13話 逃走
「今から、脱出の計画を説明する。よく聞くんだ、レヴァ。」
セレオンは額に汗を浮かべ、淡々と話し始めた。
「ちょ、ちょっと待ってよ!脱出ってどう言う事!?俺、本当に処刑されるの!?」
「いいか?ここから先は常に最悪を想定して動く必要がある。お前1人でも逃げなければならない。だから、落ち着いて聞いてくれ。」
セレオンの表情からは動揺が見られたが、同時に事態の深刻さを感じ取れた。
「わ、わかった。」
「よし。まずはこの牢を魔法で破る。それから屋敷を出て、オルドさんの店へ行くんだ。そこでオルドさんに『緊急事態』と伝えろ。それで理解してくれる。」
「父さんも一緒に行くんでしょ?」
「常に最悪を考えると言っただろ?」
オルドさん?あの人とセレオンはどんな関係なんだ?聞きたい事が山ほど溢れてきた。
「それと、『ルーナとお腹の子供を頼む』と伝えてくれ。」
「え?」
「流石にルーナは連れて行く時間はない。今は、七騎士もいるんだ。この脱出は簡単じゃない。自分が生き残ることだけ考えるんだ。」
「そ、そんな....」
「オルドさんが、"荷物"と馬を貸してくれるはずだ。それで真っ直ぐ北へ迎え。一番高い山の方角だ。しばらく行くと、森が見えてくる。その入り口にある石碑に向かってこう唱えるんだ。『アニルギアよ、我を隠し道を示せ』。そこまで行けば、あとは"声のする方"へ進むだけだ。わかったか?」
「俺はどこへ向かうの?」
「着けばわかる。"そこ"にいる老夫婦に、助けを求めるんだ。」
全く計画の全貌が見えない。でも、今はセレオンに従うしかないと直感的に理解した。
「わかった。でも、父さんも一緒だからね。」
セレオンは何も答えなかった。
沈黙がこんなにも重いとは思わなかった。
数秒間俺の目を見つめ―――強く抱きしめた。
「ごめんな、レヴァ。何も父親らしいことをしてやれなくて。もっとお前と魔法の話をしたかった。」
「そんな事言わないでよ!今から一緒に逃げるんでしょ!?」
「ああ。そうだな....。」
セレオンの声は、今にもかき消されそうなほど小さかった。
「よし、じゃあ行くぞ。処刑といっても色々手続きがあってまだ時間がある。うまく行けば明け方までバレない。」
セレオンは立ち上がり、俺の頭を撫でた。
その手は心なしか震えていた。
「よし、まずはこの牢を破る。」
「どうやるの?」
「そうだな....レヴァ、何かいい方法は無いか?」
「えぇ!?」
「俺よりお前の方がいいアイデアがあるだろ?」
「そんな、急に投げやりだな....」
そこは最後までカッコよく決めてくれよ....
牢の扉は、南京錠で閉ざされていた。そこまでしっかりしたものではないが、人の力では壊すことは難しいだろうな。
なにか、鉄を腐食させたりとか、壊しやすくさせれば...
