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16話 甘酸っぱい香り、溢れる想い

いい匂い―――


甘くて酸っぱい、柑橘系の香り。

オレンジ?レモン?

だけじゃないかも?


鼻の奥にツンと刺すような匂いも。

ミント....かな?


「本当にルーナそっくりね。あの子がうちに来た時を思い出すわ。そう思いませんか?」


「ああ、そうじゃな。」


声が聞こえる。

男と女の声。どちらも、歳をとった感じの声だ。


ゆっくりと目を開けた。

木でできた天井。

そこから、紐で吊るされたドライフルーツが見えた。

オレンジやレモンなどの柑橘類がたくさん。


さっきからする匂いの素はこれだろうか?


「......はっ!?」


思わず、身を起こした。

あれからどうなった?

俺は蜘蛛の群れに囲まれて、魔力切れを起こして....気を失って....


「あら、気がついたのね。思ったよりも早いわね。あなた!起きましたよ!」


「...ああ、今いく。」


俺は、ベッドにいた。

周囲を見渡した。どうやら建物の中だ。古いログハウスのような作りだった。


すると、1人の女性がベッドの脇に腰掛けた。

白髪の女性だった。肩より少し下まで伸ばした髪を束ねている。優しそうな目をこちらに向け微笑んでいる。目尻に浮かぶシワが彼女の年齢を物語っていた。


部屋の奥から、もう1人歩み寄ってきた。

同じく白髪の男。すらっと背が高く、長いローブを纏っている。細長い顔に白い口髭を生やし、目を細め、値踏みするように俺の顔を見ている。一言で言えば、無愛想な老人といった印象だ。


この2人が、セレオンが言っていた夫婦だろうか?


