始まりのフロンティア
硬い床と背中の痛みで目が覚めた。全く起きていない頭をなんとか覚醒させると、あたりは板張りの大きな部屋だった。
可笑しい、俺は昨日自分の部屋で寝たはずだ。そう、自分の部屋の詳しく言えばベッドの上で寝てたのだ。
なのに今俺が居るのは自宅の離れに建てられた道場の中心。冷たい床がさらに俺の混乱を加速させる。
どういうことだ? 俺は夢遊病か何かでも患っているのだろうか?
「おー起きたようじゃな、じゃあ早速稽古とするかの」
俺を上から覗き込む爺が一人、齢六十をすでに超え世間一般ではおじいちゃんと呼ばれる年齢のはずだがこいつからはそんな衰えを感じない。腹筋はいまだに六つではなく八つに割れているし、身長だって百八十ある俺が少し見上げるぐらいだ。顔には深くくっきりと皺が刻まれているが、表情自体はとても豊かだ。
「うるせー! というか勝手に俺をベッドから道場に移動させるのをやめろ! 普通に起こせばいいじゃねーか」
そう、俺をここに運んだのは爺だったのだ。
八十キロ近い俺を、二階の部屋から道場まで俺に気づかれないように運んだのだ。
「そんなのつまらんじゃろ、いつも人生には刺激が必要なんじゃよ」
「こんな刺激はいらねぇ!」
「こんなとはなんじゃ、息子と親の素晴らしいコミュニケーションじゃろ」
「なんでこの年になって爺と濃密なコミュニケーションを取らなくちゃいけねーんだよ!」
道場に掛かっている時計を見るとまだ五時過ぎ、お年寄りは早起きだと言うが本当のようだ。
「え、儂、濃密までは望んでなかったんじゃが……まだ親離れが済んでないようじゃの」
憎らしい顔をと共に、およよと泣き崩れる爺。
ちょっと殺したくなってきた。
「さぁさぁ、さっさと始めるぞ、息子をぼこぼこにするのがわしの楽しみなんじゃ」
「いつまでもそんな余裕を持っていられると思うなよ、今日こそはそのむかつく顔面に正拳をぶち込んでやる」
「カカッ、楽しみじゃなぁ。あと何年かかるのやら」
「うるせーぶっとばしてやる!」
俺は爺に向かってこぶしを振り上げる。今日こそ、今日こそは一泡吹かせてやる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
住宅街の間を俺ともう一人の少女が学校へと向かい歩いていた。
「大丈夫? いっつもボロボロだね」
となりに一緒に歩く少女から声をかけられる。そこにはいつも朝一緒に投稿している夕実の姿があった。
いつものように長く黒い髪を左右に揺らし、制服は校則通り着崩すこともなくしっかりと着ている。
顔は昔から周りから可愛い、可愛いと言われて育ったのも過言ではないが、俺はそれでこいつが調子に乗るのが嫌なので、いつも日本人形と馬鹿にしていた。
「うるせー」
結局今日もあいつの顔面にこぶしをぶち込むことは出来なかった。なんだよ四人に分身って、人間業じゃねーよ。しかも四人が限界じゃないってどういうことだよ。
俺も武道には自信があるし、大抵の人間には勝てる自信がある。だけど爺にだけは勝てるビジョンが見えない。
「おじいさんに負けて悔しいからって私に当たらないでよね!」
「んだと? こらやんのか」
「やりませーん、流ちゃんのバカ力に私が勝てるわけないもん」
こちらを馬鹿にするようにニヤニヤと笑う夕実。このやろう、黙っていればまだマシなものを。
「誰が馬鹿だ、成績は俺のほうが上だろうが」
「そういう事じゃありませーん」
「んだと!? このバカ夕実が!」
「なにおー親愛すべき幼馴染に向かって馬鹿とはなんだ! えい」
夕実の右ストーレートが飛んでくる。そのこぶしは俺の腹を綺麗にとらえたが。
「ははは、そのような軟弱パンチ俺に効くと思うか! これが本当のこぶしというものだ」
俺は夕実に向かってパンチを繰り出す。あくまでもかるーく、かるーくだが。
「あがー」
俺の拳は夕実の腹部に軽く当たり、ほんの少しの衝撃を与えた。
しかし、思った以上に夕実の体は貧弱で軟弱だったのか、その拳でうずくまってしまう夕実。
通学路、学生がちらほら歩いている道路の真ん中だ。そんな中、ほぼゴリラとは言え、女性を殴り、倒してしまった俺が取るべき手段とは。
「あれ夕実さん? 夕実さーん! ふぅしょうがない、おいていくか」
まぁシカト一択だよね。ここで心配してなんか言われてもめんどくさいし。
「おいてくなー! はくじょーものッ!」
夕実のパンチは真下から俺の脇腹を抉るように天へと振り抜かれた。
その拳は俺のレバーへとクリーンヒットした。
「ぐはっ、いいパンチもってるじゃねーか」
