リア充にご飯をあげたらリア獣になるという現象
「ほらほら、エサができましたよ~。たくさん食べて、たくさん子供を作ってね~」
俺は戦場のような忙しさの中、自分の鬱憤を晴らすように、こんなことを口走ってみた。
「先輩…それは酷いんじゃないすか?」
「じゃあ溝口、お前が俺の鬱憤を晴らす相手をしてくれるか?」
「それは勘弁してほしいっす…」
後輩の溝口がふざけたことをぬかすので、無茶ぶりしてみたら速攻で断ってきた。
でも、言った俺が言うのも何だが、お前だけは勘弁してほしい。
ここは都内でも有数の、夜景がとても綺麗なホテル。
そして俺がいるのはレストランの厨房、さらに今日は12月24日、現在時刻は20時を回ったところで、ディナータイムの真っ最中だ。
「桜さん! 3番テーブルのお客様、そろそろメインお願いします!」
「へ~い、りょ~か~い」
フロアスタッフからの進行確認に、気の抜けた返事を返す俺。
俺は桜美雪、30超えの独身男だ。
このレストランでシェフをやっているが、最近、料理長がぎっくり腰で長期離脱したので、今は料理長をさせられている。
「気合入れろよ? ミユキちゃん?」
「その呼び方するんじゃねーよ! ウェルダンに焼くぞ!」
俺が一番嫌いな仇名で呼んでくるのは高津。
こいつとは同じ調理学校にいた頃からの腐れ縁だが、ここではデザート担当のパティシエだ。
「でもお前、よりによってエサは無いだろ。自分が作った料理だぞ?」
「いいんだよ! あいつらはリア充ってやつだ。ここで腹が膨れたら、客室で獣になるんだ。リア獣になって交尾するんだよ!」
俺がこんなになってるのは、決して彼女がいないからじゃない。
自分で言うのも何だが、このレストランはかなり美味い。
最近ではどこぞの覆面調査員が星をいくつかくれるとかオーナーに話してたくらいだ。
尤も、オーナーは断ってたが…。
俺達としても、そんなもんに踊らされて働くわけじゃないから、オーナーの英断には喝采を送ったんだけど、どこからかその話が漏れたらしい。
おかげで毎日戦場のような忙しさだ。
「しかし、客室がカップルで満室っすか。すごいっすね…夜の運動でホテルが揺れたりして…」
「おら! 溝口! つまんねー事言ってないでスープの鍋見ろ! 灰汁が出てるだろう!」
最近ようやくスープの管理を任された溝口がくだらない事を言うので、怒鳴っておいた。
口を動かすのは構わないが、スープの鍋を見ないのは許せん。
「あんまりかき回すな! スープが濁るだろうが! 濁ったコンソメなんぞ客に出せるか! ふざけてるとお前の胸板でコック服洗濯すんぞ!」
「ひどっ! 先輩、セクハラっすよ!」
「お前が料理の腕とバストサイズを上げたらいくらでも謝ってやる! とにかくスープ管理しろ! もうすぐ5番がスープだからな!」
しぶしぶ溝口はスープ鍋に向き合う。
溝口は女だ、でも、今の厨房ではそんなのどうだっていい。
きちんと料理に向き合える奴なら誰でもいいんだ。
溝口の胸がとても残念で、以前酔って抱きつかれた時に肋骨で痛かったとしてもだ。
「まあまあ、溝口も悪気があった訳じゃないんだし…」
「悪気あったら尚更だ! 出汁が出る分、鶏がらの方が万倍偉いわ!」
高津のフォローも正直どうだっていい。
とりあえず今はリア獣どもにエサをやるのが先だ。
決して俺が非リア充だからって僻んでいるわけじゃない。
分刻みで計算されたコース料理を確実に提供するほうが大事なのに、くだらない話でペースを乱そうとする奴が悪いんだ!