「気分はどう?」


老婆が話しかけてきた。


「あ、あの...俺はどうしてここに?」


「あなた森でマグモラに襲われたでしょう?魔力切れを起こして倒れたあなたを、この人が抱えてきたのよ。」


「マグモラ...あの蜘蛛の事ですか?」


「マグモラを知らなかったのか?それであんな無茶苦茶な魔法を放っていたのか....。ちゃんと教えておらんのかアイツは....。」


男がため息をつきながら話した。


「まあまあ、急な事だったんだし仕方ないわよ。」


なだめるように、お婆さんが一言はさんだ。


「あの...ありがとうございました。助けてくれて。」


「なんて事ないわよ。この人見かけによらず、困っている人は放っておけないの。あなたなら、尚更ね。」


言葉の意味がよくわからず、きょとんとしてしまった。それを見たお婆さんは、ニコリと笑った。

その笑顔にどこか見覚えがある気がした。


「それで、あなた達は一体...?」


「あら、そうね。あまりにそっくりだから、初めてな気がしなくてつい。」


お婆さんは、背筋を伸ばした。


「初めまして。私は、リリア=マギアス。それでこの人がモーデル=マギアス。この隠れ家と森の管理をしているの。」


「....マギアス?」


「そう。あなたのお父さんの両親。つまり、あなたのお爺さんとお婆さんよ。」


「あ、えーと...」


言葉に詰まった。そしてこう答えた。


「は、初めまして。レヴェラール=マギアスです。」


祖父母に対する、挨拶にしてはあまりに他人行儀な挨拶になってしまった。




「それで...なにがあったんじゃ?」


モーデルが問いかけてきた。

それを聞いて、思い出した。


「あっ...そうだ。手紙を預かってます。」


「手紙なら読んだ。一言、『家族をよろしくお願いします』とだけ書いてあるだけで、詳しいことは書いておらんかった。まあ、大体は想像付くがな。」


俺は、あったことを一つずつ順番に話した。

騎士の息子に魔法を使ったこと。騎士がやってきて、俺とセレオンを拘束したこと。セレオンが犠牲になって俺を逃がしてくれたこと。


「そう...大変だったわね。」


リリアは労いの言葉をかけてくれた。


モーデルは、何も言わずに小屋の玄関を開けて出て行った。


「よし、じゃあご飯にしましょう。魔力切れを起こしたんだから、しっかり食べないとね。」


そういうとリリアは立ち上がり、キッチンへと向かった。そのとき、彼女が少し足を引きずっているのに気がついた。


「あの、俺何か手伝います。」


「いいのよ、そのまま休んでいて。」


「....でも」


リリアは少し考えて、


「じゃあ、そこの棚から食器を3つ出してもらえる?」


俺はベッドから出て、キッチンへ向かった。


「あとね、レヴェラールちゃん。敬語はやめてちょうだい。初孫にそんな他人行儀にされたら悲しいわ。」


「....わかった。俺は、レヴァでいいよ。」


「わかったわ、レヴァちゃん。私のこともおばあちゃんでいいのよ。」


リリアは優しく笑った。その笑顔がどこかルーナと似ている気がした。


ふと、家で家事をするルーナの姿が彼女の後ろ姿と重なった。ルーナは大丈夫だろうか。

お腹の子供は。

セレオンはーーーー。


気づけば俺は手が止まっていた。


「レヴァちゃん...」


リリアが俺の前に来て、膝をついた。

それから優しく抱きしめ、俺の背中をポンポンと叩いた。


「...いまいくつ?」


戸惑いながら答えた。


「え、えっと...6歳。」


「そう、6歳...。」


少しだけ間があった。


「あなたはとても賢い。きっと才能にも恵まれている。そうじゃなきゃここまで生きて辿り着けなかったでしょう。」


「あ、あの...」


「でもね?」


リリアは、俺の背に手を回したまま続けた。


「まだ6歳なの。」


その一言で、胸が軋んだ。


「子供はもっと甘えていいの。頼っていいの。わがままを言っていいの。」


「...........」


「...それは弱さではないわ。」


リリアは優しく髪を撫でた。

しばらく何も言えなかった。


「……約束したんだ」


声が、勝手にこぼれた。


「母さんと……人前で、魔法は使わないって……」


喉が詰まる。


「でも……ティナが……放っておけなくて……」


言葉が途切れる。


「父さんが……戦ってて……俺……怖くて……」


リリアは、何も言わなかった。

ただ、背中を撫でていた。


「……逃げた」


「……」


「見捨てた……」


その瞬間、溢れ出した。


「くやしい……!」


言葉にならない声が、喉の奥から溢れた。


「……っ、う……」


声が崩れて、息が乱れる。


リリアは、強くも弱くもなく、ただ抱きしめていた。


「……よく、ここまで来たね。」


その一言で、完全に崩れた。


「うわあぁぁぁぁぁ……!」


胸の奥に溜まっていたものが、一気に流れ出した。


リリアの胸でひたすら叫んだ。

ひたすらに泣いた。


怖かった。

