大戦のフロンティア8
その日、兵士たちは夜明け前から忙しく動いていた。
まるで夜逃げ前のようだ。いや、まるでではなく夜逃げ前という言葉は彼らにピッタリであったのだ。
そうヒロノキアの兵士たちは、数の上では圧勝にも近い戦果をあげながら、逃げる準備をしていた。その行動に誰も疑問を持つことなく、我先にと逃げるように準備を進めていた。
誰もが蜘蛛の子を散らすようにまだ逃げていないのは、英雄たちのカリスマと、自分たちのために戦ったまだ若い王の姿がちらつくからであった。
「撤収準備、大体が完了致しました」
ヒロノキア本陣、ひとりの兵士がそこにいる英雄へ報告に来ていた。
「分かりました。では、日の出と共に出発出来るようにしてください。未だ敵国はこちらに気づいていないのか、動きが鈍いですから」
まるで舐められているのか、いつでも殺せるという余裕なのか、追撃や、夜明け前に襲ってくるような雰囲気はない。戦術も戦略もめちゃくちゃだが、勝者は確かにアストガルドだった。
既にガイロンとは段取りがついていた。夜明けとともに同時に撤退。《武神》さえ出てこなければ、被害は出てもどうにでもなるというのが、双方の意見だった。
「殿をどうするかですよね」
問題は敵部隊から逃げるための足止めや、時間稼ぎの部隊だった。
そもそも《武神》さえ出てこなければ、それは何の問題もなかった。あの天災さえ出てこなければいくらでもやりようはあるのだ。
しかし、それが万が一こちらを追ってきた場合、誰かをその部隊に送らなければならない。そしてその人物は確実に死ぬことが分かっていた。
「はぁ、本当に、《英知》なんて、何の役にも立たない」
キシリスの死を無駄にするわけにはいかないと思い、一度は逃げた自分の名にちゃんと向き合う、そう決めたというのに、始まってみれば何の役にも立てていない。
自分の知識を役立てようと頑張って見たが、力の前には何の意味もなかった。知識が力に負けたのだ。これほど悔しいことはないし、これほど情けないこともない。
まるで彼女は自分が能無しで役立たずだということに押しつぶされそうになる。
「これならまだご主人様の盾になって死んだほうがマシだった」
英雄たちはボロボロで未だ目覚めない。自分が何とかするしかないのだが、英雄とはいえ未だ少女の域を出ない。やはり精神的なものはまだ成熟していなかった。
「でもやらないと」
しかし成熟してないなりにも、彼女は自分を奮い立たせる。
英雄としての誇りと、自分のことを最後まで信じた妹の為に。
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夜明けとともに、ヒロノキアの兵士たちは撤退を始めた。
アストガルドに強大な損害を与えたとは言え、その表情は非常に暗い。
「なるべく早くお願いします。未だ気づかれていないとは言え、気づかれるのはより遅い方が良いですから」
慎重に、しかし迅速に撤退を始める。
大軍が逃げるようにして撤退をするなど恥も良いところだが、誰もが何も口にしない。それは誰もが《武神》からは逃げるしかないと知っていたからだ。
兵士たちの暗い顔を見る。カルアは、兵士たちももしかしたらかなりの数少なくなるかも知れないと考えていた。少なくとも、貴族落ちのボンボン等は逃げるようにして辞めていくだろう。
「順調そうですね」
「アイリさん、体は大丈夫ですか?」
準備を進めるカルアの隣には、体中を包帯で巻いた、美しい女性が立っていた。
白い肌は今や包帯で隠れ、その人形のように美しい顔は、疲労等で澱んでいた。髪なども梳く暇もなく、少しまとめる程度になっていた。
「ええ、動かないわけではないです。アウラなんかはまだダメそうですが」
一際小さい体の英雄を思い出す。体が小さい分、回復力や、生命力等が他より少ないのだろう。
兵士たちは誰もが休むことなく動いている。
今や陣を崩し、既に先頭の騎馬部隊等は出発を始めていた。
「追撃はどう見ますか?」