「高津! そろそろ7番がデザートだから準備しておけよ? それからそのトレーのイチゴは少し色が悪い、冷蔵庫にちょい高級なのがあるから、それ使え!」
「でも…原価はいいのか?」
「こんだけ回転してりゃ何とかなる。それよりも変なイチゴ出したせいで評判が落ちるなんて納得できんのか?」
「あ、ああ、わかった!」
高津が冷蔵庫に向かって走る。
あの野郎、自分は気楽な立場だからって緩んでやがる。
腕はまあまあだが、私情を仕事に持ち込みすぎるのがちょっとな…
「しかし、高津さんって明後日休みなんすよね? フロアの綱島さんも休みなんすよ」
「ああ、あいつらデキてるからな」
「まじっすか!」
「だから、今あいつの頭の中は明後日のリア獣化に向けたシミュレーション中なんだろうよ。そんなだから、イチゴの質が悪いことすら気付かねぇ。おまけに、明後日は俺がデザートも担当するんだよ。余計な仕事増やしやがって!」
「はぁ~、それにしても、先輩って何でも出来るんすね~。メインからデザートまで、何で自分の店持たないんすか?」
「独り身で店なんざ持ったって潰すだけだ、あんなのは守るべき家族がいて、初めて成り立つんだよ」
「そんなもんすかね…」
溝口は納得できてないようだが、俺はそう思ってる。
俺の親父がそうだったからな。
俺の親父は結構腕のいい料理人で、俺が小さい頃は小さな店をやってた。
でも、ファミレスやらが近所に出来てから、町の洋食屋に来る客が減り、夫婦喧嘩が絶えなくなった。
結局、2人は離婚し、俺は母親と一緒に家を出たが、親父は酒浸りになって店も潰してしまった。
親父が肝臓を壊して死んだ時、母親は泣いてたっけ。
もっと一緒に頑張りたかったって。
家族みんなで頑張りたかったって。
多分、親父は独りで店を守る気力が無くなったんだろう。
「ほら、いいかげん仕事に集中しろ! スープもいい色だしてるんだから、雑念入れて濁らせるのは勿体ないだろ!」
「うわ! 本当っす! こんな色出したの初めてっすよ!」
「そんだけお前が上達したんだよ! 早くもっと上達して俺に楽をさせろ!」
「先輩………わかったっす!」
溝口が真剣な顔でスープを見てる。
こいつだって筋はいいんだ。
こいつが駄目になったらそれは俺達上司の責任だ。
時刻は21時を回り、そろそろお客が帰り始める頃なんだが、俺にとっては嫌な時間だ。
本来なら片付けを新人にやらせて、明日の仕込みを始める頃だが、それを邪魔する奴が出てくる。
特に今日みたいな日は多い。
フロアチーフが俺のところに小走りでやってくる。
「桜さん、3番の御客様が是非シェフに話がしたいと…」
来たよ…面倒くさいのが…
でもこういうのにも対処しなきゃいけないのが料理長だ。
「了解、今行く」
前掛けを外して新品に付け替えると、3番テーブルに向かう。
「お待たせいたしました。当レストランで料理長を務めております、桜と申します。本日は楽しんでいただけましたか?」
目の前にいるのは20代前半のカップル。
男は…どこにでもいそうなチャラそうな男で、女の方は化粧が派手で香水臭い。
こんなので料理の味がわかんのか?
「シェフ! 貴方の料理は素晴らしい! それもこんな可愛らしい女性だなんて! 味も素晴らしかった! 特にメインのソースの隠し味に使われていたバルサミコ酢を使うなんて…何ともいえなかった!」
「エイジ君、そこまでわかるんだ! さすが食べ歩きブログやってるだけあるね!」
女はエイジとやらをうっとりと眺めてるが…残念なお知らせだ。
まず、俺は男だ。
体つきは細くて背も高くない。
極度の女顔で童顔で声も高いけど。
厨房で溝口がニヤニヤしてる。
あいつはあとで仕込みを増やしておこう。
それに、残念なお知らせその2だが…
エイジとやら…
今日の料理にバルサミコ酢なんて一滴も入れてない。
最近、食通ぶって態々呼び出してくる奴が増えた。
ま、ほとんどは連れの女にいいところを見せたい奴なんだけどな。
こいつらもそうなんだろう。
俺としては化粧が臭いんでリア獣はさっさと客室という名の檻に入って交尾に勤しんでもらいたい。
「素晴らしい味覚ですね…今後もよろしくお願いいたします」
早くこの場を逃れたいので、こんな心にも無い事を口走ってしまう。
何故本当のことを言わないのかというと、支配人に怒られるからだ。
「それじゃ、お先!」
「お先に失礼します」
高津と綱島が揃ってあがった。
仕事に支障が無ければプライベートに口出しするつもりは全くない。
たとえあの2人がこれからリア獣化しようとも。
綱島がフロアスタッフの中でも上位の可愛さでもだ。
「綱島さん、すごい下着だったっすよ? 勝負っすね?」
「別にいいだろ、そんなの。ほら、さっさと掃除しろ」
俺達コース料理担当はコンロ回りや流し台を始めとした厨房全部を掃除する。
掃除はコックの基本だ。
他人様に食べてもらう料理を作るんだ、清潔第一は当然だ。
そんな時、ルームサービス担当が急ぎ足で俺の所にやってきた。
「桜さん、今日の夜食用のケーキがありません!」
「…何?」
つい怒気を孕んでしまったようだ。
隣で溝口が何やら怯えているが気にしない。
そんなことよりもこっちの方が重大だ。
「今朝の朝礼で、深夜ルームサービスにケーキも出す話は聞いてますよね?」
「ああ、12時を回ったら違う種類のケーキにするんだろ?」
「そうなんですけど、冷蔵庫には12時までのケーキしかないんです」
ケーキの担当は高津だ。
あの野郎…今夜のこと考えてて朝礼の指示を聞いてなかったのかよ…
「高津はどうした! 早く呼び戻せ!」
「それが…電話が通じません…」
「溝口! 綱島はどうだ!」
「こっちも駄目っすよ~」
2人ともリア獣化の真っ最中なんだろう。
どのみち今から店で調達するのは不可能だし、それよりもこのレストランに他の店の味が入るなんて許せん!
