15話 霧の森と白い閃光
レグノスの追跡を振り切った後、俺は平原を走り続けた。
途中で、馬を休ませたり魔法で作った水を飲ませたりしながら、進み続けた。
気づけば空が白んできた。
朝だ。
夜通し走り続けたのか。
ふと進行方向を見ると、目指していた山が大きくなっていた。山の麓には、樹海が広がっているのが見える。
「だいぶ近づいてきたな。あの森が目的地だ。多分もうすぐだぞ。」
ここまで頑張ってくれた馬に労いの言葉をかけ、首をポンポンと叩いた。
馬はブルルと小さく鳴いた。流石に疲れているようだった。俺も長時間馬の背に乗るなんて初めてだ。
地平線から朝日が上り始めた。秋風に当たってすっかり冷え切った頬に、日が差し込む。じんわり顔に当たる陽の光が暖かかった。
森の入り口に着いた。目の前には、巨大な木々が立ち並び人が立ち入るのを拒んでいるようだった。
俺は馬を止めて、背中から降りた。
「たしか、父さんの話だと石碑があるって....」
周囲を見渡した。
一直線に立ち並ぶ木々が永遠と続いているようだった。しかし、石碑のようなものは見当たらなかった。
「すこし、移動してみよう。」
馬の手綱を引いて、朝日が昇る方へ歩いた。
こんな巨大な樹海で本当に人が住んでいるのだろうか?老夫婦と言っていたけど一体どんな人なんだろう。
そんな事を考えながら、数分歩いた。
すると木の足元に、明らかに植物以外のものがあるのを見つけた。
「あった!石碑だ!」
石碑に近づいた。石碑は俺の胸の高さほどの大きさで、かなり古びていた。所々、欠けたり角が取れたりしている。中央に縦書きで文字が彫られているが、それもすり減ってほとんど読めない。
しかし、明らかに人間が作ったものだった。
俺はセレオンの指示を思い出し、石碑に手を当てた。
そして、詠唱を口にする。
「アニルギアよ、我を隠し道を示せ」
アニルギアが石碑に向かって集まり始めた。そして一つの光の塊になった。光は素早く飛び回った。俺の周りを何周かして、馬の頭の上を飛び回った。光は一度石碑の前で停止したかと思えば、急に森の奥へ飛んでいってしまった。
「...あれが、道案内じゃないよな?あの速さに着いていけるわけ....」
石碑の前で立ち尽くしていると、突然木々がざわめいた。風が森を揺らした。時々聞こえる風の音が化け物の声のように、こちらを威嚇しているようだった。
そして、たちまち木の足元から霧が立ち込めた。
「こんなとこ入っていけって事かよ?一瞬で遭難するぞ。」
怖気付いていると、馬がフンと鼻息を鳴らした。
「まったく、君は頼もしい限りだよ。...よし、行こう。」
俺は馬に再びよじ登り、気を引き締めて脇腹を蹴った。馬は、森へと歩き出した。
森の中は薄暗かった。高く伸びた木々が陽の光を遮っていた。そして、数メートル先は霧で何も見えない。俺は注意深く進んだ。
振り返ると、森の入り口はすっかり見えなくなっていた。
すると遠くの方森の奥から声が聞こえてきた。
少女のような声。
「フフフ....こっちだよ。そのまま進んで...フフ。」
一体誰なんだ?これも魔法の一種なのだろうか?それとも、人の言葉を話す魔物が俺を誘っているのか?どちらにせよ、もう引き返す道もわからない。声のする方は進むしかない。
「そうそう...そのまま真っ直ぐ。」
進むと、少しだけ声が近くなってまた遠いところから聞こえた。
「君は誰なんだ?」
俺は質問を投げかけてみた。
「フフフ...こっちこっち。」
返事はなかった。声はただ同じような言葉で俺を導くだけだった。
ガサッ!!
ふと左側から、音がした。
なんだ?誰かいるのか?
ガサガサッ!