そうして俺の意識は刈り取られたのだった。俺の一日が始まる。この楽しくも下らない繰り返しの毎日。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
静かな教室、帰宅部の人間はみんな帰り、部活をしている人間が一番忙しい時間。
夕暮れに染まる教室で、俺と夕実は二人でぼーっとしていた。
はぁ、黙っていれば可愛いとは思うのだがなぁ。周りの連中に言わせれば、その荒っぽい喋り方も良いらしいのだが、俺としてはもう少しお淑やかの方が良い気がする。
「どうしたの? いつも以上に気怠そうだね」
夕日を見ながら、今日を思い出す。
なんでもない授業や下らない話、ただ毎日を平和に繰り返し続ける。
そんな人生に何の意味があるのだろう? 昔から俺はそのようなことを思っていたが、最近は特にひどくなってきていた。
俺はきっと、何もないこの世の中ではなく、もっと多分、刺激のようなものを求めているのだ。
なんだろう、俺はこの世界に自分の居場所はないのではないか? そんな不思議な感覚を漫然と持ち始めていた。
ただの思春期特有の痛い思想と言われたらそれまでなのだが。
「うるせーお前のせいでだるいんじゃ! 思いっきり殴りやがって」
だが、そんなことを夕実にいう訳にもいかない。こいつに真面目な話を下って無駄なのだ。
「なんだとー、流ちゃんが悪いんだぞ私を置いて行こうとするから」
「うるせーお前はいいが俺はダメなんだ。それくらいわかりやがれ」
「何その暴論! 横暴すぎだよー」
「うるせー俺様は俺様なんじゃい」
そんな会話をしていても、自分を自分で俯瞰してみているような、こんな下らないことに何の意味があると嗤っている自分が居る。
そんな自分に反吐が出る。
「本当にどうしたの? 今日はいつも以上に変だよ?」
「別になんでもねぇよ、お前のその変な顔を見たくねぇだけだよ」
「本当にそれだけ?」
まるで何かを心配するように、こちらを覗き込む夕実。
きっと俺のそんな下らない考えをなんとなく察したのだろう。
流石幼馴染だ、小さい頃から腐れ縁は伊達じゃないな。
「それだけだよ、早く帰ろうぜ。もう下校時間はとっくのとうに過ぎてるぜ」
俺は沈みゆく夕日を見ながらつぶやく。今日もこのくだらない毎日が終わっていく。
そしてどうせ目をつぶれば下らない明日がやってくるのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なんじゃと、この世界が物足りない?」
夜の道場、板張りの寒々しい景色の中、俺の今の感情を率直に伝えてみた。
なんだかんだ言って俺のことはこいつが一番分かっている。腐ってもこいつは俺の親なのだ。
「ああ、なんか毎日が物足りないというか、なんというか」
「ほっほー高校生にもなって流馬くんは厨二病になってしまったと」
ああそうだこいつはこういうやつだよ。こんな爺に相談したのが間違いだった。
「そんなことを言っているからわしに一発も攻撃を当てられんのじゃ、ほらほらさっさとうってこんかい」
こいつ、尻をこっちに向けて挑発してきやがった。ぜってぇ泣かしてやる。今更謝ってもおせぇからな。
「ああ、ぶっ殺してやるよ。そんな生意気な顔を出来ないようにしてやるよ」
ああむかつく、なんか悩んでるのが莫迦らしくなってきた。この鬱憤を爺で晴らしてやる。
「大丈夫じゃよ、お前はたしかにこの世界の住人じゃよ」
「ん? なんか言ったか?」
ボソッと呟いていたが何を言ったかまでは分からなかった。
「いいや、なんでもない。さっさと始めようか」
何だ? 爺にしては歯切れが悪いな。まぁいい今日こそはボッコボコにしてやる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺はベッドの上で見慣れた天井を見上げていた。
「結局今日もやられた。なんだよこぶしが六つに分裂って人間業じゃねぇよ」
おかしすぎるだろ爺のパンチが六つに見えるんだぜ。常々人間じゃねぇと思っていたが今日確信した。あいつは化け物だ。
「はぁ、いつになったらあいつに勝てるんだよ……ん?」
机の上の携帯が光っている。夕実か? いや夕実はないか。窓を開ければすぐに夕実の部屋だ。メールするより、こっちのほうが早いだろ。それに夕実はメールより、直接話すほうが好きだし。そう言えばあいつあんまりメールとか使わないな。
俺は携帯の画面を確認する。画面には新着メールが一件と表示されていた。
「メール? 珍しいな」
俺自体があまり携帯というものが好きではない。どうも人とのコミュニケーションを機械を介するというのは苦手だ。
クラスメートもそれを考慮して遊びの約束なんかは直接言ってくれるんだが。
「まぁメールで来ることもあるか」
