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どうあがいても悪役令嬢になれません! ~わたくし、完璧な悪事を働いているはずなのに、なぜか聖女と崇められて断罪フラグがへし折られていく件~  作者: 和三盆


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第30話「灯と影の間に──令嬢、最後の帳をめくる」

朝の光が城壁を淡く染めると、王都の喧騒はいつもより慎重な足取りで戻ってきた。商人は店を開け、子供たちは破れた紙芝居の続きを描き、広場には小さな列ができる。被害を受けた家々にはまだ痛みが残るが、少しずつ日常が回り始めている。


セレスティアは窓辺で手紙の束を眺めていた。公開で示された帳簿の写しに対する反応が、城外からも届く。支援を申し出る商人、恐縮しながらも情報を寄せる下働き、討議を求める僧侶の代表。いくつもの声が、彼女の元へと集まる。胸の中は忙しく動くけれど、その心地よい緊張に安堵も混じっている。


「今日は、外へ出ます」ルシアがカップを置きながら言う。包帯の端が風で揺れて、彼女は小さく笑った。

「あなたの声が必要なところへ行きましょう」とセレスティアはこたえ、二人で書類をまとめる。彼女たちのやり方はいつのまにか変わっていた。劇場の中心で断罪を望んでいたころの騒ぎは消え、今は手を伸ばして誰かの暮らしを繕う仕事が残る。


評議会では、火事の後処理と名簿の最終照合が進む。アレクシスは書類に目を走らせ、必要なら法の手続きを早める手筈を整えている。サミュエルは現場の人心掌握に奔走し、マリエルは蝋や紙の更なる断面解析を進めていた。連携は以前より滑らかになり、誰もが自分の役割を知って動いている印象を受ける。


けれど核心はまだ、城の深いところに潜んでいる。

ある夜、セレスティアの元へ匿名の報が届く。それは薄い羊皮紙一枚で、簡潔な言葉だけが書かれていた。


――「最後の帳は、女王の古い机の底にあり。鍵は母の指輪の裏に」


短い文章に含まれた意味は大きい。女王の私物に触れるということは、政治的な波紋を生む危険性と隣り合わせだ。同時に、もしそこに事実が潜んでいるなら、真相は一歩近づく。セレスティアは慎重に選択する。


「外部に出す前に、私たちで確認しましょう」彼女はアレクシスと相談する。彼の瞳が揺れ、やがて真剣な頷きが返る。王の承諾が得られるための手続きを経て、二人は極秘の小隊を編成する。必要なのは速度と、何より慎重さ。


夜の女王の執務室は、昼間とは別の表情をしている。燭台の灯りが揺らめき、長い影が床に伸びる。机の引き出しは古い油の匂いを放ち、歴代の記録が静かに眠る。指輪の裏に鍵が隠されているという噂は、古くからの宮廷の小話に似ているが、今日はその小話が真実の鍵になるかもしれない。


「ルシアは外で見張りをお願いします」セレスティアは小声で言い、机の陰で指輪の位置を確かめる。指輪はたいせつに箱に納められており、表面には華奢な唐草模様が刻まれている。ルシアの言葉が耳元で静かに響いた。「お嬢様、人の手に触れる時は、礼を忘れずに」彼女の声には、まだ治療の余韻が残るけれど、その芯は強い。


指輪の裏に、小さな溝があるのを見つけると、セレスティアの心拍が少し早くなる。そこに小さな鍵が収まっていて、それがピタリと外れる。鍵は古いが確かな手作りの味がある。彼女は膝の上で鍵を磨くと、そっと引き出しを開けた。


引き出しの底に隠されていたのは、一冊の薄い帳。表紙には女王が若き日に使った署名の痕跡が残り、ページの端には長年の手垢がついている。ページをめくると、中には日常の記録のように見える一方で、特定の受領書や備考に、見慣れない符号が付いている。符号はこれまでに見つかった略号と符合し、最後の一片がここに揃ったと直感する。


だがその瞬間、扉の外で静かな足音が聞こえた。門の守衛が報告に来るでもなく、誰かがふと立ち止まる。セレスティアは帳を胸に抱え、燭光の中で身を低くする。襖がかすかに開き、小さな影が差し込む。そこにいたのは――侍女マルティナだった。彼女の顔はいつもの落ち着きを失い、瞳に苦悶の色がある。


「お嬢様、私……」マルティナの声は震えている。彼女は手に何かを持っている。差し出されたのは小さな封筒で、封蝋に古い紋はない。封筒の中には、短い日報と手書きのメモが入っていた。メモには細かい字でこう書かれている。


「――無名の者へ。証拠は確保済み。公開は貴女の選択に任せる」


マルティナは額を押さえ、顔色を失う。彼女は長年女王に仕え、忠義の念が深い。けれどここ数日の出来事で、女王周辺にも不可解な指示と混乱が生じていたのを目撃している。今、彼女はその重みを抱えたまま、セレスティアに真実を託しに来たのだ。


