5.バレンタイン
2月になり、3月の受験に向けて高まるピリピリ感の他に、男子達は別の高揚感に包まれていた。
「お前はいいよなぁ、彼女いるし」
「俺らは後輩のマネージャーからもらえるから安泰」
「それは義理やろ」
「ないよりはマシな?」
そう、バレンタインデーだ。女子から男子にチョコを送るというある時から日本に広まり始めた文化。教室は授業中にも関わらずそんな話が聞こえてくる。
俺はというと、別に女子と話せないわけではないが、チョコを貰えるレベルかと言われればそうではない。小学校の頃から特に縁のない話なので何も気にはならない。
「はい、静かに。今日は面接の練習するから1人ずつくるように。それ以外は受験勉強、以上」
そう言うと一人目を呼び、教師は教室を後にする。
残された教室の中は完全に集中するもの、一応気を遣いながらもおしゃべりをするものに分かれている。なぜ、こんな状況になっているかというとクラスに数名推薦入試で受かったものが出てきたからだ。受験さえ乗り越えれば、ほとんどの人間が勉強をする理由がなくなってしまうからだ。
勿論、俺は特に何か誇れるものがないため普通受験以外の選択肢はない。
「蓮は勉強大丈夫そうか?」
「あぁ、まぁね」
「いーよなぁー蓮は頭いいから」
クラスメイトとの適当な会話。頭の中には、きっと遊ぶことしか考えておらず勉強なんて受験の手段でしかないなんて考えている連中。なんとなく、どんどん苦手になっていく。
別に、俺自身も特に目標なんかあるわけではないのだが。
それから数週間後、いよいよバレンタイン当日の放課後。
学校側は、表向きにはお菓子の持ち込みは禁止にしている。だが、朝に校門の前で
「何とは言わないが、放課後にしろよ」
生徒指導の教師が、理解のあるような笑顔で、登校する生徒にそんな風に声をかけている。それはつまり黙認しているのだ。まぁ、そんなに理由が理由なだけに節度を守れば禁止にする理由もないのだろう。
「隼人、こっちきて」
「うん」
そわそわとあちらこちらでクッキーやチョコの渡し合いが始まっている。カップル、後輩、友達同士。関係は色々あれどどこもかしこもいつにもましてカラフルな盛り上がりを見せていた。
当の俺はというと、別に理由もないので放課後と同時に靴箱へと向かい下校しようとしていた。バレンタインなんてなんの関係もないイベント。嫉妬や羨望はないが、心には変なざわめきがあった。
「れーん!」
靴紐を結んでいる時、ゆるりとした大きく名前を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると、そこに駆け足で友達とやってくる千夏がいた。
「いやさ、教室で、聞いたらもう帰ったって言ってたから」
「あーごめん。何かあった?」
千夏とはあれから時々メールで勉強の進捗をやりとりする程度しかしていない。顔を合わせて話すのはかなり久しぶりだ。
「うん、これ渡そうと思って」
千夏は手提げ鞄に手を入れて、袋を一つ俺に手渡した。
「これは?」
「一応仲良い友達に配ってるから、蓮にも」
プラスチックの袋は、ピンク色のリボンで結ばれている。その中にはチョコチップのクッキーが2枚。
「ありがとう……」
俺は予想もしていない状況に、この上なくシンプルな最低限のお礼しか口から出なかった。普段ならもう少しふざけたり、しっかりとした答えが言えたはずなのに。
「妹が作ってたから何枚か一緒に作ったやつ。味は多分大丈夫だと思うけど、不味かったらごめんね」
それだけ言うと、千夏はまた友達とどこかへと行ってしまった。
手にはくしゃっとした袋の感触。心のざわめきは治ったような、変わらないような。
俺は帰り道、リボンを解いてクッキーを1枚齧る。
「……結構美味しい」
誰に届くわけではない独り言を呟いた。




