気付いた痛み
「綱吉! 信じていたのに……。救えない男だわ……」
真田は、落ち込んでいるのか、今にも泣き出してしまいそうな声で呟いた。
「アフロディーテがこちらの手に入れば、世界が滅ぶのは確実になるのよ~? それなのに、変な条件ね」
「それもわかっています。だけど、それでも絶対に嫌なんです。全人類の明暗よりも、真田が傷つく方が恐い時もあるんです。わかりませんか?」
スネークは小さく噴出していた。それでも、口を手で隠すのは忘れていなかった。
「あらあら、青いのね。さすが、高校生だわ~。でも、良いわよ。安心して頂戴。約束は守ってあげる」
「視界が見えないままでは、真田は動きにくいです。俺が先導します。もう一つ条件があります。藤間さんたちは信用なら無い。動けないハリネズミに復讐するかもしれない。だから、もう少し下がってください。そして、あなたが真田を連れて行き、あなたの『力』の範囲外に出て行ってください。藤間さんと針山が同時に動けるようにね」
スネークは、あごに手を置き、少し考えているみたいだった。だけど、俺の言葉を信用したらしい。
「わかったわ~」
そう言って、二メートルほど後ろに下がる。
「真田。ゴメンな」
そう言って、俺の鞄をつかませて、視界の見えない彼女をゆっくりっ先導する。手をつなぐわけにはいかない。
真田は言葉を発しなかった。それでも、力なく俺の言葉に従ってくれる。
スネークとの距離は、約二メートル。
藤間たちの真横まで来た時だった。間抜けに、後ろを振り返ったまま固まっている藤間たちの視線は、俺たちの前方を見据えている。
そう、スネークのいる方をジッと見つめている。
だけど、憎悪の感情で俺を睨みつけている気がした。奴らの視界に俺が見えているのか見えていないのか、という角度なのに。
藤間たちの横を通り過ぎ、スネークまでの距離は残り一コンマ五メートルまで近づけた。
だけど、スネークも用心深かった。
「待って。そろそろ、武田君の『力』の射程距離かもしれないわよね~? そこからは、彼女一人で歩いてもらえるかしら?」
「わかりました。真田、出来るだけまっすぐ歩けよ。危ない障害物とかあったら、声かけるからな」
真田は返事をしないまま、少し左曲がりにゆっくりと歩いていく。
でもよ。スネークさん。気づくのが遅いんだよ。
距離は、一コンマ五メートルだ。ハイヒールの女相手に避けられるなよ。オタクだからなんてのは、言い訳にならないぞ。
俺は自分に渇を入れて、タイミングを計る。
スネークは真田を捕まえようと、視線を彼女中心に捕らえている。
今だ!
俺は出来るだけ静かに、出来るだけ速く動いた。
スネークの手を目掛けて突進した。
俺は、スネークの手を掴む事に成功し、手を握ったまま後ろに回りこんだ。そして、細く綺麗な腕を少しだけひねり上げる。
いざ、横に並ぶとスネークは背が大きかった。
「どうやら、俺が出来るのは触れた人の『力』を封じ込める事みたいですよ」
もう、大丈夫だ。
動き出した藤間たちの視線は、今度こそ俺を睨みつけている。
そして、何が起こったのかわからない真田は固まっている。
「真田。もう、見て良いよ」
そして、俺は、藤間の言葉を皮切りにみんなに責められる。
「武田君はだめだな~。随分卑怯なマネをするね」
「武田先輩は、本当に見損ないますよ。本当に卑怯だ」
「武田君って男らしく無いわね~。卑怯な男はもてないのよ~?」
それは味方も例外ないみたいで。
「武田……。ナイスだ! お前の卑怯さで形勢逆転だな!」
「そう……。よくわからないけど、綱吉は卑怯なのね。つくずく、救えない男だわ!」
俺なりに、頑張ったつもりなのに。
誰一人褒めてくれやしない。
それに……、卑怯なのは終わっていないよ。
「さてと。藤間さんたちは帰ってください。スネークさんがいないと、ハリーに勝てないでしょ?」
この時、藤間が見せた本性は、オタクの俺には非常に恐ろしかった。
言葉遣いこそ、柔らかいままだけど。その目つきは、明らかに俺とは異質な生き物だと物語っている。
情けない事に、俺の足は震えていた。
「本当に卑怯な男だよ。君は」
