焦っちゃいけない。多分
一人暮らしの先輩は、十一階建てのマンションの三階に住んでいる。先輩が就職してからこのマンションに引っ越してきた。
俺は引越しの際、手伝いに来ただけで、まともに訪問するのは初めてだった。
先輩のワンルームマンションに訪問するのは、少し緊張した。
一つの部屋に、先輩の生活が詰められていると思うと、どうしてもな……。
男は悲しい生き物なんだよ。
先輩の家には、真田もハリネズミもいた。
そして、先輩の家は車と同じで甘くて良い匂いがした。
「遅いじゃない!」
開口一番、真田は俺を非難する。
「仕方ないだろ。これでも、頑張ったんだ」
先輩は俺たちのやり取りを、微笑みながら見ていた。先輩は、俺とハリネズミの口喧嘩の時も、こんな感じで何時間も楽しそうに見ているのだ。
だけど、今日は緊迫した状況だからだろう。五分経っても終わりそうに無い俺と真田の喧嘩を、無視するように話を進める。
「さっき、ハリちゃんにメモしてもらった携帯電話が、『世界を滅ぼす力』の持ち主のものだよ。コードネームはハデスらしいさね」
ハリネズミは、先輩のパソコンと携帯電話をケーブルで接続していた。
「出来たよ。これで、皆にも会話が聞こえるぞ」
どうやら、俺の到着前に、パソコンのスピーカーから相手の声が聞こえるように、準備を頼まれていたらしい。
そして、真田と俺がベッドの枕側の床に座り、ハリネズミがベッドの足側の床に座った。先輩はベッドの上、真ん中に座っている。
わりと躊躇うことなく先輩が電話をかける。
こう言う時は、女の人の方が頼りになるのかもしれない。
「もしもし」
電話の主は、女のような男のような、判断に苦しむ声だった。
それは、その声がとても幼く聞こえたから。
「やぁ。『人類を滅ぼす力』の少年だね? いや、コードネームはハデス君だったかな」
先輩は瞬時に少年と判断したようだった。
「なるほど。貴方たちの事は聞いていますよ。ついに、僕のところに辿り着いたわけだ」
「用件はわかっているよね?」
「無駄ですよ。僕の『力』は発動したんだ。僕自身にだって、止める事はできません。もう、人類が滅びる事は決定したのですよ」
「どうかな? 私は、今回は無事乗り切れると思っているけどね」
「ふーん。あなたも、選ばれたのですか? まぁ、それはどうでも良い事です。僕は滅びると信じていますから」
「とりあえず、大事な話だから直接会えないかい?」
「……。先ほど、僕自身にだって止める事は出来ないと言いましたよね? それは、違う可能性もあります。例えば、僕の命が終われば、世界は救われるのかもしれない」
「言っただろう? 私は、今回は大丈夫だと思ってるさね。だけど、何度も何度も、その『力』が発動されたんじゃ困るのさね」
「一応、理屈は通っているみたいですが……。やっぱり、信用できませんね。何故、会う必要があるのかの理由にもなっていないですし」
「子供を脅すのは心苦しいんだけどね。携帯電話番号がわかった時点で、私たちには会いに行く手段があるんだ」
「その件についても聞いています。僕たちのメンバーの家に押しかけたみたいですね。……わかりました。ただ、十二月二十五日の日曜日まで待ってください」
「なんでだい?」
「昨日から、単身赴任中の父親がアメリカから戻ってきてるんです。一週間だけね。下らない理由かもしれないけど、世界が滅ぶ前に、もう一度家族団らんで過ごしたいのです」
「わかったよ」
「ありがとうございます。十二月二十五日。『札幌踊り公園十二丁目』に十三時でどうですか?」
「それでいいさね。良いかい? 私たちの望みはひとつ。今回で終わりにしたい。その話し合いだけさね。安心しておいでよ」
「そうはいきませんよ。それなりの護衛と共に向かいます。だけど、争いたくないのは同じです」
電話はそれで終わった。俺たちは、息を潜めて会話に耳を傾けていた。
「ふ~。とりあえず、会う約束は出来たさね! 何か対策を立てなきゃいけないね」
まぁ、俺たち四人がいくら話し合っても、解決方法なんて出てこなかった。
俺には心当たりはあるものも、口に出す事は出来なかった。
ハリネズミは、不思議な事を聞いていた。