今度は右から音がした。馬がブルルと鳴いた。明らかに周囲を警戒している。
動物か?熊なんか来たらひとたまりもないぞ。
ふと目の前を、真っ黒い"何か"が横切った。しかしそれは、一瞬で霧の中へ消えてしまった。
「い、今のはなんだ?」
ガサガサガサ!!
今度は、後ろから音がした。いや、後ろだけじゃない。右からも左からも音がする。
湿った獣臭。
土と腐葉の匂いに混じって、甘く生臭い何かが鼻を突いた。
囲まれた。
"何か"の正体はわからない。数もわからない。霧が濃くて姿も見えない。しかし、"何か"が周囲を取り囲んでいる事は、気配で分かった。なぜだかそう確信した。
「...クソ!霧が濃すぎる!」
まずはこの霧をなんとかしないと。風魔法で吹き飛ばすか。
俺は右手を突き出した。
「正直苦手だけど...」
右手にアニルギアを集めた。そして、激しく回転させる。風魔法は、簡単に言えば扇風機だ。羽を回転させて風を起こす。
扇風機のイメージ...扇風機...
「風球!」
魔法を唱えた。すると手のひらから、優しく風が吹いた。
「....やっぱりダメか。」
俺は、魔法の研究の中で基礎魔法と呼ばれるものは一通り試した。その中でも、風魔法だけは苦手だった。イメージしたのは扇風機。アニルギアを羽の形にして、回転させる。でも俺は、セレオンみたいにアニルギアを好きな形状や自在に動かすことが出来なかった。そもそも、アニルギアが回転するだけで風が起こるという事自体、イメージしにくかった。
だからいつも、今みたいに少しそよ風が吹く程度だった。
とにかく、今は俺を取り囲む"何か"の正体を掴まないと。風で霧をはらう以外の方法で。
霧は、基本的に空気中の水分が目に見える状態。周囲の温度と湿度の差によって発生するもの。湿度が高い状態で、気温が下がると霧が出る。
つまり、湿度を下げるか気温を上げれば霧は消える。
「これしかない。火球!」
両手に炎を作り出した。いつもより大きい炎だ。
「おらっ!」
炎を2つ続けて正面に投げた。
炎は地面にぶつかり揺らめいた。周辺の温度を上げる。だんだんと炎の周りの霧が消え始めた。
そして――――それは姿を見せた。
「な、なんだあれ。」
そこにいたのは真っ黒い毛むくじゃらの生き物だった。大きさは中型犬くらい。左右に4本ずつ伸びた細長い足と、8つの目玉。鋭い牙をガチガチと鳴らしている。
巨大な蜘蛛だ。
体毛が霧の水分を含んで、不気味に光っていた。
「で、デカすぎるだろ。」
姿を現した一匹の蜘蛛に続いて、ゾロゾロと霧の中から蜘蛛が出てきた。見えるだけでも6匹...いや、10匹以上に囲まれていた。
「ヤバすぎる。こんな数をどうやって...」
巨大な蜘蛛の群れが、ジリジリと近づいてくる。
なんとかしないと。
蜘蛛が苦手なものってなんだ?蜘蛛は夜行性だったはず。暗いところが好きだ。
「...強い光を出せれば。」
俺は必死に頭を回転させた。強い光。何かないか。強い光を生み出す化学反応...
「そうだ!」
蜘蛛はすぐそばで、牙をガチガチと鳴らしている。今にも飛びかかってきそうだ。
「アニルギア!」
俺は右手にアニルギアを集めた。
「変換!」
そしてアニルギアは、白い粉末に変わった。ずっしりと手に粉の重みが加わる。
「よし!出来た!思ったよりも多いけど...つべこべ言ってられない!」
俺はその粉を、地面で燃える火球に向かって投げた。粉は炎に触れると同時に、勢いよく反応した。
シューーー!!!
パチチチチチチ!!!
