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ポスドクは異世界イングランドで無双する  作者: 橋平 礼


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エピローグ

「これが終末の魔法だー。」圧倒的な戦力に対して最後の魔法を放った。


エースはこうして、イングランドを支配し、ヨーロッパ全域に覇権を示した。二十年の研究生活で培った執念が、異世界の魔法体系を解体する。魔法を極めた男は、神さえ予測不能な「覇王」へと進化を遂げた。

「……はぁ、またか」


深夜二時。研究室の窓に映る自分の顔は、ひどく土気色をしていた。二条文也にじょう ふみや、四十路を目前にした俺の肩書きは「博士課程取得後退学」、あるいは聞こえのいい「特任助教」だ。だが実態は、数年ごとに更新を繰り返す使い捨ての駒に過ぎない。


理工学の最先端、フィジカルAI。現実世界とデジタルを高度に融合させる理論を組み立てては、予算獲得のために書類仕事に追われる毎日。かつての恋人は、「あなたとの未来には安定がない」という至極真っ当な言葉を遺して去っていった。以来、俺の隣にあるのは、中身の薄い論文の下書きと、賞味期限の切れたエナジードリンクの空き缶だけだ。


常勤テニュアさえ取れれば……いや、せめてあともう一報、インパクトのある論文を……」


独り言が空しく響く。キーボードを叩く指先は冷え切り、視界は疲労でちかちかと明滅している。若手の頃にあった「世界を変えてやる」という野心は、いつの間にか「来年の雇用があるか」という卑近な恐怖に取って代わられていた。


エナジードリンクを喉に流し込む。カフェインが胃を荒らし、動悸が早まる。脳が無理やり覚醒させられる感覚に、吐き気にも似た哀愁を覚える。俺の人生は、いつからこんなに「待ち」の状態になってしまったのだろう。


研究に打ち込めば打ち込むほど、社会というレールから外れていく。同期たちが家を建て、子供の成長をSNSに上げるのを横目に、俺は13階の研究棟で、まだ名前のない数式の羅列と格闘している。


「……今日は、ここまでにするか」


ようやく計算の区切りがついた。バックアップをクラウドに上げ、モニターの電源を切る。暗転した画面に映る自分の背中は、いつの間にかひどく丸まっていた。


研究室の鍵を閉め、静まり返った廊下を歩く。


深夜の大学病院や研究棟というのは、妙に冷たい。蛍光灯の微かなハミングだけが、耳鳴りのように響いている。


俺はエレベーターホールの前で立ち止まった。ここがこのビルの最上階、13階だ。


壁に埋め込まれたボタンを押し、あくびを噛み殺す。


デジタル表示を見れば、エレベーターは1階にあるようだ。ゆっくりと、数字がカウントアップされていく。


3、4、5……。


「明日も朝から講義の準備か。学生たちのやる気のない視線に耐えるのも、もう慣れたもんだけどな」


苦笑いが漏れる。


ふと、エレベーターの速度が妙に速いことに気づいた。通常、このビルのはもっとのんびりした動作のはずだ。だが、表示される数字の切り替わりが、心臓の鼓動よりも速い。


9、11、13。


『ピン』という軽快な音が鳴り、銀色の扉が左右に開く。

俺は迷いなく、その「箱」の中へと一歩を踏み出した。


「お疲れ様でした、俺……」


その言葉が最後になった。


踏み出した左足が、硬い床を捉えることはなかった。


そこにあるべき鉄板の床はなく、ただ底知れない暗闇が口を開けていた。


「え……?」


理解が追いつくよりも早く、重力が俺を捕らえた。


エレベーターのかごが来ていない。扉だけが開いたのだ。


俺は一瞬だけ宙に浮き、次の瞬間には垂直の暗黒へと真っ逆さまに落下した。


「わあああああああーーーーーっ!!」


13階から1階、そして地下のピットまで。


暗闇の中を切り裂くような悲鳴が、自分自身の喉から出たものだとは信じられなかった。

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