「ところで、あいつらにも先輩みたいな『力』の持ち主がいるのか?」
答えたのは真田で。
「はぁ? そんな事気にしてたの?」
不自然に照れるハリネズミ。
「照れるよ。真田ちゃん。俺は当たり前の事を言っただけだって」
また、噛みあって無い会話だ。
俺は、通訳するのが嫌だった。
「真田、通じてないぞ。ほら」
俺は、手を差し出す。
真田は、まだ手をつなぐ事に抵抗があるらしく、数秒間睨みつけるのだが。
「仕方ないわね……」
俺の手を握って、もう一度言い直した。
「はぁ? そんな事気にしてたの? 見た目と違って、小さな男ね」
さっきより、乱暴なのはきっと気のせいだ。
真田の顔が赤いのも気のせいだ。
ゴメンよ。怒るなよ。
「相変わらず。真田ちゃんはきついな~。いやね。俺の『力』の事をみんなに話すのに、不都合があるんだよ。やっぱり、『力』の正体がわからない方が脅威だろ? それに、俺のは凄く弱い『力』だからね」
「お前のは、少しだけ未来が見える『力』じゃないのか?」
俺は藤間が言っていた事を、思い出しながら聞いた。
「いや、それがな……」
言い出しにくそうに坊主頭を撫で回すハリネズミに、先輩が言った。
「大丈夫さね。彼らの中に心が読める人物はいないよ」
真田もその人物を知っているみたいだった。
「そう。彼は自ら命を捨てたわ。『友達が出来たから、この力は辛い。世界を滅ぼすのに手を貸せない』そう残してね。随分昔の話よ……」
「そうか」
俺とハリネズミは同時に答えた。
場が暗くなる。見ず知らずの故人でも、やっぱり人の死は辛いものだ。
そして、一呼吸置いて、ハリネズミが言う。
「じゃあ、大丈夫かな。俺の『力』は、本当に弱いんだ。だけど、俺自身はそれなにり気に入っている。ほら、彼を知れば勝つんだよ」
引用は正しくな。『彼を知り己を知れば百戦して殆うからず』だ。
「俺は自分の『力』を、『力を分析する者』と名づけたぜ」
そして、ハリネズミは自慢げにひねりの無いネーミングを披露する。きっと、ハリネズミの頭の中では変なルビが振ってあるに違いない。オタクとして、そういう気持ちはわかるけどな。
そして、ハリネズミは自分の目を指差しながら、説明を続ける。
「見るだけで、相手の『力』を正確に知る事ができるんだ。本人より、ずっと正確にね」
そう言えば、ファーストフード店でも、真田が知らないような事まで証明するような実験ばかりだった。
それにしてもだ。
「それが、なんで藤間たちに圧勝できたんだよ」
「あいつらのは、不便なんだよ。『力』そのものが脅威でもな。手のひらをかざしてターゲットを意識しないといけない。そして、テレビのスプーン曲げとかもそうだろ? 心の中で念じないといけないだ。それが、ゼロコンマ五秒程のタイムラグを生んでしまう。俺には楽勝で避けられるね。まぁ、先輩や真田ちゃんみたいに常時発動するタイプは準備時間がいらないとしても、辛い事もあるよな……」
「そうだよな……」
俺はなんだか申し訳ない気持ちになった。それはハリネズミも同じようだった。
真田も先輩も、照れるように笑っていた。言葉は発していないけど、『気にしないで』と言っている気がした。
それにしても、ハリネズミって本当に喧嘩は強いんだな。
俺には仕組みがわかっても無理だ。
もちろん、悔しいから口には出さない。
先輩は暗くなった雰囲気をぶち壊すように、話を続けた。
「わかったろ? ハリちゃんと『人類を滅ぼす力』のハデス君が対面すれば、何らかの解決の糸口が見えるかもしれないのさね」
なるほどね。
何も無いかもしれない。
でも、何らかの解決方法があるかもしれない。
だけど、俺たちは明らかに不利な状況にあるのは間違いなかった。
俺は、先ほど、ハリネズミがスネークの力について話していたことについても、聞いてみた。
「ハリー。さっきさ、スネークの力について説明していた時、『仮定』的に話していたけど、あれは『確定』と思って良いんだよな?」
「あぁ。彼女も真田ちゃんに匹敵するぐらい強い『力』の持ち主さ」
「藤間や明智みたいに、対抗策は無いのか? スネークは、自分の意思で『力』を発動できるって言ってたよな?」
