廚二病と、魔力切れ
剥がれた木片を何とか隠そうと、小さな手で床をさする。だが、赤ん坊の筋力では、一度バラバラになった繊維を押し戻すことなど不可能だ。
そのとき、廊下の向こうから聞き慣れた足音が近づいてきた。
「エース? どこへ行ったのかしら」
母、ベアトリスの声だ。
やばい。見つかれば、まだ言葉も話せない乳児が、どうやって重厚なフローリングを破壊したのかという、物理学的な矛盾を説明せねばならなくなる。
(……いや、待てよ。神が言っていた『はずれ魔法』のラインナップ。生産、闇、召喚、そして――『神聖』!)
私は必死に、先ほどとは別の回路を脳内に構築した。
生産が「物質の再構成」なら、神聖魔法は「生体や器物の原状回復」ではないのか?
エントロピーが増大してバラバラになったものを、元の秩序ある状態へと逆行させるイメージ。
(唱えるのは恥ずかしいが、背に腹は代えられない……! 心の中で、全力で叫ぶぞ!)
『――秩序の光よ、欠けたる時を巻き戻せ。リペア(修復)!』
手のひらから、淡く、頼りないほどに柔らかな光が漏れ出した。
その光が床の傷跡に触れた瞬間、めくれた繊維が生き物のように蠢き、パズルのピースがはまるように元の場所へと収まっていく。
「……あ、あう?」
光が消えたとき、そこには以前よりも少しだけ艶を増した、滑らかな床が戻っていた。
直後、強烈な睡魔が私を襲う。これが「魔力枯渇」というやつか。意識が遠のく中、私はベアトリスの温かな腕の中に抱き上げられた。
「あら、エース。こんなところで寝てしまったの? ……ふふ、床がピカピカね。お掃除が行き届いているのかしら」
母の優しい声を聞きながら、私は確信した。
この『はずれ魔法』、使い道は無限にある。
理系の知識をもってすれば、神の言った「汚名返上」どころか、この世界の法則そのものを書き換えられるかもしれない。
(次は……もう少しエネルギー密度を計算してから……実行、しよう……)
赤バラの紋章の下、天才ポスドク転生者は、よだれを垂らしながら深い眠りに落ちていった。冒険の始まりは、まだお昼寝の時間の後になりそうだ。




