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どうあがいても悪役令嬢になれません! ~わたくし、完璧な悪事を働いているはずなのに、なぜか聖女と崇められて断罪フラグがへし折られていく件~  作者: 和三盆


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第32話「春雨のあとに残るもの」

城下の春は、ゆっくり、でも確かに訪れていた。瓦屋根に花びらが落ち、通りでは長い冬のあいだ眠っていた商いが小さな声を取り戻す。だが街の空気は完全に晴れてはいない。断ち切った糸の端は散り、そこから新しい息吹が芽生えようとしている最中だった。


セレスティアは朝いちばんに薬屋を訪ね、被災した地域へ送る薬袋を受け取った。媒体としての役目は終わっていない。人々の生活が動き出すいま、できることはなるべく手を差し伸べることだと彼女は思う。ルシアが隣で薬袋を数え、マリエルが必要な成分のリストを確認している。連携が自然に行われるのは、ここまで来たからこそだ。


昼過ぎ、評議会の執務室は忙しく、だが緊張は少し和らいでいた。制度改変の草案を具体的な条項に落とし込み、誰が何をいつまでに行うかが固まり始める。アレクシスは城の守りと公正さを天秤にかけながら、慎重に裁量を振るっている。セレスティアはその合間に、今回の事件で苦しんだ人々の名簿と一つずつ照らし合わせ、補償の優先順位を決めていく。


夕刻、彼女はふと一通の手紙を思い出す。先日、匿名で届いた短い文。真夜中の薬屋の裏で会った老婦人からの追加の証言が記されていた。中には、長年の秘密として仕舞われていた小さな名前の列が含まれている。表に出せば誰かが傷つく可能性があるが、隠しておけば真実は再び闇へ沈む。責任の重みが、胸にじんわりと響く。


「この名前、確認できますか?」セレスティアが差し出すと、サミュエルが書類をめくり、眉間に浅い皺を寄せる。数人の名は既に把握済みだが、幾つかは微妙な立場にある。公的には無名でも、実際には影響力を持って動く者が混ざっている。彼らをどう扱うかで、街の未来が変わる。


夜、静かな茶室でルシアと二人、火の暖かさに寄り添う。外は小雨がしとしとと降り、窓ガラスに雨の筋が映る。雨音は奇妙と安心を同時に運んできて、沈思黙考の時間が自然に生まれる。


「お嬢様」ルシアがぽつりと言う。「あなたはじめのころの‘舞台’を求める気持ちを、本当に手放したのですか」

セレスティアは茶を含み、目を細めて外の雨を見た。「演じるのは好きよ。でも今は、舞台を使って人を守る方を選ぶ。拍手で終わるのではなく、明日の暮らしを作ることに、心が向いているの」


言葉には揺れがなく、決意が含まれる。ルシアは頷き、二人は黙って湯を飲んだ。静かな時間が、互いの疲れを少しだけ溶かしてくれる。


深夜、密やかに組まれた調査が新しい動きを捉える。北の港で動いていた仲介者の一人が、近郊の小さな邸宅へ資金を流していたという記録が見つかったのだ。表向きは慈善の寄付だが、注釈を辿ると受領の名には、今回明かされた略号が付されている。つながりは切れていなかった。むしろ、新しい網が細く、しかし確実に張られようとしていた。


セレスティアは護衛を少数だけ連れて、その邸宅へ忍び込むことを決める。動きは速く、だが静かに行われる。城の暗がりを抜け、月明かりのもとに浮かぶ屋敷の壁が近づく。守衛の目を逸らし、窓の隙間から中の様子を覗くと、暖炉の灯りに揺れる一群の人影が見えた。歓談と紙めくる音、そしてやや緊張した声。会合の性質は一見穏やかだが、帳簿の数字が幻灯のように心に刺さる。


侵入の手順は最小限の証拠確保が目的だ。だがそこに、思いがけない顔が含まれていた。街の慈善団体を率いる令嬢が一人、挙手して話している。その笑顔は慈愛に満ちているが、傍らの帳面には今回の略号と一致する渡し書が並ぶ。表向きの顔と、裏で走る線の狭間が、ここにある。