俺は今来たメールを確認する。そのメールの題名には『新しい世界へご招待』と書かれていた。
「迷惑メールかよ、見て損した」
はぁ俺のアドレスに迷惑メールが来るのなんて初めてだな。どうせそんな使わないだろうと思い、結構長めのメールアドレスにしていたのだが。
まぁ、変更の手続きとかめんどくさいが、こんなメールが何度も来るぐらいなら変えてしまったほうが得策か。
「寝るか」
そういって俺は目を瞑る。いつもなら毎日爺と稽古をしているため、すんなりと眠りに入れるのだが今日は違う。さっきの新しい世界へご招待というメールが頭から離れないのだ。
「まぁ見るだけなら問題ないだろう」
俺は携帯を再度開き、さっきの迷惑メールを開く。
題名は『新しい世界へご招待』、本文は何やら長文と共に、いくつかの質問が書かれていた。
長文はめんどくさいので、読み飛ばすことにした。
「ふむ、なんか面白そうじゃね。別に個人が特定されないくらいならいいか」
一つ目の質問は名前をご記入ください。
「さすがにフルネームはまずいか、リュウマとでも入れておくか」
二つ目の質問は国の選択? なんじゃこりゃ、でもなんかいろいろな国があるんだな、大国、中立国、軍事国家、宗教国家等様々だ。
それぞれの国の説明や、内容などが詳しく書いてあるが、まぁ迷惑メールをそこまで真剣に読む必要もないか。
「お、なんかこの国良さそうだ。英雄国家か、面白そうだな」
その国の説明欄にはこう書いてあった。七人の英雄を要する国家、一人ひとりが一騎当千の力を持つ。しかし現在残っているのはたった二人の英雄のみ。その国の強さは過去の栄華となってしまった。
「英雄とか燃えるな、戦ったらつえーんだろうな」
俺は黙々と質問に答えていく。すぐに終わるかと思っていたが意外にこの質問、量があるな。
「最後の質問は……どんな王になりたいかだって? どんな質問だよ」
ふーむ、どんな王か。俺は強く、みんなを引っ張っていける王になりたい。どんな強敵にも引かずみんなの先頭に立ち、みんなに勝利をもたらす、そんな王になりたい。
なぜだろう? そんなことを考えたこともないのに、なぜかそう、すんなりと答えが出てきた。
「って莫迦らしいな、こんなの書くのも恥ずかしいし。もう寝るか」
俺は携帯を閉じ再びベッドへと入る。どうせ明日も道場の冷たい床で起きることになるんだ。今のうちにベッドの温もりでも感じていよう。
今度はすんなりと眠りへと落ちていく、深い深い真っ暗な眠りの中へ。
「起きてください! 起きてください。我がマスター」
誰かの声が聞こえる。夕実か? 爺ではねぇな。まぁいいやまだ寝てたいんだもう少し寝かしてくれ。
「起きないね、殴る?」
「殴りません! もうお目覚め下さい!」
うるせーな、分かったよ起きればいいんだろ、夕実のやつもせっかちだな。
というか、家まで起こしに来るのは珍しいな。大概俺は爺の早起きに付き合わされるから、俺のほうが早起きなのは知ってるし。
ということは俺が寝坊でもしたのか? 今日に限って爺が稽古をしなかったとか?
「やっと起きてくださいましたか、我がマスター。もう起きないのかと思いましたよ」
「やっと起きた」
「はっ?」
しかし目が覚めた場所は、俺のベッドの中でも、板張りの道場でもなかった。
俺の目の前には金髪の外人さんと銀髪の外人さんが跪いている。
「ちょっと待って、ここ何処?」
「え? マスターはこの世界を知らないのですか?」
え? 世界? 何を言っているの? 全然思考が追い付いてこない。たしかに昨日はベッドで寝た。てっきり朝起きたら道場だと思っていたのだが、俺が今寝っ転がっているのは冷たい石畳に奇妙な文様が浮かんでいる床だ。
「ごめん、ぜんぜんわからない。君たちのことも全然知らない」
「ダメダメだね」
銀髪の少女がボソッと呟く。さり気にさっきからこの娘酷いこといってないか。
「こら、そういう風に言わないの。きっと何か混乱しているのよ。そうですね、私たちが口で説明するより見てもらった方が早いでしょう。さぁそこのドアから外に出てみてください」
混乱だらけだ。全く脳みそがついてこない。何が起こったんだ? 誘拐? でも誘拐ならそんな簡単に外に出さないだろうし、そもそも何がなんだか分からん。
俺は他にできることもないので、言われたとおり木製と扉を開けることにした。
「なんじゃこりゃあああああああああああ」
そうそこには俺の知らないフロンティア(新天地)が広がっていた。
akiです。初投稿なのでいろいろと至らない部分も多々あると思いますが、生暖かい目で見てくれると幸いです。誤字、脱字そのほか感想などもらえると励みになります。今後ともこの作品をよろしくお願いします。