「....焼き入れなんかはどうかな?」
「焼き入れ?どんな魔法なんだ?」
「えっと、鉄を熱した後に急激に冷やすと、強度が上がる代わりに脆くなるんだ。強度以上の力が加われば、ポッキリ折れるようになると思うよ。」
「....なるほど。だけど、それはどっちにしろ最後は力で牢を壊す事になるな。おそらくその音で気づかれてしまう。しかし、冷やすか....。」
「あ、そうか。気づかれたくないんだもんね。」
「よし。これで行こう。」
「え?何か思いついた?」
「ああ、氷で鍵を作る。」
「え?でも、鍵の形状なんて分からないよ。」
「今からそれを調べるのさ。」
セレオンは鉄格子の隙間から手を伸ばし、南京錠を掴んだ。
「アニルギア」
セレオンの手にアニルギアの光が集まる。光は、手の中の南京錠にスルスルと吸い込まれて行く。
「なるほど....よし....これならいけそうだ。」
セレオンは、南京錠を放し手のひらを上に向けた。そこには、アニルギアの光が集まって鍵の形になっていた。
「水よ」
セレオンが呟くと、光の鍵は輪郭を残したまま水の鍵へと変わった。その水は形を崩すことなく、鍵の形を保ち続けた。
「氷よ」
そして、水の鍵はパキパキと音を立て、氷の鍵になった。
「す、すごい。アニルギアをそんな風に使うなんて。」
「伊達に魔法使いやってるわけじゃないさ。レヴァのアイデアには驚かされるけど、お前はもっとアニルギアと"対話"した方がいいな。アニルギアを集めたり、動かすだけならタダなんだから。」
俺は、あんな風にアニルギアを自在に動かしたりできない。そんな使い方、考えもしなかった。
「...ていうか、父さん。詠唱は?」
「ん?何言ってるんだよ。お前だってしてないだろ。」
「いや、だって....」
「目の前に、魔法の天才がいるんだ。学ばない手はないさ。」
そう言うと、セレオンは作った氷の鍵を錠に差し込み、ゆっくりと回した。
ガチャ....
鍵が開いた。
セレオンは静かに、南京錠を外し牢の扉を開いた。
ギィ、という音が地下牢に響く。普通なら気にならない音も今だけは大きく聞こえた。
「レヴァ、さっき言ったことは覚えてるな?ここから先は自分が助かる事を一番に考えるんだ。」
「うん、分かった。」
セレオンは立ち上がり、牢から出た。音を立てないように、俺はセレオンに続いた。
地下牢の階段を上がり、廊下に出た。セレオンは角から顔を出して周囲を見渡した。
「よし、誰もいないな。行こう。」
セレオンに続いて廊下に出た。
廊下は薄暗く、静かだった。所々にある燭台の火がユラユラと揺らめいた。
緊張のせいで頭がおかしくなりそうだった。心臓の鼓動がうるさい。ふと、後ろから誰かが見ている気がして振り返ったが、気のせいだった。
廊下の曲がり角に差し掛かった。セレオンはまた慎重に覗き込んで、周囲を確認した。誰もいない。
忍足で、廊下を進む。
扉の前を通り過ぎた時....
ガチャ...
扉が開いた。
セレオンは振り返り、俺を後ろへと隠した。
中から、鎧を纏った男が出てきた。
こちらに気づく。
ゼイバルトだった。
「....最悪だ。」
ゼイバルトは、ほんの一瞬驚いた様子だった。しかし、瞬時に状況を理解した。
数メートルの距離を一瞬で詰め、斬りかかってきた。
「アニルギア!鉄よ!」
セレオンは、即座にアニルギアをに集め、細長い鉄の棒を作り出した。
ガキン!!
廊下に鉄同士がぶつかり合う音が響く。
俺は、一瞬の出来事に立ち尽くしていた。
「レヴァ!!逃げろ!!!」
セレオンの怒号を聞いて、ハッとした。
逃げなきゃ。
殺される。
今度は、本気だ。
「今すぐ投降しろ。貴様ら魔法使いが抵抗できるほど、騎士は甘くない。」
「やってみなきゃ分からないさ。」
ギャリン!!!
セレオンが剣を弾き、お互いに距離を取った。
「レヴァ!さっき言った事を思い出せ!」
「父さんも一緒に逃げよう!!俺も加勢する!!」
「ダメだ!!!」
なんでよりによってコイツに見つかるんだ。
こんなの....
