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5.現在への帰還

 おれはこの瞬間がいつまでも続いてくれればいいのにと思った。しかし、美月はおれの胸を軽く押し戻した。

「ごめんなさい、これ以上はいけないわ。わたし、あなたのことは一生忘れない。人生でたった一度限りの恋だったから……」

美月の目からは涙がこぼれた。

「ああ、おれも美月のこと、一生忘れないよ。絶対に忘れない……」

そのとき、おれの耳に占部夫人の穏やかな声が聞こえた。


―― そろそろ現在に帰る時間です。よろしいですか。


おれはそっとうなずいた。やがて目の前に色とりどりの光の点滅が見え始め、全身が不思議な感覚に包まれていく。

 気がつくと、おれはタイムマシンのカプセルの中にいた。ゴーグルとヘッドホンを外すと、占部夫人の静かにほほえむ顔が見えた。

「いかがでしたか。やり残したことは済ませられましたか」

「はい。ありがとうございます。これでもう、何も思い残すことはありません」


おれはカプセルから出ると、もとのヨガ瞑想教室へ案内された。そこには占部氏が待っていた。

「どうです、私の言ったとおり、過去に戻ることができたでしょう」

「はい、まさか本当にタイムマシンがあるとは思いませんでした」

おれは実際に過去を再体験してきたのだから、疑う余地はなかった。そこで占部夫人が言葉を挟んだ。

「あれは本当はタイムマシンではなくて、ただの瞑想誘導装置なんですよ。あなたはご自分の記憶の中にある過去に戻ったのです」

「えっ。それじゃあ、あれはただの夢か幻想だったんですか?」

おれはショックを受けた。だが夫人はやさしく言った。

「いいえ、あなたが現実だと思うものが、あなたにとっては現実であり、真実なのですよ。あなたはさっき瞑想の中で、過去に戻っておこなったことを現実の出来事として体験したのではありませんか?」

 確かにそうだ。美月のくちびるの感触は、いまでもありありと残っている。あれはおれにとって現実以外の何ものでもない。真実なんだ。

「ええ、おっしゃるとおりです。あれは確かに、おれにとっては現実です」


 それからおれは礼を言って、占部氏に相談料とタイムトラベル体験料とあわせて六千円を差し出した。占部氏は遠慮したが、おれがぜひにと言うと、受け取ってくれた。

「それでは相談料もいただきましたので、一つだけアドバイスを差し上げましょう。あなたは会社勤めには向いていません。ネットか何かを使うような小さい事業を始めなさい。奥さんになる人といっしょにやるのもいいですよ」

「ありがとうございます。でもおれはもう、だれとも結婚するつもりはありません」

おれがそう答えると、占部氏はにやりと笑った。

「さあ、どうですかね。私は人の記憶にアクセスすることができるのですが、すべての人の記憶は奥の奥のところでみんなつながっているのです。それが共通の現実をも創り出しているのですよ。だから希望を持ちなさい。いちど原点に戻って、これからのことを考えてはいかがですか。あなたの幸運を祈っていますよ」

おれは涙ぐみ、占部夫妻に何度も礼を言って、ヨガ瞑想教室をあとにした。


 おれは美月との思い出を胸に抱いて、なんとかがんばって生きていこうという気になった。おれは人付き合いが悪く、たいして金を使うこともなかったので、安月給ではあったが数ヶ月ほど生活できる程度の蓄えはある。とりあえず会社に退職願を出すことにした。

 だが、それからどうしよう。占部氏は原点に戻れとアドバイスしてくれた。おれの原点は、美月と知り合った高校だ。あそこへ戻ってみよう。それに、美月がいま幸せに暮らしているかどうかも知りたいと思った。だれかから美月のうわさを聞くことはできるかもしれない。

 おれは久しぶりに故郷の町へ帰ってみることにした。

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