「おぉ。初めて……した事をだな……思い出すと、力が発動できるんだ」
なにやら、言い出しにくいことらしく、金髪の大柄な不良少年が不気味に照れて、口ごもっていた。
それに、その説明をする必要も無い、とでも言うかのようにこう主張した。
「それに、言ったろ? 彼女は意思ある攻撃に対して自動発動できるんだ。『力』の種類より、その事実が恐ろしいね」
それにしても、先輩は心を読む力を使って街をさまよい、ハデスの事を探していてくれたんだ。当てもなく、ただ闇雲に……。
見つかるはずが無い。
そもそも、世界を滅ぼそうとしているからと言っても、常にその事ばかり考えているとは思えない。
そして……。
「ハリー。お前の力は対象者を見るだけ良いのか?」
「おぉ。俺も常時発動しているタイプだ。一目見ればビビッとな。俺なんかの記憶力でも忘れる事も無い。凄いだろ?」
凄いよな。
俺には使いこなせないけど、決して弱い『力』だなんて思わないさ。
ただな。
「それなら、先輩じゃなくて、お前がハデスを探した方が良かったんじゃないのか?」
先輩とハリネズミが顔を見合わせて、バツが悪そうに苦笑いをする。
「これは、参ったさね」
「お前はなんて卑怯でズル賢い男なんだ」
俺の『力』の事といい、ハデスの探し方と言い、ハリネズミはともかく、先輩らしからぬ失態だ。
それにしても、なにやら俺は『卑怯なキャラ』設定がされ始めているらしい事がショックだった。
「ちょっと! 綱吉。お姉さまをイジメるなんて許さないわ!」
真田は、そう言って激しい憎悪の視線を向ける。
おかしいな。
俺はいつだって悪い事をして無いつもりだ。
何故にこうも責められるのだろう。
俺の『力』って、実は『|みんなが責めやすく認識する人間《スペシャル アンラッキー ボーイ》』なんじゃないのか?
またもや、気まずい空気が部屋を支配したので話題を変えてみた。
ずっと気になっていたんだ。
「ところで、今は俺と真田が手をつないでいるよな? そうすると、みんなには、どんな女に見えているんだ? 同じ人物として認識できるのか?」
俺の質問に答えたのは、ハリネズミだった。
「あぁ。そう言う事か。そうだな~。小学生の時好きだった娘を、卒業アルバムで見てみると思ったほど可愛くない。あるいは、好きな芸能人をドラマなんかで見ていると、あんまり可愛くない瞬間がある。そのレベルの誤差だよ。『あれ? 真田ちゃんって、こんなんだっけ?』って思うぐらい魅力は落ちるけど、ちゃんと彼女だと認識できているさ」
「へ~。じゃあ、こいつの『力』はたいした事は無いんじゃないのか? 元がこいつじゃ、そんなに美人になら無いだろ?」
「武田は、体験できないからな。でも、本当に『力』を使っている真田ちゃんは、魔法の鏡が悩むことなく『世界で一番美しい』と言えるぐらいの美人さ」
俺の鼻に強い衝撃が走る。
ハリネズミも同じみたいだ。
俺の隣にいた真田が殴りかかってきた。
方膝をついて中腰になっていた真田の手は、しっかりと拳を握っている。
「綱吉たちは、なんて失礼な奴らなの!」
「うんうん。今のは君たちが悪いさね」
そうだな。今のは、俺たちが悪い。
でも、俺だって目の前で外見を貶されているぞ。
特に真田。お前にな。
男女平等なんてものは幻に過ぎない。おれは、十五歳にして社会の仕組みを知ったつもりになった。
それにだ。
「ゴメンな。真田。だけど、拳で殴るなよ。人なんて簡単に壊れるぞ」
座った状態から繰り出す、女性の拳にそれほどの破壊力は無いけどな。
「そうだよ。真田ちゃん。鼻頭なんて、傷つきやすいんだぜ? 簡単に入院レベルの骨折をさせちゃうよ」
夏以来、人に怪我をさせていないと豪語しているハリネズミだが……。
その風貌から発せられる『入院』というキーワードは、やけにリアルに聞こえた。
「そうよね。ゴメンなさい……」
と真田は、いつものように顔を赤らめてうつむいてしまう。
実は素直なんだよな。可愛い奴だ。
「今度から、ちゃんと平手にするわ」
焦っちゃいけない。今はこれで良いのさ。多分……。
俺たちは結局何も出来ないもどかしい気持ちで、解散する事になった。




