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夜を渡る子供たち  作者: 方舟
>>依頼者:記憶喪失の青年
1/9

僕は真っ白だ

 ……自分の悲鳴で目が覚めた。一体何度目だろう。何か恐ろしい夢を見ていたはずだけど覚えていない。寝ぼけて霞のかかった頭で枕もとの目覚まし時計を見ると、設定してあるはずのアラームが鳴ってから1時間以上が経過していた。

「やっべ……!」

 慌てて飛び起き、もう一度目覚まし時計を見る。絶対におかしい、目覚ましをかけておいて寝坊するだなんて。……と、時刻を合わせるつまみの隣にあるアラーム機能がオフになっているのを見つけ、ようやく、自分の気持ちが現実に追いついてきた。

 ……そうだ。僕はもう高校生じゃない。もう22歳にもなる、大人なのだった。


 僕には、過去5年間の記憶がない。それどころか、5年前よりさらに昔の記憶もない。いわゆる記憶喪失というやつらしい。僕のはっきりとしている記憶の中で一番古いものといえば、ふた月前病院のベッドで目覚めた時のそれだ。起き上がろうとして鉛のように重い体に驚き、バランスを崩してベッドを転がり落ちた。驚いてやってきた担当医と看護師に説明を受け、その時になって僕は、自分が5年前事故か何かに巻き込まれてこの病院へ担ぎ込まれ、以来植物状態になっていたということを聞いたのだ。そして同時に、自分が記憶喪失になっているということを自覚することになった、というわけである。

 カルテによれば、僕の名前は桜庭仁隆、この病院に入院したのは5年前、当時の僕は17歳。頭部に相当の衝撃を受けていたようで担ぎ込まれた直後緊急手術が行われ、何とか一命を取り留めたものの、そのまま目が覚めず5年間。つまり今僕は22歳ということになる。こういう時、小説では「僕の時間は5年前、17歳で止まったままだ」とかっこよく――いや、これもかっこいいかどうかはよくわからないけれど――いえるのだろうけれど、残念ながら止まったままどころか僕の場合、22年間が記憶的な意味でほぼ白紙に戻ってしまったような状況だ。しかもその最後の5年間は、記憶的な意味どころか精神的な意味でさえ真っ白の状態である。途方に暮れるとはまさにこのことで、しばらくは衝撃が強くてなかなか自覚が持てなかった。今でも時々忘れることがある。特に寝ぼけていたりなんかすると。

 その上、僕は高校を当たり前のように退学になっていた。当然のこととはいえ、浦島太郎になってしまった僕は、取り残されてしまった事実に呆然とするしかない。これでいっそのことおじいさんになるための玉手箱でもあればよかったのに。

 とりあえずそのときの僕にできる事と言ったら、一日も早く寝たきりの状況から普通の生活を送れるようになって、そしてできればその次に、これもできるだけ早く記憶を取り戻す、ということくらいだった。どうでもいいってわけじゃないけど、図らずも手に入れたこの「高校中退・無職」という地位を、如何にして変えていくかを考えるには、まだまだ余裕が出てこない。もちろん当面の生活費をいかに捻出するかは、ものすごく重要な問題ではあったけれど。

 そして、僕は体力を戻すための簡単なリハビリを行った後退院して、今に至る。


 僕はカーテンを開け、すでに高く上がった日の光を浴びた後、キッチンに入って真っ先に冷蔵庫を開けた。買い物はしばらくしていないから、すがすがしいくらいに何もない。仕方なしに冷蔵庫を閉め、バスケットの中に放り込んでおいた食パンを袋から一枚出し、かじりつく。それから思い出した。さっき冷蔵庫を開けたんだから、牛乳くらい出せばいいじゃないか。

 口にパンを咥えたまま再び冷蔵庫を開けると、1リットルの牛乳パックを取り出す。パンを噛み千切ってからパックを片手であけ、そのまま口に流し込んだ。お行儀、と叱られることを期待したけれど、残念ながら叱ってくれる声は幻聴でも聞こえてこない。なんだか寂しいなと感じながら、僕はパンを咥えなおしてリビングのカーテンを開け、キッチンカウンターに牛乳パックを置いて、咥えたパンを噛み千切った。

 その途端、インターホンが鳴り響く。

 思わず放り出しそうになった食パンを何とか死守してドアを見つめた。若い男の声で、桜庭さん、お届け物です、とドアの向こうから聞こえてくる。ほとんど反射的に、はい、と怒鳴り返した僕は、まだ割と残っていたパンを三口で口の中にねじ込んだ。咀嚼しながら牛乳で流し込み、胸をどんどんとたたきながらドアへ向かう。ドアの前で一度立ち止まり口の中のパンと牛乳を胃へ流し落してから深呼吸して、ドアを開けた。そのまま顔を上げると、ドアのすぐ外で帽子をかぶったお兄さんが頭を下げる。お兄さんと言っても多分、僕と同じか少し年上かといったところだろう。彼が伝票を見ながら、桜庭仁隆さんですね、と問いかけてきたので、僕はこくりとうなずいた。お届け物です、印鑑お願いします、と返され、慌ててドアの内側へ取って返す。玄関の棚に放り出したままになっている小さな籐の籠を引っ掻き回して三文判を出してくると、キャップを外して指示された丸の中にインクの部分を押し付けた。それじゃ、これ精密機器なんで、という言葉と一緒に、今度は宅配のお兄さんが僕の腕に段ボール箱を押し付けてくる。勢い余って一歩下がったところで、お兄さんは帽子を外してぺこりとまた頭を下げた。思わずこちらもつられてしまい、「お世話さんっす」とつぶやいて頭を下げ返す。何とも微妙な空気の中、僕は目の前でしまったドアに鍵をかけ直し、ドアチェーンをしてリビングに戻った。

 僕宛の宅配便。何かを送ってくるような知り合いは今のところ覚えがない。まあ、覚えていないだけで実際にはいるのかもしれないが、少なくとも僕には、その心当たりがないように思えた。差出人の欄を見てみると、見たことがあるようなないような、そんな変わった名前が書かれている。

「……株式会社、ムネモシュネ」

 社名を口にするたびに2、3度は舌を噛みそうな名前だ。

 しかし、いったいこの箱は何だろう。僕は首を傾げて社名を何度も読み返す。聞いたことがあるような無いような、そんな名前の会社から、僕はいったい何を送られたというのだろう。たしか宅配のお兄さんはこれのことを精密機器と呼んでいた。箱の上の方をを覗き込んでみると、なるほど精密機器と書かれた赤いシールが張られ、取扱注意という文言が書き添えられている。僕は品名を読み上げた。

「……NR機器一式?」

 NRって何だ。僕はテーブルに箱を置いて、貼り付けられているガムテープをはがした。あっという間に、紙が貼りついて粘着力を失った茶色いリボンが、床に山を作る。足で蹴ってそれを一か所に集めた後、段ボールを開いてみた。A4サイズの「ご注意」と書かれた白い紙と、社名ロゴの上に「納品書在中」と書かれた白い封筒、それに白い緩衝材とぷちぷちクッションに包まれた機械が一つ、それから白いヘッドフォンが一つ。これがNR機器というやつだろうか。僕は一番上にあった「ご注意」の紙を取り出し、軽く目を通してみた。




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