これは、嘘だ
暴走したハリネズミに静止の言葉を投げかけたのは、洋介さんだった。
途切れがちな、その言葉がダメージの重さを物語っている。
「針、山……。約束、しただろ?」
ハリネズミは、藤間にさらに追撃しようとしていたが……。洋介さんのおかげで、我に返り、無言で自分の拳を見つめていた。
スネークも強がっているが……。足が震えていた。
サラリーマン風の男もパニックでアタフタするばかりで、何も出来ない。
ハデスと言うコードネームの少年もしゃがみこんで怯えていた。
人類の滅亡を望んでいたって、目の前で人が傷つくのは怖いのか。
そうだよな。
こんなの誰も望んじゃいないんだ。
だけど、明智の脱臼だって、洋介さんが足が潰されたのも、ハリネズミにこんな事させているのだって。
全部俺が悪いんだ。
俺ならば、こんな事態になる前に解決する事が出来たんだ。
ゴメン……。
「忘れたのか? 四二〇kgの氷はまだ存在しているんだぜ?」
そう言って、藤間が左手で鼻血を抑えながら、右手を氷の塊に手をかざす。
洋介さんにぶつけるのか? ハリネズミにか?
どっちにしろ、駄目だ!
だけど、ハリネズミが再び背負い投げを決める。
激しい出血の中、投げられた藤間はついに意識を失った。
ハリネズミは、呆然と立ち尽くし、自分の拳を見つめながら涙していた。
取り乱していた先輩が、俺の手を振りほどき、泣きながらも、藤間に近寄り止血活動を始めた。
そして、大怪我をしているのにハリネズミを正気に戻してくれた、洋介さんが冷静に言った。
「針山。ゴメンな。嫌な役ばかり押し付けて。もう一つ悪いけど。救急車を呼んでくれないか?」
「はい……」
ハリネズミは救急車を呼んでくれているみたいだ。
俺の目の前には、無残に転がる三人の大怪我人。
もう、こんなのは嫌だ。
そして、こんな事態を招いたのは全部俺だ。
決心を固めろ!
「スネークさん。もう止めようよ。全ては六百六十六人の判断に委ねる。俺たちの戦いは今日で終わり。それで手を打ってください」
「駄目よ。駄目なのよ!」
俺の言葉に反応するように、スネークは感情を抑えきれなくなったみたいだ。
泣き叫ぶ彼女を見ていたら思う。
本当は人類が滅ぶのなんて嫌なんだ。
少なくとも、目の前で人が傷つくのは嫌なんだ。
そもそも、人類を滅ぼしたいのだって、こいつらの『神』の迷惑で理不尽な悲しみが原因かもしれない。
まったくもって、迷惑な神様だ。
俺は、スネークの手を離し真田を見つめる。
真田は泣き崩れて雪の上に座り込んでいた。
俺も方膝をつき目線を揃える。
そして、真田の手を握り締めた。
「真田。落ち着いて聞いてくれ。お前の力があれば、世界を救えるかもしれない」
真田は、涙のしゃっくり混じりで答える。
その目は俺の目を見つめていた。
「どういう事よ?」
「俺の本当の『力』の使い方がわかったんだ。それにはお前の一言が必要なんだ」
「わかんないよ……」
「俺は、お前が好きだ。世界中のみんなが、お前をどんな美女として捉えているのかなんて知らない。興味も無い。だけどな、やっぱり俺にとっても世界で一番はお前だよ」
これは本当だ。
言葉も乱暴で暴力も振るう女。
だけど、人一倍もろい癖に強がって、ずっと孤独に耐えていて、それでも、変な自己啓発の本を読んでる真田。
実は素直で、直ぐに顔を赤らめて、やっぱり優しかったりする真田。
あの時だってそうだろ?
俺が上級生に呼び出された時に、こっそり見ていたのは心配だったんだよな?
そんなお前が大好きだ。
自分でも悔しいけど……。お前が好きなんだよ。
「だから、本当の可愛いお前を独り占めしたかった。力の使い方がわかってからも、誰にも言えかった」
これも完全には嘘じゃない。
「なによ。それ。みんなが苦労していたのに。ずっと隠していたの?」
「ゴメン」
「卑怯だわ。救えない男ね……」
「それには理由があるんだ。ハデスが世界の憎しみを利用すると言ってだろ? 俺の『力』は愛が必要なんだ。だから、この場だけの嘘でいい。俺を好きだって言ってくれよ」
これは嘘だ。
「本当に卑怯だわ。急に私の言葉がわかる人間が現れて、それも格好悪いオタクで。だけど、いっつも私を守ってくれて。頼りなくて友達をこき使っていたけど。こんな私の事をちゃんと見てくれていた。何でそれが、あんたみたいな卑怯なオタクなのよ……」
「ゴメン」
「それにこんな状況で、私に言わせる気なの? 嘘が言えないじゃない!」
「ゴメンな」
俺は嘘でも良い。
ただ、背中を押して欲しかった。
『私も好きだよ』なんて一言だけで、何でも出来そうな気がした。
だけど、真田はそっと俺に近づき……。
唇を重ねた……。
「サンキュー。これからもよろしくな!」
これも嘘だ。
俺と真田はもう会えない。
俺は目からあふれ出そうな涙の存在を、真田に悟られないように満面の笑みで答えた。
俺は両手を地面に当てる。
冷たい雪が、俺の手のひらの温度を奪っていく。
針で刺したような痛みも襲ってくる。
だけど、みんなの痛みに比べたら大したことじゃない。
手の平から身体中の全ての物が吸い取られるみたいだ。たんぱく質とか脂質とかだけじゃない。酸素も水分も白血球やヘモグロビンも。頭に蓄積された情報さえ吸い取られていくみたいだった。
「うぉぉぉぉ!」
無意識に叫んでいた。俺のコントロール下から離れようとしている意識を、呼び戻すためだったのかもしれない。
そして……。
人間に余計な『力』やら感情やらを押し付けたあいつらの神への怒り。
こんなちっぽけな自分に、人類の命運を預けた俺の神への怒り。
自分本位に、他人が傷つくまで何も出来なかった自分への怒り。
ハリネズミにも先輩にも……。
真田にも、もう会えない悲しみ。
いろんな感情があふれ出てくる。
初めて使う本当の俺の『力』には、ある代償が必要なんだ。
俺は十二月一日に夢を見た。
そして、俺に『力』を授けたオジロワシから、『力』の使い方を教えてもらった。
「お前は世界から『力』を滅ぼす『力』を持っている。自分の命と引き換えにな」
意識が途絶える瞬間、最後に見た真田は泣いていた。
出来れば、笑っているあいつを見たかったな。