セレスティアは足を踏み入れ、灯りを規則正しく消していく。気づかれないように動き、つま先で布を踏みしめながら戸棚の引き出しを開ける。紙片を手に取ると、そこには細い文字で「手配済み」「各所へ配布済み」と走り書きがある。慈善と見せかけた資金移動の事実が、ここで確かめられる。


だがその瞬間、背後で静かな声がする。「ご苦労さま」──振り向くと、窓辺に薄暗い影が立っていた。月明かりに横顔が浮かび、そこに立つのはリュシアンだった。彼はいつも通り、笑いを少し含ませながらも、眼には知恵の光が宿る。


「こういう夜は、驚きがあって面白い」リュシアンが近づく。「だが驚いてはいけない。表と裏を分ける線は薄く、人の顔色で色が変わるだけ。君が見つけたのは重要な一幕だ」

セレスティアは紙片を胸に抱え、静かに答える。「ここで止めます。公表の使い方を誤れば、善意の声まで砕ける。私は人の暮らしを守るために動くと決めたの」


リュシアンは目を細め、しばらく沈黙したあと、くすりと笑う。「君の変化は、僕にとって興味深い実験材料になった。でも今回は協力しよう。表の顔を守るために、裏の糸を切る。それが君の望む手順なら、僕も手を貸そう」

互いの協力は、不思議と自然だった。かつての敵も、いまは違う形で関わる。セレスティアはリュシアンの申し出を受け、屋敷の帳簿と証拠を抜き取り、静かに引き上げる。夜風が二人の外套を揺らす。


翌朝、評議会の小さな公開で、その屋敷の資料を一部提示する。公の場での説明は厳しく、だが配慮が必要だ。人の顔を晒すだけで済ませないこと、補償を先行させること、誤解を生む余地を無くす手順を説明する。民衆の反応は複雑だが、時間をかけて納得が生まれていく。


午後、セレスティアは街角で偶然、かつて疑いを受けた男と出会う。彼は静かに頭を下げ、小さな店の前に立っていた。セレスティアはためらいながらも足を止め、彼の話を聞く。男は家族を守るために動いたと繰り返す。言葉には嘘がなく、声には疲労と後悔が混じる。裁きと赦しの間で揺れる判断に、セレスティアは手を差し伸べる。


「まずは、真実を一緒に整えましょう」彼女は言う。「あなたができることがあるなら、それを形にして、町の信頼を取り戻す手伝いをしましょう」

その言葉に、男は涙をこらえ、やがて目を輝かせる。小さな和解が、街の中で一つの軸を作る。法の厳しさと人の温かさ、その両方が必要だと彼女は改めて思う。


夜になり、城の大広間で小さな祝宴が開かれる。表向きは被災者への支援の一環だが、出席者の顔ぶれには改革を進める側の人々と、協力を表明した者たちが混じる。料理の香りが満ち、笑い声が少しずつ広がる。セレスティアはルシアと顔を見合わせ、無言のうちに乾杯する。


リュシアンが一角で泡のような笑いを落とす。「君は、まるで別人のように強く柔らかくなった」彼の言葉は皮肉を含むけれど、どこか賞賛の気配もある。セレスティアは杯を掲げ、周囲を見渡す。人々が繋ぎ直す作業はまだ続くが、今日という日は確かな小さな灯になった。


夜更け、窓辺でアレクシスと話す。彼は静かに言葉を選び、短く感謝を告げる。二人の距離は、もう演じる偶像と仰ぐ対象ではなく、互いに支える同志のように自然だ。


「私たちの仕事は終わりではなく、始まりですね」アレクシスが呟く。

「ええ。これからが、本当に大切になります」セレスティアが答える。彼女の瞳には疲労が滲むが、その奥で火は消えていない。


城の夜風が静かに流れ、春の濡れた土の匂いが遠くから漂う。糸はまだ幾つも繋がり、断ち切れるべきものもある。けれど、手にした証拠と人々の声があれば、未来は紡いでいける。セレスティアはそう確信し、翌朝に向けて静かに目を閉じるのだった。

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