異世界転生
落下の衝撃は、痛みというよりも「衝撃」そのものだった。
全身の骨がバラバラになり、内臓が押し潰される感覚。
冷たいコンクリートの上に叩きつけられた俺の身体は、もはや指一本動かすことができない。
視界の端で、エレベーターの隙間から漏れる微かな光が見えた。
頭の上では、壊れた扉がガタガタと音を立てている。
口の中に鉄の味が広がる。血だ。
(死ぬのか? 俺、こんなところで……?)
薄れゆく意識の中で、走馬灯が回り始める。
研究に捧げた20年。徹夜明けの朝焼け。教授に叱責された日々。
そして、最後まで書き上げられなかった、あのフィジカルAIの完成理論。
(嫌だ。まだ……まだやりたいことが……。論文も、研究も、それに、ちゃんとした人生だって……!)
後悔が、濁流のように押し寄せる。
俺はまだ、何者にもなれていない。博士号という紙切れ一枚のために、人生のすべてを差し出してきたのに。これじゃあ、ただの「不幸な事故」で終わるだけの人生だ。
寒気がひどい。体温が急速に失われていくのがわかる。
闇が濃くなり、視界が完全に閉ざされようとしたその時。
耳元で、聞いたこともない重低音のビブラートな、それでいて透き通った声が響いた。
意識の輪郭が、霧散していくのを感じていた。
二条彰、四十歳。肩書きは理学博士、実態は時給換算でコンビニバイト以下の非常勤講師と、いつ切れるか分からないポストドクター(博士研究員)の掛け持ちだ。二十年間、俺は暗い実験室と、使い古された教科書が並ぶ講義室の間を往復し続けてきた。
「結局、何一つ積み上げられなかったな……」
老朽化した大学ビルのエレベーターが、轟音と共に落下した瞬間、脳裏をよぎったのは、未完の論文と、通帳の心許ない残高への未練だった。知的好奇心という名の麻薬に溺れ、世俗の幸福を捨てた男の末路。それが、漆黒の暗闇に足を踏み入れてに幕を閉じる。どのくらい時間がたっただろう。
次に目覚めた時、そこは色彩を失った白き空間だった。
「……目覚めましたか、彷徨える知性よ」
厳かだが重低音のビブラートの利いた声が響く。光の渦の中にいたのは、神を自称する存在だった。神は俺に、剣と魔法の世界への転生を提示した。だが、そこには奇妙な「条件」が付帯していた。
「その世界では、生産・召喚・闇・神聖の四属性が『はずれ魔法』として蔑まれている。理不尽に虐げられたそれらの概念に、真なる価値を与えてほしい。君の持つ『論理』という武器で。場所は中世のイギリスのような国じゃ。」
神の言葉によれば、その世界では火・水・土・風の四属性こそが至高であり、それ以外は「呪われた力」あるいは「役立たず」として忌避されているという。
「俺、英語はちょっと……」 と
まとはずれの返事をしてしまった。
理系特有の、論文以外の語学への苦手意識が口をついたが、神は「なんとかなるじゃろ」と笑い、俺を光の奔流へと突き落とした。最後に聞こえなかった神の警告――それが「この世界の魔法理論が、君の常識とは決定的に異なる」という点であったことに、俺は後で気づくことになる。
気がつくと、俺は「エース・ランカスター」という赤子になっていた。
場所はランカスター准男爵領。霧に包まれたイングランドの田舎町を思わせる、石造りの屋敷。父は堅物な退役軍人のアーサー・ランカスター、母は穏やかなベアトリス。そして、優秀な魔力を持つ兄のウィリアム。
前世で報われなかった「研究者」としての魂が、新しい体の中で疼く。
(エピローグ長いですね、ぼちぼち書いていきます。)