辛かった。

悔しかった。


色んな想いがぐちゃぐちゃにかき混ぜられて、胸を締め付けた。


リリアはしばらく、何も言わずに背中を撫でてくれた。


ここでは、泣いても追われなかった。

誰も咎めなかった。


甘酸っぱい香りの中で―――

しばらくの間、涙を流し続けた。





食卓に料理が並んだ。

パンが山盛り。

大きな器には並々注がれたスープ。

にんじんとじゃがいも、そしてベーコンが入ったもの。

ルーナの得意料理。

俺の大好物。


スープの蒸気と香りが、泣き腫らした俺の瞼を温めた。


「おばあちゃん、この料理って....」


「私が長年研究した料理よ。一番自信があるの。なにか苦手なものある?」


「ううん....なにもないよ。俺の好物ばかりだ。」


まだ、口にはしてないのに体が温まった気がした。


「フフフ。ご飯の好みはセレオンに似たのかしらね...。」


リリアは窓を開けて、小屋の壁についた鐘を鳴らした。


カランカラン―――


そして、食卓の席についた。

少しして、モーデルが玄関を開けて戻ってきた。


キッチンで手を洗い、席に座った。


「じゃあ、頂きましょう。3人でご飯なんて久しぶりね。


リリアが嬉しそうに言った。


「頂きます。」


モーデルは淡々と言った後、黙々と食べ始めた。

リリアもニコニコしながら、「頂きます」と言って食べ始めた。


「......ます。」


ボソッと挨拶して、スープを口に運んだ。

一口飲んで、スプーンが止まらなくなった。

並々注がれたスープは、あっという間に消えた。


「おかわりは?」


「......食べる」


リリアは、再びスープをよそってくれた。

そしてまた、口に運ぶ。

身体中に活力が染み渡る。

結局その時俺は、スープ三杯とパンを2つを平らげた。



食事の後片付けを手伝い、俺とリリアは一息ついていた。

今更になって、思いっきり泣き叫んだのが恥ずかしくてリリアの顔を見れなかった。


「レヴェラール。」


モーデルが突然話しかけてきた。

思わず驚いてしまった。


「は、はい...」


「あなた、この子普段はレヴァと呼ばれているそうよ。そう呼んであげましょうよ。」


「レヴェラールでも間違いではないじゃろ。」


「ハイハイ、初孫の前だからって緊張しちゃって...フフフ。」


この人のどこが緊張しているんだ?むしろこっちが緊張してくる。

2人のやり取りを聞いてそう思った。モーデルは変わらず、少し眉間に皺を寄せて真っ直ぐに俺を見ている。


「す、好きに呼んでいいよ。」


「レヴェラールよ、お前にとって魔法はどんなものじゃ?」


「え?ど、どんなもの....?」


「深くは考えんでいい。思った事を言いなさい。」


この人は何を聞きたいんだ?

俺は色々とモーデルの意図を汲み取ろうと考えた。


「はぁ...違うそうではない。」


モーデルは少しため息をついて、また問いかけた。


「思った事をそのまま言いなさい。お前にとっての魔法はなんじゃ?」


少しだけ間を置いて、俺は話し始めた。


「魔法は....俺の趣味みたいなもの...かな?」


「趣味...?」


「うん。俺にとって魔法はわからない事だらけで...でもそれを理解しようと、実験して研究して...それがとても楽しかった。」


「....続けなさい。」


「母さんは、俺が魔法が好きな事を嬉しそうに見守ってくれてた。母さんの妊娠がわかってからは、魔法で手助けしようとしてもっと色々知りたくなった。実際、少しは力になれていると思ってた。」


モーデルは眉ひとつ動かさずに、俺の話を聞いていた。横でリリアも、黙って聞いていた。


「俺にとって魔法は素晴らしいもので....人々の暮らしを豊かにできて...家族の笑顔を増やせるもの....そんなふうに思ってた。」


この世界に来てからのことを、振り返った。


「でも...その魔法がきっかけで...父さんは捕まった...」


リリアが少し目線を落とした。


「俺は...知らなすぎる...。騎士や、魔石の事だって昨日初めて知った...」


胸の奥が熱くなるのを感じた。


「もっと...強くなりたい...。もっと...力が欲しい...騎士にも負けないくらいの力を....」


モーデルが少し、眉を寄せた。


「もう、何も失いたくない。何もできないのは...もう嫌だ...。」


気づけば、膝の上で拳を固く握っていた。


「おじいちゃん。」


顔を上げ、モーデルの目を見た。


「母を...父を...家族を取り戻すために...」


椅子から立ち上がり、深々と頭を下げた。


「俺に...魔法を教えて下さい!」


モーデルは何も言わずに椅子から立ち上がり、玄関の扉を開け―――立ち止まった。


そして一言、言い放った。


「今のお前に教える事はない。」


玄関の扉が閉まった。


俺は、立ち尽くすことしか出来なかった。

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