「あなた、どうして……」セレスティアの問いに、マルティナはゆっくりと目を閉じ、そして決して軽くない言葉を選ぶようにこたえた。「私たちの中にも、選ばれた者がいます。その者たちは、国を守ると言いつつ——自分たちの地位を守るために動いています。私はそのことに耐えかねて、少しずつ書き残しました。誰にも見せるつもりはありませんでしたが、状況が変わってしまって」


部屋の空気が震える。女王の私物から見つかった帳簿に、補強するように添えられた生の証言が、ここにある。だが公開すれば、王家の名誉が海外の耳に届く可能性もある。隠せば、真実が闇へ埋もれてしまう。


セレスティアは息をつき、机の上の帳を開いた。ページに並ぶ符号、その間に差し込まれたメモの断片。すべてが繋がれば、内部で手を引いていた「中心」の姿が透けて見える。恐れはある。けれど恐れが行動の理由にはならない。


「まずは──私たちで検証して、民の安全を最優先にしながら公表します」セレスティアは静かに言う。声に揺れはない。マルティナは涙をこらえ、うなずいた。


その夜、限られた者だけが集まる小さな会議が開かれる。そこには王、アレクシス、セレスティア、サミュエル、ルシア、そしてマリエルがいる。証拠を示しつつ、今後の手順を練る。公開のタイミングと方法、家名の保全と被害者救済のバランス、そして必要なら外交的な配慮も含めた準備。全員がそれぞれの懸念と責任を胸に抱き、言葉を交わす。


会議が終わる頃、外は深い静けさをまとっていた。城の塔で鐘が一度、柔らかく鳴る。セレスティアは窓辺に残り、夜景を見下ろす。手に入れた証拠は、重く冷たい。けれど光を当てれば、きっと乾いた風が入る。彼女は胸の中で小さな誓いを結んだ。


「舞台を望んでいたあの頃の私が見たら、きっと笑うでしょうね」ルシアが隣で小さく笑う。二人の間にはわずかな温度差が残り、しかしそれは柔らかな慰めになった。


翌朝、城の鐘楼下で、セレスティアは人々を前に立つ。今日の公表は、これまでのどの回よりも慎重に準備されたものになる。言葉は簡潔に、けれど真実に寄り添うものを選ぶ。民の目が集まり、息をのむ。遠くで子供が風船を持って駆ける音が聞こえる。小さな日常が、今まさに守られようとしている。


帳を読み上げると、会場は静まり返る。告発は私心を狙うものではなく、制度の中で正されるべき不正を照らすためのものだと、セレスティアは強く伝える。責任の所在が明かされると同時に、被害者への補填、職務の改編、そして再発防止のための監査が発表される。民は驚き、怒り、そして少しずつ納得へと傾いていく。


束の間の沈黙のあと、誰かが小さく拍手をした。それが次第に増え、やがて穏やかな拍手と励ましのざわめきに変わる。政は理性で行われるべきで、だがそれを導くのはやはり人の心。セレスティアは胸に温かさを感じ、同時に疲労の影も覚える。


夕刻、城の回廊でアレクシスがそっと寄り添う。彼の手は冷たいけれど、その温もりは確かだ。二人は言葉を交わさずに屋外に出る。遠くの空に夕焼けが伸び、城を柔らかく包む。今日の一歩は、完全な終わりではない。けれど稔りの始まりであることは感じ取れる。


「あなたが望んだ“美しい破滅”ではなくても、私は満足していますか?」アレクシスが小声で訊ねる。

セレスティアは少し笑って答える。

「満足というより、やっと自分の望みを更新できた気がします。誰かを壊したいという気持ちは消えた。その代わり、誰かを守りたいという気持ちが強くなった」


夕焼けが二人の影を長くして、城の石畳を柔らかく伸ばす。遠くに残る喧騒や、まだ癒えない痛みがある。けれど今日、光を当てたことで新しい道が見えた。セレスティアはそれを胸に収め、次に来るであろう波にも備えるつもりでいる。


夜が深くなると、リュシアンが窓辺に現れる。彼はいつものように軽やかに笑うが、どこか真面目な空気がまとっている。

「君が選んだ道は面白い。演者を演じていた頃とは、随分違う顔つきになったね」

セレスティアは小さく返す。

「演るのは、もう少し控えておくわ。今は台本より、人の手の傷を癒す方が忙しいんですもの」


リュシアンは一瞬だけ目を細め、そして消える。夜風がふたりの間でささやき、城は静けさに包まれていく。


物語は一区切りを迎えたようでいて、まだ続きがある。新たに芽吹いた責任と連帯は、これからの章で試されるだろう。セレスティアは深く息を吸い、胸にある小さな灯を確かめる。灯が揺れそうになれば、また誰かの手を取るだけだ——その覚悟を胸に、彼女は夜を閉じるのだった。

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