その瞬間、激しい音を立てながら眩い光が周囲を照らした。白い世界に閉じ込められたようだ。咄嗟に、目を覆った。目を瞑っていても眩しいほど強い光だった。
瞼の裏から、光が収まったのを感じてゆっくり目を開ける。
蜘蛛たちは居なくなっていた。
白い粉は、一瞬で燃え尽きたのか元の炎の周りに茶色く焦げて落ちていた。
周りが急に静かになった。
「うまくいった...。あの量のマグネシウムを燃やしたのは初めてだな。あんなに強い光だなんて....。粉末だったから、表面積が大きくて一瞬で燃え尽きたのか....。」
「フフフ、こっちだよ。」
森の奥から、声が聞こえてきて我に帰った。
「そうだ、今のうちに進もう。」
俺は、馬を進めてさらに森の奥へと進んだ。
「しつこいなぁ!!」
俺はまた蜘蛛に囲まれていた。
最初に蜘蛛を追い払ってから、もう5回目だ。光で追い払っては、数分進み、また囲まれて追い払うの繰り返し。
俺は、流石にイライラをあらわにしていた。
「ただでさえデカい蜘蛛なんか見たくないのに、何度も襲ってきやがって!お前らも学習しろよ!」
カサカサ
ガチガチ
蜘蛛たちは、また牙を鳴らす。久しぶりの肉にありつけるといった様子で、涎をダラダラと垂らしていた。
「アニルギア!変換!」
俺はまた、マグネシウムの燃焼反応を起こすべく、アニルギアを集めた。
ふと気づいた。
アニルギアの集まりが、最初より遅い。
一度に作り出せるマグネシウムの量も、心なしか少なくなっているように感じた。
しかし、蜘蛛たちはそんなことは関係なしににじり寄ってくる。
手にずっしりとマグネシウムの重みが降ってきた。指先が震える。
「...クソッ、くらえ!!」
俺は5回目の光を放った。周囲が白く包まれる。そして、蜘蛛はまた霧の中へ逃げていった。
「まったく、いつまで続くんだ?....先を急がないと。......!?」
その時、急にめまいが襲ってきた。視界が眩む。
「まずい...魔力切れか...?」
夜からずっと走り続けていたし、今日は使い慣れない魔法を何度も使った。今思えば、魔力がかなり減っていてもおかしくなかった。
「や、やばい。意識が....。」
ドサッ...
俺は、馬の背から落ちた。立ち上がれない。頭をバシバシと叩いて無理やり、意識を保とうとした。
すると、周りからガサガサと音が聞こえた。
蜘蛛が戻ってきた。
「クソ...マジでやばいな...。」
ヒヒィン!!
頭の上で馬が鳴いている。
「ああ....今起きる...おきる...から...」
俺は無理やり立ちあがろうとした。しかし、また地面に顔をつけた。足に力が入らない。世界がぐるぐる回っている。吐き気もしてきた。手が痺れる。
「ちくしょう...ごめん、母さん。俺が守るって決めたのに...お腹の子供も...。」
ローブをギュッと握りしめた。
「ごめん、父さん...必ず生き残るって約束したのに....。」
意識が薄れていく。
蜘蛛が数匹、俺の周りを取り囲んだ。
――後を頼む。
あの一言が、耳の奥で何度も反響した。
「....もっと力が....あれば....」
ガササッ!!
蜘蛛の一匹が、奇妙な動きをした。
前脚をすくめ、後ずさるように距離を取る。
ザッザッザッ...
別の足音が聞こえた。
蜘蛛とは違う何か。
フワッと体が浮いた。
蜘蛛って獲物を持ち帰るんだっけ?
最後の力を振り絞り、目を開けた。目の前に、黒いフードを被った男の顔があった。ぼやけて、人相はよく見えない。
しかし、どこか見覚えのある顔な気がした。
「....と...う....さん....?」
その顔を見たあと、意識が途切れた。
気を失う直前、甘酸っぱい匂いがした。
腐葉土の匂いを切り裂くような、
不自然なほど澄んだ甘酸っぱさだった。




