お姉さま
今日は朝から、先輩の仕事場近くの札幌公園で落ち合う事になっている。
ハンドルネームを先輩と名乗る、高科弥生さんは、精神科の先生をしていて、ボランティア活動にも精を出す、俺とはかなり毛色の違った人だ。
そして、俺と先輩の付き合いは、俺とハリネズミの付き合いより、ずっと長い。
俺と真田は、地元の駅で合流し、電車を使い、この公園まで来た。
そして、滑り台の柱に寄りかかりながら先輩を待っていた。
この時の真田は、不機嫌だった。俺はご機嫌を治そうと試みるのだが。
「真田。今日来てくれる人は、本当に優しい人だぞ。安心しろよ」
「別に……。どうでもいいわ」
と小さく冷たく言い放つ。そして、俺と合流してから、疲れることを気にすることなく、ほっぺを膨らます表情を長い間維持している。
だけど、さほど俺は腹が立たなかった。
なんとなく、私服姿の真田の横顔を見つめてしまった。
問題なのは機嫌を直さない真田よりも、俺が見つめている事に気がついてしまった真田だった。みるみる真田の顔が赤くなっていった。
そんな、気まずい雰囲気の中、小走りして近寄ってくる、少し大きめの女性の姿が見えた。先輩だ。
「やぁやぁ。こんにちは」
先輩は、誰が見たって美人と言うに違いない。真田と違って本物だ。綺麗と可愛いを同時に併せ持つ不思議な人だ。
肩ぐらいの長さの髪にはウェーブがかかっている。メガネ萌えが無くたって、先輩のメガネには甘えたくなるに違いない、不思議な母性を演出していた。
ただ、普通じゃない服装をしていた。白いレースの装飾が目立つ黒のスカートに、各出口に綿の塊がついた黒いコート。ゴシックロリータ系と言うのだろうか。
彼女も、またオタクなのだ。
だけど、俺のオタクとしてのアイデンティティが、彼女をオタクと分類する事を拒否している気がする。
それは、彼女が『陽のオタク』だからかもしれない。
メイド喫茶やら、飛行機に乗ってまで秋葉原やらコミックマーケットに出向く活発的なオタクなんだ。お節介焼きでもある。
ハリネズミとは違う意味で、この人も俺とは似ていない。
「こんにちは。彼女が、真田薫さん」
俺は初めて見る私服姿の真田。
つまりは、いつもと違う二つのお団子ヘアーや、十二単かよ、と突っ込みたくなるような四枚の重ね着された洋服の真田。
さらにつまりは、無意味に俺の心臓の鼓動を速くさせる、迷惑極まりない真田を先輩に紹介した。
先輩は真田を見ても、動けないほど見とれる事はなった。
理由は簡単だ。
「綱吉の友達って、弥生お姉さまだったの!」
「薫ちゃん、久しぶりさね」
と真田は先輩の両手を握り締め、嬉しそうに目を見開いていた。
この二人は、面識があるらしい。
いつもそうだ。
先輩はまるで、リアル少年育成ゲームを楽しんでいるように、こっそり事実を認識しつつ、俺らには黙っている。
優しくて頼りになる人だけど、どこか意地悪なんだ。
俺は状況を再確認するため質問した。
「二人は知り合いなの?」
先輩は、頭をかきながら苦笑いをする。
「あはは。黙っていてゴメンよ」
「良いよ。もう……」
俺は、拗ねて見せた。甘えたつもりだ。
こうすると、先輩は優しく慰めてくれるはずだった。
「綱吉! 何よその態度は。あんたは自分の身分がわかっているの?」
待っていたのは、真田からの期待していない結果だった。
腰に両手を当てている真田は怖かった。
俺は、真田と先輩を対面させ『これは驚いたね。私が思うに……』なんて考察を聞きたかった。
だけど、この二人が知り合いならば、それも叶いそうに無い。先輩は意図して、俺に隠していたのだ。
すっかり、機嫌の良くなった真田も、目的を忘れてはしゃいでいる。
結局、この日は普通に遊んだだけだった。
女性二人と遊ぶのは楽しそうだったのだが、正直辛かった。
俺たちは、真田の服の買い物に付き合うことになったのだが。
「ねぇ? この服似合ってる?」
と試着室から出てきた、真田は顔も耳も赤くさせて照れながら聞いてくる。これで、七着目の試着だぞ。店員さんは、不思議と迷惑そうな態度を示していなかった。これが、女性には普通なのか?
「可愛いと思うよ」
俺は、とにかく開放されたい一心だったのだが。
「そう? ありがとう!」
と真田は実に嬉しそうにしていた。
ちょっと、罪悪感を感じてしまった。真田は、そんな俺の心配をよそに、八着目の獲物を探しに、鼻歌交じりで店の奥へ消えていった。
ちょっと、胸が痛くなる。
先輩の一言が、俺の罪悪感をより強いものにした。
「薫ちゃんはね、『無敵大食馬鹿』なんて、漢字プリントがされているTシャツを着ても、可愛く見えてしまうんだよ。ちゃんと彼女を見て、素直な感想を言えるのは、武田君だけなのさね。それが、嬉しいんだろうね~。薫ちゃんは『今が人生で一番楽しい瞬間』だと感じていると思うよ」
八着目の感想は真剣に考えた。
だけど、オタクの俺にはファッションの事なんてよくわからない。
ただ、これは本音だ。
よくわからないけど、可愛いと思うぞ。
帰りは、先輩の車で送ってくれた。
先輩らしく可愛らしい白い軽自動車は、甘くて良い匂いがした。
「いやいや、本当は私から出向くと良かったのだけどさ。ちょっと、調べ物をしていてね……。帰りぐらいは送らせてもらうさね!」
そして、真田が車に乗り込むスキに、先輩は俺に耳打ちをする。
「隠しててゴメンよ。詳しい話はチャットでするさね」
そして、真田は今日までの不機嫌さから一転して、終始ハイテンションだった。
「久しぶりに、弥生お姉さまに会えるなんて思ってもいなかったわ。綱吉の友達を見る目だけは信じてあげる。あの、下品なヤンキーもね!」
ついには、俺の前で堂々とハリネズミの事を馬鹿にしやがる。
だけど、不思議と腹が立たなかった。
真田とハリネズミの間にも友情が出来たはずだ、なんて思っていたのかもしれない。
そして、窓のほうへ視線を送り、小さな声で付け加えられた一言。
「それに、弥生お姉さまと綱吉じゃ不釣合いだものね……」
オタクが綺麗なお姉さんと友達なのがそんなに変か。
まったく、失礼な奴だ。




