが何組か備えられている。汁気と脂にまみれた己の手を見下ろして、クラードは苦笑した。

「食器、あったんだな、おやっさん」

「手づかみで食い始めたのは、あんただよ。よっぽど、腹が減っていたんだねえ。ほら、これで手を拭きな」

 可笑しそうにしながら、男が布を差し出してくる。受け取って、クラードは手を拭いた。

「それ、全部飲んぢまいな。身体にいいから」

 男が指さすのは、最初に出て来たどんぶり鉢である。赤黒い液体が、半分くらい残っていた。クラードは鉢を手にして、端に口を当てて傾ける。酸っぱくて苦いが、飲めないほどではない。少しずつ、それを口に入れた。

「お客さん、今更言うのもなんだが、ここではその物騒なの、決して抜かないでおくれよ。そういう決まりだからさ」

 スープを飲むクラードの腰の辺りを指して、男が言った。

「おやっさん、ここはダンジョンだ。そういうわけにも」

「どこだろうと、飯食うところでやっとう振り回されちゃ、かなわないよ。そういう決まりなんだ。いいね?」

 男には奇妙な迫力があり、クラードとしてはうなずくしかなかった。それに、この辺りの魔物は、クラードの手には余る。立ち向かうよりも、逃げた方がいいかも知れない。ちらりと思ったそのとき、クラードの背後で布が割れた。

「おやっさん……飯」

 ガシャリ、と音立てて、フルプレートの鎧姿が入ってくる。クラードから椅子ひとつぶん空けて、黒い全身鎧は腰を下ろした。ちら、と横目でその姿を見たクラードは、全身を硬直させる。

「おや、人間か」

 カウンターに肘をついて、寛いだ様子を見せる全身鎧がぽつりと言った。

「シ、影戦士(シャドウウォーリア)!? どうして、こんなとこに……!」

 さっと立ち上がり、クラードは後退る。目の前にいる全身鎧は、人間では無い。魔物、それも地下五十階層の奥にある、ボス部屋の支配者である。かつてそこまでたどり着いた高ランクのパーティが、散々に打ち負かされて逃げ帰ったという。その情報を、クラードは知っていた。

「飯、食いに来たに決まってるだろう。剣を抜く気か? やめとけ。ここでやんちゃする気は無え」

 カタカタと震え、腰の剣に手をかけようとするクラードに全身鎧は言った。

「お客さん、決まりだって、言っただろう……ほら、あんたも、面白がって殺気をぶつけるんじゃねえ。飯だ」

 あきれ顔で、男が全身鎧の前にどんぶりを置いた。赤黒い、どろりとしたものがかかったそれは、ほかほかと湯気を上げている。

「だっ、でっ……」

「だっても、でもも無いよ。争うんなら、外でやってくれ。ここは、飯食うところなんだからさ」

 咎めるように言う男をよそに、全身鎧は置かれたどんぶりとフォークを手にし、顔の部分へ流し込んでゆく。

「沁みるぜ……」

 実に旨そうに、全身鎧はどんぶりを食ってゆく。呆然と、クラードはそれを見つめていた。全身鎧はクラードの視線など意に介さず、ゆっくりと食事を終えてタンブラーの苦い水をひとすすりした。

「そういや、おやっさん。さっき、ちょいと下の階層で、やんちゃしてた奴らがいてさ。食い残しの中に、こんなのがあったんだ」

 言いながら、全身鎧が金色の腕輪を取り出し、カウンターに置いた。何気なく見つめていたクラードの眼が、大きく見開かれる。

「そっ、それ、レイナの……!」

 腕輪に思わず飛びついたクラードの目の前で、全身鎧がひょいと腕輪を持ち上げる。

「いきなり、何だあんたは。これは、俺が拾ったもんだぜ。何か魔法のかかった、高価そうな腕輪だが」

「防御力と敏捷、あと魔法防御を高める付与魔法がかけられているんです! 俺が、この間、レイナに贈った……レイナ、うあああ!」

 届かない位置まで持ち上げられた腕輪を前に、クラードは号泣する。腹がくちくなり、そして遺品を見た瞬間、思い出してしまったのだ。可憐で、華奢なレイナの姿が、頭の中に次々と浮かんでくる。笑って、泣いて、抱き合って、そして、絶望と非難の暇さえなく、驚きのまま飲まれていった、美しい顔。何で、どうして、彼女があんなことになったのに。俺は、飯を食って、旨かったと、生きている。生きてしまって、いる……

「なあ、落ち着けよ」

 ぽん、と泣きじゃくるクラードの背を、全身鎧が軽く叩いた。クラードが我に返ってみれば、全身鎧が腕輪を差し出していた。

「仲間の、持ち物だったんだな。悪いこと、しちまった。詫びに、一杯奢らせてくれ」

「あ、え、でも、あ、あんたは、魔物で、お、俺は、ダンジョンに来た、にっ、人間、で」

 えづきながら、戸惑うクラードの前にタンブラーが置かれた。澄んだ琥珀色をした、液体が見えた。

「ここは、飯を食うところです。でも、ちょっとした酒くらいなら、置いてますがね」

「さっすがおやっさんだ。よし、とりあえず飲め。そんで、辛い事全部、吐き出しちまえよ」

 促されるままに、クラードはタンブラーの中身を口にした。咽喉に、焼けるようなアルコールが降りてゆく。むせかえりそうになりながらも、クラードはそれを飲み干した。

「……旨い」

 胃の腑に落ちた酒が、咽喉に香りを返してくる。芳醇で、微かに甘みを感じるそれは、クラードの飲んだことの無い、上質な酒だった。

「いけるクチだな、あんた。さ、どんどんやってくれ。おやっさん、こっちにも、酒」

「あいよ」

 出される酒を口に、絶望の体験を肴に、クラードは全身鎧と酒を酌み交わした。強い酒だった。クラードは酔い潰れ、次第に意識を失ってゆく。

『生きろ。そんでもって、俺の所まで来い。最近、退屈で仕方無えんだよ』

 全身鎧の、そんな言葉を聞いた。それが、クラードの最期の記憶だった。


 チープ・タウンの迷宮の入口で、クラードは痛む頭を押さえて呆然と立ち尽くしていた。動かないクラードを押しのけるように、舌打ちをしながら冒険者のパーティが迷宮へと足を踏み入れてゆく。これから、どうするべきか。自問して、クラードは足を動かした。まずは医者に行って、二日酔いの薬を貰おう。そうして、また迷宮へ潜る。強くなって、いつか、五十階層にいる、あの全身鎧に会いに行く。

 左腕に着けた、魔法の腕輪をひと撫でしてクラードはチープ・タウンの町並みを歩き始めた。

『また、来ておくれよ』

 ふっと、風に乗って男の声が聞こえた気がした。カラン、カランと冒険者目当ての屋台の看板が揺れ、乾いた音を立てている。ふう、と酒臭い息を吐いて、クラードは町の中へと姿を消した。

 ここは迷宮都市、チープ・タウン。栄光と一獲千金を求める冒険者たちの集う町。一人のくたびれた冒険者の姿は、すぐに溶けて、消えてゆく。辻風が、木の葉を舞い上げた。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

お楽しみいただけましたら、幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ダンジョンと屋台がアンバランスでシュールですね。 後半コメディかと思いきや、全くそのようなことはなく、無慈悲でしたね。 それでもまた挑戦するのですか。すごい世界ですね。 [気になる点] ダ…
2018/01/18 12:47 退会済み
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