「なぜ逃げる。大人しく投降すれば、命は見逃してやる。」
「ゼイバルトさん。あなたは悪い人ではないが、真面目な人だ。上の命令に逆らうなんてしないでしょう?」
「....誰に処刑のことを聞いた?」
ゼイバルトは、やはり一瞬で理解した。
「いや、とある"親切な人"が教えてくれたのさ。」
「そうか。では、仕方ないな。力ずくで牢に連れ戻す。」
ゼイバルトは、剣を構え直した。すると、ゼイバルトの剣はバチバチと音を立て、雷を帯びた。
「アニルギア!水を熱しろ!!」
セレオンは右手を突き出し、水を作り出し瞬時に蒸気へと変えた。
俺がゼイバルトの雷撃を防いだのと同じ方法で、防ぐつもりだ。
ゼイバルトの前に蒸気が漂う。蒸気がバチバチと電気を発散させた。
「レヴァに聞いておいてよかった...。今のうちに、早く逃げろ!!」
次の瞬間、ゼイバルトが蒸気の中から飛び出し、足を蹴り上げ、瞬く間にセレオンは床に転がった。
セレオンの喉元にゼイバルトの剣が突きつけられる。
「魔石の攻撃を防げば対抗できると思ったのか。騎士が騎士たる所以は、その鍛え上げた身体と剣技によるものだ。決して魔石に頼った力ではない。」
これが騎士の力―――――敵わない。
雷撃をなんとか出来ればあるいはと思ったが、ゼイバルトの言う通り体術や剣術で敵う相手ではない。それに、魔石の魔力はめったに尽きないとセレオンが言っていた。持久戦に持ち込まれれば、魔法使いは圧倒的に不利だ。
足の震えが止まらなかった。
初めて命のやり取りを目の当たりにして、俺は完全に戦意を失ってしまった。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
だけど足が動かない。
「レヴァ!!!」
セレオンの叫びが頭に響いた。
目が合った。
セレオンは力強く、そして熱く燃えたぎる瞳で俺をまっすぐ見つめた。
「後を頼む。」
たったその一言で、胸が裂けるほど痛んだ。
でも、それと同時に足が勝手に動いた。
走れ。
今すぐ。
足を動かせ。
「逃がさん。」
ゼイバルトが、剣を前に突き立て再び雷撃をまとった。
「アニルギア!炎よ!」
床にのびたセレオンの手から、ゼイバルトの顔めがけて火球が飛び出した。
ゼイバルトは、反射的にセレオンの上から飛び退いた。
火球は石壁にぶつかり、爆ぜて赤い火花を散らした。
「...邪魔をするな、セレオン=マギアス。」
雷を纏った剣を構え直し、ゼイバルトが苛立ちを含んだ声で言った。
「それは無理です。」
セレオンは、立ち上がりながら言った。
「あの子は、"俺たち"の希望になる。」
「どう言う意味だ?」
鋭くい視線はまっすぐにセレオンに向かう。
セレオンは僅かに笑った。
「息子を守らない父親はいないってことです。それに....」
セレオンは右手を前に出し、構える。
「俺はあなたとも戦いたくはない。見逃してくれませんか?」
ゼイバルトの目が細められる。
「それは出来ない。」
ゼイバルトの声が、わずかに低くなった。
「私はこの国の騎士だ。」
次の瞬間、どちらが動いてもおかしくない――――
そんな張り詰めた沈黙が落ちた。
俺は、一心不乱に走った。
怖くて、怖くて、
とても後ろは振り返れなかった。
鉄同士がぶつかり合う音。
セレオンの魔法を放つ声。
火球が放つ熱。
何かが焦げた臭い。
2人の戦いで巻き起こるたくさんの情報が、背中越しに伝わってきた。
それでも俺は、振り返ることができなかった。
心臓の鼓動が速い。
緊張なのか、走っているせいなのか、あるいは両方か。
視界がぼやける。
涙なのか、汗なのかも分からない。
ちゃんと走れているかすら曖昧だ。
足はもつれそうで何度も転びかけた。
廊下に置かれた燭台の炎が、"臆病者"と笑いかけるようだった。
「父さんを置いて.....俺だけ....!」
情けない。
最低だ。
それでも、足が止められない。
ただ怖かった。
その恐怖心が、俺の背中をひたすらに押し続けた。
背後で何かが爆ぜる音がした。
セレオンの声が聞こえた気がした。
それでも、振り返れなかった。
振り返ったら、きっと立ち尽くしてしまう。
止まってしまったら、二度と走り出せない。
だから、ただ前を見た。
必死に、息を吸って吐いて、走ることしかできなかった。
肺が焼けるように熱い。
心臓が破裂しそうだ。
それでも俺は――――
父さんを置いて逃げた。