「確実に来るでしょう。《武神》がガイロンに来るか、こちらに来るかは、半々という感じですが」
「やはりそうですか」
予想よりも無能な王のようだが、この機会を逃すほど愚かではないだろう。
「ええ、その際は」
「殿ですか。私がやるしかないでしょうね」
「ご主人様は絶対止めますよ?」
あの少年の性格だ、起きていれば絶対に止めるし、あまつさえ自分が残るだとか言いかねない。
「まぁそうですよね。マスターは全員に優しいですから。でもやはり残るなら私でしょう。アウラやシロナはまだ幼い。バレルは子供たちが待っていますから」
「私にも力があれば……」
「力というものは別に武力だけじゃないですよ。あなたの力はこれからのヒロノキアで絶対に必要になる。そう悲しい顔をしないでください」
「はい、ダメですね私は。本当に何のための《英知》なんだか」
「それは私もですよ。《剣聖》の力はこの程度なのかと」
力を磨いてきた日々を思い出す。師匠と血のにじむような訓練を行った。自分が《剣聖》だと知って、喜ぶと同時にそれに恥じないだけの訓練を積んできたつもりだった。しかし、結果はこれだ。何の意味もなかった。守りたいものを守れないで何が強さなのか。
「はぁ、本当に英雄とはなんなのでしょうね」
ヒロノキアを守る。二代目の英雄王たちに率いられるようにして始まった英雄という称号、その称号は伝説にも近い名だった。しかし、生きる伝説には何の歯も立たない。自分の無力さには嫌になっていた。
「嘆いても仕方ない。今は早く動くしかない」
いつの間にか、二人の元にシロナの姿があった。
シロナも満身創痍、いつもの無表情の顔が少し辛そうにしていた。いつも着ている鎧を着る余裕もないのか、今はシャツ姿だった。シャツ姿の彼女はいつもの《鉄壁》の印象とは打って変わって、まるで弱い華奢な一人の少女だった。
「シロナ、大丈夫なのですか?」
「アイリが大丈夫なら大丈夫、私頑丈」
「ボロボロなのに?」
「頑丈ったら頑丈。それでカルア、撤退の段取りは?」
「あ、はい」
カルアは周辺の地図を広げる。今いるガイア平原を指差し話を進めた。
「基本的にはこちらに来たルートと同じものを使います。ガイア平原を抜け、ガイロンから、ヒロノキアへと続く道を使います。それがやはり一番近いですから。大森林を抜けようかとも考えましたが、この人数ならそれもロスになりますしね」
「分かった。で、どこまで逃げれれば安全?」
「大渓谷、ガイロンとヒロノキアを分けるこの渓谷を抜ければなんとかなるでしょう。自軍が抜けしだい、唯一の交易要所の関と橋を落とそうと思っています。これは《策士》とも相談済みです」
ガイロンとヒロノキアを分けるのは、ガイロン南に広がる大森林。昼間でも鬱蒼とした木々たちは、陽の光を通さない程濃密な森が広がっている。その広大な森を遮るようにしてあるのが、もうひとつの要所、大渓谷だ。
一番広い場所で一キロにも及ぶとてつもない谷がある。《英雄王》と《魔神》が戦った際に世界が二つに割れた弊害で出来たとも言われるそれは、一箇所を除いて常人が通れる場所ではなかった。
その一箇所というのが、彼らが来るときにも通った大橋と関だ。
その場所は大昔に作られた大橋で、ガイロンとヒロノキアを結ぶ大きな交易ルートとなっていた。
そこがなくなるのは痛いが、こんな状況では致し方ないという決断だった。
「やっぱりそこだよね」
そこ以外にはやはりないとも言える分水嶺、そこまで逃げてしまえばなんとかなる。でもそこまで逃げ切ることが出来るかが問題なのだ。
「何個か策は考えましたが、嫌がらせにしかならないでしょうね」
インフラの破壊、破壊活動、その他もろもろ考えたが、結果としては嫌がらせ程度の効果しかないだろう。
「それこそ祈るしかない、か」
「ええ、その通りです」
相手は神だ、そこには祈るしか対処法がない。神様の気まぐれに人間は振り回されるしかないのだ。
「何もなければ良いのですが」