かくなるうえは…
「溝口、作るぞ。…おい、何人分あればいい?」
「今のところ、予約が入っているのは30名ですが、飛び込みのオーダーも考えて50名分は欲しいです」
50名…ホールケーキじゃ間に合わない…なら…
「溝口! オーブンを余熱しとけ! 200度だ! それから手の空いてる奴は手伝ってくれ! 材料の指示は出す!」
今ここにいるのは、コース料理のチームだけだ。
フロント係やフロアスタッフも来てくれたが、ケーキに関しては素人には難しい。
「溝口! 卵を自動泡立て器にかけておけ! それから…」
「小麦粉は一度に入れるなよ! ダマになる!」
指示を出しながら準備をする。
スポンジ生地が出来るまでに、具を用意する。
フルーツを刻み、イチゴを潰してブランデーで煮詰める。
「溝口! 生クリームの泡立て頼む! 7分でいい!」
「生地はこの天板で焼く! 200度で20分だ!」
普段なら静まりかえっている時間の厨房が戦場の慌しさだ。
「よーし焼けたぞ、あとはこれを…」
「細かいデコレーションはいい! このソースをかけて粉糖を散らしてくれ!」
そして漸く、50名分のフルーツロールケーキのストロベリーソース掛けが出来上がった。
粉糖をふりかけて雪をイメージした、ホワイトクリスマスバージョンだ。
誰もいなくなったフロアの窓際席で、溝口が椅子にもたれかかっていた。
「やっと終わったっす…疲れたっす…」
「よく頑張ったな、ほら、夜食だ」
俺は溝口に先ほどのケーキと紅茶の入ったカップを渡した。
「え? これって…」
「さっきフロントに確認したら2人分のキャンセルが出たんだと。だからこれは食べていいぞ。それから、きちんと今日の残業代はつけておくから安心しろ」
溝口はケーキを一口食べて顔をほころばせる。
「美味しいっす! 先輩は凄いっすね!」
「そんなことねーよ。お前が手伝ってくれなかったらやばかった」
俺は本心からそう思っていた。
実際、溝口がここまで出来るとは思っていなかったんだが、嬉しい誤算だ。
「その笑顔…ずるいっすよ… (仕事以外は優しいんすよね…)」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもないっすよ… (先輩…可哀想っすね…そんなに可愛い顔で料理も完璧…女にとっては立場ないじゃないっすか…だから皆逃げるんすよ)」
溝口は何かを呟いていたが、疲れたせいかやがて寝息をたてはじめた。
「全く…嫁入り前の女の子がこんなところで寝るな。…仕方ない、休憩室に寝かせるか…」
俺は溝口を休憩室まで抱えていく。
途中、溝口が寝言を言ってる。
「先輩~、いつまでも彼女いなかったら~アタシが貰ってやるっす~」
「それにはお前の胸がもっと育たないと駄目だな、お前は顔だけはは可愛いんだから」
「約束っすよ~」
休憩室で溝口を布団に寝かせて、厨房で独り後片付けをしていると、携帯が鳴った。
相手は…高津だ。
「お疲れさん、雄のリア獣。メスへの種付けは終わったようだな」
『着信があったからかけたのに、その言い方は何だよ!』
電話の向こうから、綱島の声も聞こえるな…
「もう1回」とか言ってやがる…
「高津…お前、今日の夜食用のケーキ、忘れただろう?」
『夜食………あ!………朝礼で言ってたな………忘れてた………』
「もういいよ、こっちで作っといたから。それよりも綱島がもう一回種付けしてほしいって言ってるぞ。さっさと相手してやれ」
『お前、何言って…』
いい加減に面倒になったんで、早々に切って片付けに専念することにした。
全ての片付けが終わったのは夜明け前で、早番の連中が俺の顔を見て吃驚してた。
「すまん! 料理長! この通りだ!」
「おう、気にしてないから仕事しろ、リア獣」
「気にしてるじゃねーか!」
高津は翌日、頭を下げてきたので、しばらくはリア獣と呼ぶことで手打ちにした。
あいつはこういう時だけ俺を料理長と呼ぶから腹が立つ。
綱島は昨日のおねだりを聞かれていたと知り、暫くは俺を見ると顔を真っ赤にしていた。
そして昨日の功労者は…
「先輩! お婿の貰い手がいなかったら、アタシが貰ってあげるっすよ!」
「おう、お前の料理の腕とバストサイズが上がったらな」
「言ったっすね…約束っすよ?」
「そんな日が来るならな」
俺はその時、分からなかった
…溝口の俺に対する気持ちも
…その気持ちのせいで女性ホルモンの分泌が強力に促進され始めたことも
そして1年後
…バストサイズをAAからDにまで育て上げた溝口に対して、俺がリア獣になってしまうことも………
「まだまだ足りないっすよ…先輩」
そんな溝口も、しっかりリア獣化していたことも…