「問答する気は無い。帰れよ」
俺は頑張って、強がって言ってみせた。
藤間たちの後ろでは、コッソリとハリネズミが笑いをこらえているのがわかった。
そうか。俺が頑張る姿はそんなにおかしいか。
だって、藤間は恐いんだよ。
こんな状況でも、スネークは余裕ぶっていやがる。
「藤間君たちは、帰りなさい。多分、この子達は乱暴な事はしないわ~」
対して、こんな時に言うのもなんだが、明智はやっぱり可愛い後輩だ。ちょっとのピンチで、面白いぐらいに動揺していた。
「でも、スネークさん。武田先輩たちには、心を読む『力』を持っている人物が……。危ないですよ」
「それも、大丈夫よ~。だって、この人たちには何も出来やしないわ」
また、会話が俺の理解を超えそうだったので、もう一度強がってみる。
「大人しく帰るんだ!」
ついていけない会話は本当に寂しいのだ。
藤間は激しい憎悪で睨みつけながら、明智は軽蔑の目を向けながら、大人しく帰っていった。
なぜか、どちらの視線も、俺にだけ向けられているように感じた。
「それで、どうするつもりなんだよ?」
ハリネズミは、ズボンのポケットに手を突っ込みながら、今にも噴出しそうなのを我慢している様子で聞いてきた。
「本当は、お前にもう一度、犯罪を犯してもらって、彼女の家とか調べるつもりだったんだ。それで、もう俺たちに近づくなって脅そうかと」
女性二人は、軽蔑の言葉をプレゼントしてくれた。
「うゎ。オタクは本当に意地が悪いのね。救えないわ」
「そうね~。紳士的とは言えないわ~。でも、それは良い案だと思うわよ? 私は身動き取りにくくなるわね~」
ただ、その前に一つだけ気になることがある。
俺たちの味方で、この場にいない人物といえば先輩だけだ。
そして、さっきの明智の言葉が気になる。
「ハリー。先輩は心が読めるのか?」
ハリネズミは、何も答えない。
いや、答えられないのだろうか。頭をかきながら、困っている。
そして、真田もうつむいてしまう。
「あらあら。知らないのは武田君だけみたいよ? それにしても、男の子は嘘が下手ね~。そんな態度じゃ、『イエス』と言ってるようなものなのよ~?」
スネークが意地悪そうに言った。やっぱり、先輩は心が読めるのだろう。
「それなら、先輩に頼んだ方が良いんじゃないか? もう、二十時ちょっと前だ。先輩も用事から解放されたかもしれないだろ?」
だけど、ハリネズミも真田も答えない。
「駄目なのか? それとも、俺の読みが違うのか?」
「そうだな……。俺から先輩に話すよ」
ハリネズミは、そう言って、俺たちから少し距離をとって電話をかけた。
真田は、冷たい目線を俺に向けながら言った。
「弥生お姉さまの気持ちも考えなさいよ!」
情けない事に、何故責められているのかわからない俺に、敵のスネークが助け舟を出してくれた。
「心を読まれるというのは、それなりに畏怖の念を抱かせるのよ~? 人の心なんて醜いものですもの……。そして、心が読める人間も、直接人の闇に触れるのだもの。それは、とても辛い事なのよ~。坊やには想像できないのかしら?」
確かにそうかもしれない。
俺だって、心の中限定で、色んな嫌な事を考えている。絶対に口に出せないような事を何度も考えてきた。さっきも、藤間の事を力いっぱい馬鹿にしたしな。
先輩は一人で苦しんでいたんだ。
誰にも相談できずに。ただただ、苦しんでいたんだ。
やっと、自分の浅はかさに気づいた。この時の俺は、どんな表情をしていたのだろう。
真田がさっきと変わって、優しく微笑みながら、声をかけてくれた。
「大丈夫よ。お姉さまも救われたと思うわ。綱吉に出会う事ができたから……」
先輩との付き合いはとても長い。
俺がまだ小学校に上がる前。
あるいは、小学校に上がったばっかりの頃だった。
当時、高校生だった先輩に泣きながら抱きしめられたのだ。
こう言うと、先輩がとんでもない変質者のように聞こえるのだが、俺は嫌じゃなかった。
子供ながらに、綺麗なお姉さんだと思ったし。
なにより、あの時、先輩は凄く悲しそうに泣いていたから。
それ以来、友達になった。
十二も歳が離れているにもかかわらず……。