そのような願望にも近い呟きは夜明けの光に消えていくのだった。
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「停戦協定はない、敗北等の申し開きもない。逃げるのは夜逃げか、国際法もなければ、奴隷等の受け渡しの交渉もない。まぁ良いか、今は逃げるのを優先にしたと」
真っ暗なテント、そこには三人の男性が居た。
声の主はイライラと神経質そうに言葉を続けた。
「まぁ国際的な批判等もこの世界では意味ないだろうし、全く文化レベルが低いというのもめんどくさい。なんでもありなのは良いが、流石にこれではつまらない」
少年が貰った力は強大、いや強大過ぎた。アカツキと呼ばれる少年の力を見せるには、この男の力は強大すぎるのだ。
「まぁ無能とでも思ってるんだろうな、実際兵はかなり失った。だが痛手ではない。それに目標は完遂したんだよな」
「ええ、主目標は完遂。《王道》もおまけでついてきた。むしろ上出来だと思いますよ」
何も分からない、全く理解できない男はそう明るい声で話した。
「全く、縛りプレイってのはめんどくさい。チートがあるのに使えないのもしんどいな」
この世界の言葉ではないことを話す《征服王》。
「まぁまぁ、大事の前の小事ですよ。それにほら、縛っておかないとこんな世界直ぐに終わっちゃいますし」
その言葉を理解したのか、してないのか分からないが、笑顔の男はそう答えた。
「だからこそめんどくさい。俺の存在を誇示できないのもだるい、全く世界が変わってもクソばかりだ」
「まぁまぁ、ほら今回は完全勝利のないようですし、ヒロノキアとガイロンをアストガルドがボコボコにしたって触れ回れば良いじゃないですか」
「お前は本当に、笑顔で嫌がらせみたいなことを」
「でも評判って結構大事なんですよー? 称号というシステムがある時点で人の噂や意見っていうのは、直接関係しますからね」
「どれほどの修正がかかるかも分からないんだよ、修正値の値が可変、そもそも噂何て言うシステムがど
う動いているかもわからん。そもそも噂何てものをどうやって数値化してるんだか」
少年はステータスの画面を呼び出す。そこにはさまざまな数値が描かれている。何度か検証したが、この数値が変動する成長値や経験値等のシステムが理解できなかった。
そもそもこの世界がどういったシステムなのかも理解ができない。まるでゲームのようだ、スキルなんていうものも、最初からそうあれと作られているかのようだった。
物理法則などが同じなら地球と同じになるはずだと思ったが、二千年ほど前から、この世界はあまり発展を遂げていない。
地球が二千年ほどで、紀元からあそこまで発展したことを考えると、この成長速度は異常だった。良くて中世、カノンや火薬などがなく、未だ長弓などが主力なのを考えると、地球基準で言えば中世も良いところだ。
この発展速度はおかしすぎる。人間は人間を殺す際に想像以上の能力を発揮する。それは地球の歴史が証明している。
なのに、この世界はまるで停滞、同じところをぐるぐる回っている。
まるで世界自体がそうあれと命令しているようだ。
「他の連中が気づいているかどうか分からんがな」
自分の低いステータス画面を見てつまらなそうにその画面を閉じる。
技術もちぐはぐ、おかしな世界だと吐き捨てる。
「まぁ良い、この世界の謎など二の次だ、俺が頂点に立った後に調べれば良いんだ。《武神》、お前にはヒロノキアを追撃してもらう」
「分かった」
「威圧するためにある程度の部隊を連れて行け」
「ああ」
「お前は、まぁ命令したところどうしようもないな」
「そんなぁ、諦めるのは酷いですよ」
男はニコニコとした表情を崩さない。イライラしている《征服王》とは正反対だ。
「お前には言葉を弄したところで無駄だからな。お前は自由に動け」
「はーい、はい。さてさて、どう出るかなぁ。楽しみだなぁ」
「お前は本当に、いや何も言うまい。さて戦争を続けよう。征服は終わらない」




